赤い涙
6.京介の正体
しばらくして、その細い山道をのろのろと登って来た一台の車があった。
(くそっ、この時代のはなんて運転が面倒なんだ。)車の主は、そう“つぶやき”ながら昂たちの前で停まり、その“声”の主―初老の男―が降りて来た。
「ああ、良かった。根元君と言うそうだね。樹を見つけてくれてありがとう。私は樹の祖父の笹川だ。実は、京介が急に動けなくなってね、代わりに私が来たんだよ。」
と樹を見つけてホッとしたような優しい笑顔をうかべた。だが、昂の耳にははっきりと、その奥にある彼の本心、
(とにかくメモリーだ。メモリーが浸水していなければまだ再生は利く。)
という冷たい“声”が聞えた。男は樹を昂から引き離し、車に乗せようとした。
「樹…樹ちゃんに触らんとって下さい…京介さん。」
昂の言葉に男の手が止まった。
「君…」
「それより、メモリーって何ですか。浸水って何ですか!」
悲鳴にも似た昂の言葉を聞いた男―本物の笹川京介はひどく驚いた後、薄笑いを浮かべながらこう言った。
「そうか、君はテレパスなのか。なら、話は早い。君も一緒に乗りたまえ、樹をこれ以上雨に晒すわけには行かないんだ。続きは研究室でさせてもらうよ。」
昂は京介を手伝って、樹を京介が持参したタオルケットに包み、車の後部座席に乗せるとその隣に座り込んだ。
「良かった、メモリーにまで浸水してない。」
笹川家、実は京介の研究室であるその家に樹を運ぶと、京介はそう言いながら、樹の心臓部から小さなチップのようなものを取りだした。彼らの横には、遠隔操作されない抜け殻の若い京介が床に足を延ばして座っていた。
樹はまるで人間としかみえないが、精巧に作られたアンドロイドだった。それを本物の京介が、若い京介をラジコンのように遠隔操作して“教育”していたのだった。しかし、それを京介の心から読み取っても、実際に彼女の“体”を開いてチップを取り出す瞬間まで、昂にはそれがまったく信じられなかった。
「まぁ、驚くのも無理もない。機械の樹や傀儡の京介からは何の心も読めなかっただろうからな。」
そう言った京介の心からは(それに、これは二十三世紀の技術だからな。)という“声”が聞えた。
「何で、そんな未来の人間がここにおらなあかんのですか。」
「どうしてってかい?簡単なことさ。私たちの時代にはもう存在しない物がここにはまだたくさん残っているってことだよ。」
(回路を形成するためにはどうしても必要な素材がね。)
京介は樹の胸の部分を軽く叩きながら続けた。
「人間ってやつはとんでもなく精巧にできている。それをこのキャパシティーの中に全部詰め込まねばならない。脳の機能は目まぐるしく動かすことになるから、劣化が激しく長くは持たない。だから材料が潤沢にあるこの時代に研究室ごと時間移動したと…そういう訳だ。最初は必要な材料だけ手に入れたら自分の時代に戻っていたんだがな、今回、初めて感情のプログラムを施したら、樹がこの庭の花に興味を示してね。ならばここで、感情面を学習させてやろうと思った訳だよ。」
そう言いながら、京介は樹のメモリーをバックアップ装置につないだ。
「そんなバカな!このメモリーには浸水も損傷もしていなかったはずなのに…感情部分の増設が予想以上の負荷だったのか?」
バックアップの装置にはERRORの表示がでかでかと映し出されている。
(まぁいい、それでもかなりのデータは既に反映させてあるし、、パーツはここでならいくらでも新しく作れる。もう一度一から組みなおせばいい。その方がより細かな設定を施すこともできるだろう。)
「根元君、引き続き樹と付き合ってやってくれるかい。君は樹に好意をもっていてくれてるんだろう?次は今までのデータだけでも充分君のことを覚えている状態で再生できる。そして、君と過ごすことで更に学習すれば、より人間に近づくだろう。そうすれば、私は完璧な人型アンドロイドを生み出すことができる。」
京介は笑みさえ浮かべて昂にそう言った。
「お断りします。」
そんな京介に昂は目を見て即座に断りの返事を告げた。
「どうしてだい。」
京介は断られると思ってはいなかったようである。軽く驚いた様子でそう尋ねた。
「新しく作られる樹ちゃんはもう俺の知ってる樹ちゃんちゃうから。新しい樹ちゃんと一緒におったら、前の樹ちゃんが悲しむ。」
それを聞いた京介は鼻で笑って言った。
「バカな、樹は入れられたデータの範囲で処理していくだけの機械だ。人間のふりをしてるだけで心などない。それが証拠に、君が樹に『寝ていてくれた方が安心する。』と言ったことがあるだろう。彼女はそれを忠実に再現したから、寝たきりになったんだ。君の願望を形にしただけ。君が望まなければ、そうはならなかった。」
昂はその言葉を聞いて激怒した。
「せやったら、そんな樹ちゃんになんで心があるふりなんかさせたりするんですか!」
「私は完璧を求めてる!」
「そんなん、完璧と違う。俺が小さいときにお祖母ちゃんが言うてた。『物にもな、心があるんやに。自分のもんは大切にせな物も悲しむんやに。』使い捨てられたら、樹ちゃんは絶対に悲しむ…」
「君はそんな非科学的なことを言うのか。ま、二百年も昔の人間の感覚なんてまだまだそんなものなんだな。じゃぁ、帰りたまえ。私は君ともう一緒に居るだけの理由はない。」
京介は吐き捨てるようにそう言った。
「言われんでも、もう帰ります。」
昂は涙をこらえて歯を食いしばり、去り際にと今一度樹を見た。
「ほらやっぱり、物にも心はある…樹ちゃん、泣いてるやないですか。」
そして、ぽつりと昂は言った。その言葉を聞いて、慌てて京介も樹の顔を見た。
樹の両方の目からはなんと、ひとすじずつ、赤い液体が流れ出していたのだった。
「あれは、皮膚の損傷があったとき、血が出てるように見せるための薬液だ。目の部分に何らかの損傷があるというだけのことだ。」
京介はそう言うと樹から顔を背けた。
「いいえ、確かに樹ちゃんは泣いてるんです。使い捨てられたないんです。ほんなら俺はこれで。」
昂はそう言うと、尚激しさを増してきた雨の中に飛び出して行った。そして、昂は雨の中ひたすら彷徨い歩いた。それは、どこかにあるかもしれない、落っことしまった樹の心を探していたのかもしれない。