変態王女と夕焼け姫
――その方と初めてお会いしたのは、もう10年も前になる。
癖一つとして無い、まるで夜空のように輝く黒髪。冷たさの中に優しさを映す、アイスブルーの澄んだ瞳。
幼かった私は、その端正な顔立ちの美しい少女を見て、心臓が両手でギューッと握り潰されるような感覚に陥った。
『……お初にお目にかかります、フェディ姫。わたくし、ノースマン帝国王女のエイリーン・ウェル・ノーエルラントと申します』
私と年もそう変わらないであろう少女は、軽く微笑み優雅にそう自己紹介をした。……ずるい、声までこんなに綺麗なんて。妖精さんみたい。
『あっ、えとっ、初めましてエイリーン姫!ベルーナ王国第4王女の、フェディ・ヴィクトーレアですっ!よよよろしくお願いしましゅっ……』
『………………』
……噛んだ。間違いなく噛んだ。緊張のあまり、お願いしますという言葉すら震えてしまった。
シーンと静まり返る王宮内の空気と、大帝国の王女の前で失態を犯してしまった羞恥心に耐え切れず、私の目にはジワリと涙が溢れる。
そんな情けない私に声をかけてくれたのは、他ならぬエイリーン様だった。
『……ふふ。噂通り本当に可愛らしい方なのね、フェディ姫って』
『え……』
『実はわたくしも、凄く緊張していたの。でも、貴女のおかげでとっても楽になったわ。ありがとう』
両手で私の手を掴んで、彼女は微笑む。
多分……エイリーン様はまだ子供だったけど、こういうご挨拶にはなれてそうな感じがしたから、緊張なんてしていなかったと思う。
私を慰める為にそんな優しいお言葉をかけてくれたんだなぁと思うと、嬉しいやら申し訳ないやら、色んな感情が溢れて更にあたふたしてしまった。本当に情けない。
『わたくし、貴女とはとても仲良くなれそうな気がするの。……お友達になってくださらないかしら?』
ひたすらあわあわしている私にも笑みを絶やす事なく、そんな有難いお誘いをして下さったエイリーン様。
私なんかがこの方と友達だなんておこがましいと思ったけれど、あの時は本当に本当に嬉しくてたまらなかった。
『は、はい!エイリーン姫!私とお友達になって下ひゃいッ!』
……それが、私とエイリーン様の出会い。どんな写真よりも大切な、宝物のような思い出だった。
思い出だった、はずなんだけど……。
「あっ、ちょ、ちょっとエイリーン様ッ!どっどどどこ触ってっ……ひゃあっ!」
「ふふ、フェディったら、相変わらずお尻を撫でられると可愛い声出すのね?もう……」
「や、やめて下さっ……あっ、んんッ……」
……あんなにお優しかったエイリーン様が、何故10年でこんな変態王女に成長してしまったのだろうか。
人は変わると言うけれども、流石にこれは変貌しすぎではないだろうか。あの頃のピュアな王女は、一体どこへ消えてしまったのだろう……。
「も、もう!いい加減にして下さいエイリーン様!大体貴女は王女ですよ!?何故毎日のようにベルーナへ遊びに来ているのですかっ!」
「だってフェディが、全然ノースマンに嫁ぎに来てくれないんだもの。それじゃあわたくしが来るしかないでしょう?」
「来るしかないでしょう?ではなくてっ!エイリーン様はもっとご自分の立場をお考えになってっ……ひゃぁぁぁぁあああ!」
ギュウウウ~っとお尻を鷲掴みにされ、私は国の姫という立場も忘れ情けない声を上げる。……ここが私の部屋で良かった。
エイリーン様のももに跨ぐように座らせられていた私は、思わず腰を上げてしまった。
……みっともない姿をお見せしてしまい、本当に申し訳ない。
私はこんなんでも『ベルーナ王国』という小国の、第4王女だったりする。
ベルーナ王国とはイベル大陸の一番南にある国で、温暖な気候と潮の香りが自慢の小さな国だ。
海へと沈んでいく夕日がすっごく綺麗なので、他の国からは『大陸一美しい夕焼けの国』と呼ばれる程。それが私の自慢のベルーナだ。
……で、この方は。
「フェディ、わたくしはこんなにも貴女を愛しているというのに、何故応えてくれないの?もう貴女をお嫁さんにする準備はとっくに出来ているのよ」
「お、お嫁さんって……!私も貴女も同じ女ですって、何度言えばっ……」
「だからわたくしだって何度も言ってるでしょう?我がノースマン帝国では、同性婚だなんて珍しいものではないって」
「ベルーナでは珍しいんです!」
何とか逃げようと試みるも、当然そんな簡単に離してくれる方ではない。満面の笑みで私の腰をがっちりホールドしていた。
このお方はイベル大陸最大の領土を持つ、ノースマン大帝国の王女、エイリーン・ウェル・ノーエルラント姫。
ノースマン帝国はベルーナのお隣に存在する本当に大きな国で、絶対的な統治力を持つ42代目国王ゲルナス様……エイリーン様のお父様が治めている。
ノースマンの中心にある街、クロセアには右を見ても左を見てもたっくさんのお店がずららーっと立ち並んでいて、お買い物が大好きな女性や観光客にとっては天国のような国だ。
ベルーナは正直海と漁船しか無い田舎だから、観光客なんて殆どいないけど……。
「さぁフェディ。わたくしと一緒にノースマンへ行きましょう。まぁ貴女が首を縦に振るまで、毎日ここへ来るけど」
そう言って私の眼前に、エイリーン様は婚約届けを突きつける。……もう何百回と突きつけられたか分からない婚約届けを。
「わたくしの名前とフェディの名前は既に記載してあるから、後は貴女がサインすれば……」
「しませんし、ノースマンにも行くつもりはありません!もうゲルナス様もご心配してますから、いい加減ご自分の国に帰って下さい!」
「あら……わたくし今日は帰らないわよ?せっかく貴女が自分の部屋に案内してくれたんだから」
「そ、外でお尻なんか触ってくるから仕方なくですっ!泊めるつもりなんてありませんよ!?」
ああ、この人はホント……いつからこんな残念なお方になってしまわれたんだろう……。
初めてお会いした時の、純真無垢の天使みたいなお姿はどこにもない。今じゃ隙さえあれば身体に触れてくる変態王女だ。
「……フェディは、わたくしの事を好きではないの?」
いきなりエイリーン様は耳の垂れた犬のように、シュンとした表情を私に向ける。
勿論腰のホールドは一切緩めてくれないけど。
……ああ、本当にこの人は、黙ってさえいればとんでもない絶世の美女なんだけどなぁ……。
「な、何を突然言い出すんですかっ!大体エイリーン様はいつも人の気持ちも考えないでっ、」
「フェディ。わたくしは『好き』か『嫌い』かを聞いているのよ。それ以外の発言は控えなさい」
「う……」
出た、エイリーン様の王女様モード……。
アイスブルーの瞳で、私の顔をじっと見つめて視線を離さない。質問に答えるまでは、ずっとこの無言圧力が続く。
悔しいけど、こういう所はすごく王女様っぽいんだよ。私も欲しいよこういうカリスマオーラ。たった2歳しか違わないのになぁ……。
「……それは、……その、好きです、けど……」
「伴侶的な意味で?」