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最後の人材

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 すでに電子書籍が一般化し紙の本が一部好事家の嗜好品になっていたという追い風もあったが、しばらくすると、わたしの出版社からは営業部員はすべて姿を消し、基幹である編集部門もその業務のほとんどがコンピュータに代替されていった。作家などの執筆者への執筆交渉や編集や進行管理だけでなく、コンピュータが執筆そのものまで行うまでになった。
 コンピュータが日々大量に創り出すコンテンツは的確そのものだった。データべースされた古今東西のベストセラーのテキストマイニングと傾向分析をおこない、ターゲット読者のマインドを勘案した企画を立て、その方針にのっとってインターネット上の多種多様な関連情報を収集し分類し整理し、正確な論理構造と平易達意の文章に仕立て上げる技量は、文字通り「人間業を超えて」いた。
 とくに好評だったのは、すでに物故者になっている過去の大作家の作風でコンピュータが現代小説を書く「再生」シリーズで、中でも半年前にリリースした「再生・村上春樹」の一連の作品は大ベストセラーになった。年老いたオールドファンには「まるで生き返ったようだ」「新作が読めるなんて夢のようだ」と歓喜の声で迎えられ、リアルタイムの作者を知らない新しいファン層の獲得にもつながり、過去の本物の村上作品まで息を吹き返すというオマケまでついた。
 わたしはこの「再生」シリーズの収益で新たな設備投資を行い、社員をさらに大幅に削減することにした。
 
 あの若い男の会社とシステム契約したから三年ほどたったある日、わたしは自宅の書斎にあるパソコンの前で座っていた。社長としてのわたしの仕事は、朝にパソコンを立ち上げ、続々と自動生成されるコンテンツと、日々伸びていくダウンロード数と振り込まれる印税のグラフを画面で眺め、夕方にシャットダウンすることだけになった。
 経営者であるわたし以外、もはや社員は一人もいない。目の前にあるこの1台のパソコンだけがパートナーだ。しかし、わたしの会社の売り上げは、社員が300人いたときの約三倍にふくれあがっていた。
 突如パソコン画面にアラートが表示された。テレビ電話の着信があったシグナルだ。電話を受けることを承諾すると、画面にあの若い男が現れた。三年ぶりに顔を見るというのに、男の容貌は、髪型一つ変わっていなかった。
「ご無沙汰しております。お元気でしたか」
「あまり元気ではないね」わたしはつぶやくように答えた。
「どうも最近、何をするにも億劫になってしまってね。外出もほとんどしないし、食欲もない。寝つきも悪い」
「どこかお悪いのですか?」
「頭が多少重たい感じがするぐらいで、どこが痛いとかいうわけでもないのだが・・医者に診てもらおうという気力さえわかないんだ」
「それはご心配でしょうね。きっと経営のご心労がたまっているのでしょう。何せ、おひとりで全責任を背負ってらっしゃるのですから」
 そういえば、近ごろはただ座っているだけで動悸がいつまでも鎮まらないことがある。日々機械まかせでのんきに暮らしていると思っていたが、やはり知らず知らずのうちに会社経営の心労は溜まってきていたのかもしれない。
「そんなあなた様にうってつけのシステムを今日はご紹介に参りました。これは経営層が使用するに特化した、ビッグデータ解析システムです。世界中で日々100億件といわれる、SNSの書きこみや、つぶやきや、画像・音声・映像データをほぼリアルタイムで入手し嗜好やトレンドを分析、それに御社の商品の販売状況を掛け合わせ、従来一ヶ月や半年単位でくだしていた経営判断を、よりタイムリーに、より的確にシステム自身がおこなってくれます。これによって商品の需要予測の精度が飛躍的に高まり、従来、経験と勘と慣習に頼っていた主観的な企業経営が、データを土台にした客観性の高いものに生まれ変わるのです」
「・・・・」
「これによって、経営の精度が高まるだけではなく、経営者の精神的肉体的負担も飛躍的に軽減され、最終的には経営者が不要になります。そうなれば、さらに会社の売り上げと収益が高まるだけでなく、あなた様の心労もなくなり・・・」

 若い男のプレゼンテーションはしばらく続いたが、正直なところ、この男の話す内容を、わたしはまるで理解できていなかった。この男の話だけではない。近ごろのわたしは、自分の身の周りで起こっていることすべてに現実感を持てず、すべてが乳白色の煙幕で覆われたように、ぼんやりとしか見聞きすることができなくなっていた。
 とはいえ、この男は信頼できる人間だと思う。きっと悪いようにはしない。すべてを任せても、きっと大丈夫だと思う。なにしろこの男のいうことは、いつだって機械のように正確なのだから。
 わたしは男のいう通りに、いつの間にか画面に立ち上がっていた契約申し込みフォームに必要事項を入力しはじめた。
 入力作業をしながら、わたしにはひとつだけ気がかりなことがあった。さっきの男の話の中に「何とかが不要になる」という言葉があったが、その「何とか」がどうしても思い出せないのだ。とても重要なものだったような気もするし、どうでもいいものだったような気もするのだが、思い出せないのだからきっとどうでもいいものだったのだろう。
作品名:最後の人材 作家名:DeerHunter