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赤い涙

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2.感情の坩堝



 学校が近付くにつれ、大量に流れ込んでくる人々の感情。京介・樹の兄妹の心を読もうと全開にしたまま鍵をかけるのを忘れていた昂は、町中に入ってどっと流れ込んできたそれらに一瞬目眩がして慌てて自分の心にシールドを張った。そして、のろのろと自転車を走らせると、学校の正門前までたどり着いた。
「根元、珍しいな、今日は遅刻か…お前具合悪いんか?顔色悪いぞ。」
正門で生徒指導の教師にそう言われた。確かに、今朝は必死で京介と樹の心を読もうとして神経を集中させすぎたのかもしれない。
「大丈夫です。」
昂はそう言って教室に向かおうとした。だが、その後続いた生徒が、その教師に罵声を浴びせられて、腹いせに吐いた“声”が昂を襲った。
(けっ、ええ気なもんやな、理数科クラスの優等生は。遅刻したって、怒られもせん。)
それは、中学も一緒だった普通科クラスの男子、安田だった。彼も中学時代は優等生と呼ばれていた。だが、中学と違って高校は、その自分と同じレベルの生徒が集まってやはりその中で優劣を付けられる。子供の頃さんざちやほやされてその気になった彼は、似たような秀才集団の中でかすんでしまった自分を持て余している。
(アホな、好きで優等生やってんのちゃうわ。)
それに対して、昂は心の中でそう吐き捨てた。そう、好き好んで優等生面しているのではない。目立たぬようにするにはそうするしかないのだ。昂にとって試験問題はダダ漏れ状態と同じだ。そこだけを集中して勉強すればいいし、答えがそのまま分かることも多い。その中で際立って成績が良くなり過ぎないようにチョイスして毎回回答欄を埋める。
(ワザと間違うんも、結構技術いるんやぞ。)
あまり成績が良すぎると、都会の国立大学への進学を強く勧められる。この田舎町のI市でさえいっぱいいっぱいの自分の精神状態が、あの大都会で持つとはとても思えない。
 昂は苛立ちをかき消すように頭を振った。その仕草に、教師は昂が目眩を起こしたのと勘違いして、
「お前、ホンマに大丈夫か?」
と気遣う言葉を発した。
「根元、お前マジで調子悪そうやぞ。もう授業始まってるし、保健室で寝とけや。」
(一時間くらい授業サボってもお前には何でもないやろ。)
安田からは裏表の“声”が同時に聞こえた。
「ホンマに大丈夫です。教室ですぐ座りますから。」
昂はそう言うと、逃げるように駐輪場で自転車を止めると、教室に行き、
「遅れてすいませんでした、」
と、後ろの扉から教室内へと入った。クラスメートもちらりと昂を見ただけで、誰も声をかけてくるものはない。代わりに心の中に“声”が充満する。
(こいつ、遅まで勉強しとったんやろな。そうでないと、あんな成績取られへん)
(負けてられへん)
皆ポーカーフェイスのまま、心の中では闘志をむき出しにしているのだ。遅れてきたおかげで一斉に飛び込んできたそれは、今日の少々使い過ぎで弱ってしまっている昂のシールドを簡単に破壊してしまった。
「ぐっ…」
昂はその巨大な負の感情に、吐き気を催した。
「根元、大丈夫か?」
「大したことないです。」
「あかん、真っ青やないか。」
「いいえ、大丈夫です。」
こうやって、注目を浴びているのがそもそもの原因なのだから。授業が再開されて誰も自分に目が向かなくなれば、自然に治る。
「大丈夫って顔やない。保健係、根元を保健室連れてけ。」
だが、先生はそれにそう返し、その声に、保険係の竹下が挙手をして立ち上がった。
(めんどいなぁ。根元もそんなに具合悪いんやったら、出てこんと家で寝てろや)
竹下からはそんな“声”が聞えた。昂はそんな竹下に軽く手で座るように促すと、
「保健室やったら一人で行けます。」
と言って、さっと一人教室を出た。

保健室にたどり着いた昂は、
「すいません、気分悪いんで、ちょっと寝かしてください。」
と、養護教諭の加藤尚子に告げた。
「理数科の子やね。君も徹夜組?」
「いえ…」
「まぁ、とりあえず熱計って。」
そう言うと尚子は体温計を取り出し、昂は黙ってそれを受け取ると、着ていたブレザーを脱いで、二つあるうちの手前のベッドに座った。奥のベッドはすでに先約があり、カーテンが閉められていたからだ。どうせ、単位に引っ掛からない程度で受験に関係ない科目に仮眠を決め込んでいるのだろう。
「私から言わせたら、あんたらちょっと勉強しすぎやに。もっと遊びない。」
尚子は笑ってそう言った。するとカーテンの中から、それに対して、“声”が聞えた。
(そんなん言うんやったら、尚子先生が俺と遊んでくれるんか?)
奥のベッドの主は、どうもこの加藤尚子が目当てだったらしい。彼は心の中で彼女を裸にし、傅かせ弄び始めた。たとえそれが想像の世界であったにせよ、昂は他人の濡れ場の“声”を聞かせられるのは苦痛だった。昂はそうしたところで聞えなくはならないのに、無意識に耳を塞いで蹲っていた。
「どうしたん?震えてるけど、寒い?」
昂の様子を見て、心配した尚子が昂の顔を覗きこんだ。その時、体温計が計測終了を告げた。昂は頭を振りながら、彼女に体温計を黙って渡した。
「熱はないみたいやけど。これから出てくるんかもしれへんわね。」
「やっぱ俺、帰って寝ます。」
昂は立ちあがった。このまま欲情の垂れ流しに付き合うのはまっぴらごめんだった。尚子が昂と長く会話しているのに嫉妬して、件の先約からは、カーテン越しに、昂を含めた妄想と罵声とが入り乱れて流れ込んでくるようになったからだ。
「じゃぁ、家の人に迎えに来てもらう?」
続いてそう言った尚子に、昂は頭を振った。
「ウチは両方とも仕事してるし、自転車やから…」
確かにそれもあったが、こういう理由では迎えに来てほしくはないのだ。
小学生の頃は自分のシールドもまだ未熟で、昂は他人の感情に振り回され、体調までおかしくなることがよくあった。母はそんな息子の事を怖がっている。そして、そのことさえ息子は分かっているのだと思うと、迂闊に近寄れない。なまじそばにいると、自分の産んだ子なのに心底疎んじてしまう…母は、昂を見るたびにそんな複雑な思いに駆らているのだった。今日も、昂が口に出さなくても、母は気づいてしまうかもしれない。
昂はそれが怖かった。
「この時間が終わったら、担任に連絡して、それから帰りね。勝手に帰ったらあかんに。」
そんな昂に尚子はそう返した。
(まだしばらくはこの空気の中におらんなあかんのか…)昂はとりあえず横になりながらため息をついていた。
 やがて、一時間目が終わり、担任が保健室を訪れ、昂はようやく保健室を出て、自宅に向かって走り始めた。
途中、樹の家の前で昂は自転車を止めた。京介が言うように、その洋館はずっとそこにあったように存在していた。
(やっぱり俺の勘違いやったんかな。そやな、今まであの家にあんなかわいい娘が住んでるなんて思えへんかったから、家自体カウントしてなかっただけかもしれん。)昂は、樹の顔を思いだして。少しにやけながら、また自転車を走らせた。



作品名:赤い涙 作家名:神山 備