南洋の戦乙女
後衛の島なら慰安所の一つもあろうが、最前線のジャングルに女人の気は一切無い。しかし、無い、となれば一層憧れは強くなる。ひと目でいいから女を見たい、とさえ思う。そこで、ある中隊では、細面で色の白い、若い二等兵が生娘に仕立て上げられることになった。
防暑衣の布地で作った萌黄色のスカートを履かせ、士官用の開襟シャツを白のブラウスに見立てる。あとは、大きめの手拭いをショールのようにして坊主頭をすっぽり覆ってしまえば、もとから二等兵自身の素材も良かったのであろう、これがなかなか清楚で純情そうな娘さんに見えたのである。
当初、これは下士官連中の思いつき、ヒマ潰しに過ぎず、二等兵は彼らの酒席で余興に踊らされていた。それが一躍、中隊のアイドルになったのは、中隊長がたまたま宿舎のそばを通りかかり、その姿をひと目見てたちまちファンになってしまったからである。
中隊長公認となり、全中隊員からも熱い視線を集めてしまった二等兵は、より一層「女ぶり」を磨かされる羽目になった。塹壕掘りの合間など、「慰安」の歌や踊りをせがまれ応ずるうちに、普段の仕草や声色までもが、だんだんと本物の「娘」らしくなっていった。ファン達はその可憐さにいよいよ熱狂したが、「彼女」に手を出そうとする者はいなかった。一番の崇拝者は、相変わらず中隊長だったからである。中隊の「踊り子」は、他隊や大隊指揮官には厳しく秘匿されつつ、ただひたすら皆に愛でられるのであった。
中隊員達は、なけなしの饅頭や羊羹を競って「彼女」に差し入れした(定番品のタバコが差し入れに含まれないのは、相手が「清楚な乙女」だったからである)。変わった贈り物としては、配給の石鹸や剃刀が挙げられた。二等兵が「乙女」でいるためには、口の周りや眉、スカートの裾から覗く脛などを念入りに手入れする必要があったのである。
戦況が悪化してくると菓子がイモや菜っ葉になりはしたが、それでも差し入れは続けられた。もはや、「彼女」への献身が中隊員の連帯の要になっていたのである。二等兵も精いっぱい女らしく振る舞い、それによく応えた。
敵が上陸する頃には、二等兵は終日女装であった。皆が「彼女」を守らんと奮戦し、ついに二等兵は生きて終戦を迎えた。生き残りの兵は少なく、中隊長以下殆どが戦死した。
内地に戻った二等兵は工員となり、結婚して二児を設けた。帰還から夭逝まで、戦地での経験を語ることは一切なかった。