絶対外れる馬券術
「競馬って好きでしょ?」
彼女に言われて、返事に困った。彼女は職場の同僚だ。かなり長く知ってるけれど、これまであまり口を利いたことはない。職場以外にふたりだけで話すのなんて初めてだ。それが、いきなりの話題がこれか?
ぼくは言った。「何? 一体なんの話?」
「だから、競馬。競馬って好きでしょ?」
今日は日曜。レースがある。で、ぼくは、そのレースの馬券を買ってる。今もここに持っている。他に新聞から剥がしてきた競馬のページと、小型のラジオ。これで嫌いだなんて言えるわけもない。しかしねえ、ぼくは別に競馬好きと言うほどの競馬好きと違うんだ。相手は女の子じゃないか。うっかりお馬が好きだなんて言えるもんか。
「あのさ。そっちはどうなの。競馬とか好きなわけ」
「ううん、やったこともない。そもそも全然知らないし」
「じゃ、なんで競馬の話になるの」
「だって、さっき、その話をしてたじゃない」
確かにした。彼女とじゃない。今日たまたま別の友達のところに行ったら、彼女がその場所にいたんだ。で、しばらく話をして、馬の話題はそのときに出た。その友達の方とは別れて、なんとなく今、彼女とふたりこうなった次第。
今ぼくらがいるのは公園。芝生に置かれたテーブルにぼくらは向かい合っている。上に日除けのパラソルがかかり、手元には売店で買ったコーラとホットドッグ。うららかな午後だ。
「断っとくけど、ぼくは別にギャンブル好きってわけじゃないよ。パチンコもスロもちょっとやるくらいだし、麻雀なんかとんでもない。やるのは競馬だけだ。休みの日、特にすることもないときだけ」
「うん、知ってる」
なんで知ってるのかな。「だから、好きと言われれば好きだけど、遊びなんだ。ゲームとしてさ。何万円もつぎ込むようなことはしない。予想してさ。券買って、当たりゃうれしいけど、それだけだ」
「それも聞いてる」
聞いてるか。気をつけなけりゃいけないと思った。このテの評判は広まりやすい。どんなふうに歪むか知れたものじゃない。
「それでね」と彼女。「あなたのそういうところを見込んで、相談があるの」
「カネの相談じゃないだろうね」
「もちろん、お金よ。だって競馬の話だもの」
「勝ち馬を当てろって話かい? やめな。無理な相談だ。そんな方法あるんだったらこっちが聞きたい」
「あると言ったら?」
「ないね。あるわけがない」
「じゃ、あるとしたら?」
「ないんだよ。一着の馬を確実に当てる方法なんてない。あるとしたら、出走する全部の馬に賭けるくらいだ」
「それだと獲っても負けなんじゃないの?」
「そうだよ。獲得金額は、賭けた分を上回らない。〈親の取り分〉てものがあるから」
「じゃあもう一度考えてみて。ひとつのレースについて馬券を一枚だけ買う――ええと、〈バケン〉て言うのよね? その馬券を必ず当てる方法がもしあるとしたら」
「だから無理だつってんだろ。そんなのは公正なレースじゃ有り得ない。八百長の話?」
首を振った。「ねえ。全然考えてくれようともしないじゃない」
「考えてるよ。借金でもしてるの? 競馬じゃ返せないよ」
「だからそういうんじゃなく……」考える顔をした。「そう、ゲームよ。さっき言ったでしょ、競馬がゲームとして好きだって。だから軽い遊びとして考えてみて」
「絶対に当てる方法なんてないからゲームなんだぜ」
「そうは思ってない人もいるみたいだけど」
「まあね」それもウジャウジャね。「言っとくけど、梶野(かじの)とか市樺池(いちかばち)なんかに同じ話をしない方がいいよ。ロクなことないぜ」
言ったその名のふたりは職場のギャンブル好きだ。毎日毎朝挨拶代わりにパチンコの結果を報告し合う。週末には競馬競輪ボートレースに賭け麻雀。ボーナスはその大半を宝くじに投資する。一体どうすりゃそんなカネが続くのか、ぼくの想像を超えた奴らだ。
「そんなこと、言われなくてもわかってる」彼女は言った。「だから、『あなたなら』と思って相談してるわけなのよ」
「ふうん」どうも女の子から面と向かって、『あなた』なんて呼ばれるのはくすぐったいよな。「でも、答えは同じだよ。レースの結果は予想はできても、予知はできない。そんなことわからないようじゃおかしいよ」
すると彼女はにっこり笑った。「だから、それよ」
「『それ』って?」
「レースの結果は予想はできても、予知はできない」彼女は言った。「なら、予知ができるとしたら?」
考えてみた。それから言った。「なんの冗談?」
「冗談じゃなくて」
確かに真剣そうに見えた。だからってまともに聞けた話じゃないのに変わりはない。「何を言ってるのかよくわからない」
「簡単じゃないの。レースの結果がもしも予知できるとしたら」
「あのさ。〈予知〉って言葉の意味わかってる?」
「わかってるよ」
じゃあもしかして、おれがわかってないんかな。「予知っていうのは、たとえばタイムマシンでも使って、レースがどうなるか見てくるんだ。で、一位の馬に賭ける。もう結果を知ってるんだから負けっこない。そういうことだよ」
「もちろん」と言った。「あたしが言ってるのも、そういう話」
こうして、やっと、ぼくは彼女の言わんとすることを理解した。
「ははは」と笑ってしまう。「なるほどね」
「わかった?」
「よくわかった。『それができたら』っていつも思ってるからね」
またにっこりした。「それじゃ、あたしの相談聞いてくれる?」
「え?」
彼女に言われて、返事に困った。彼女は職場の同僚だ。かなり長く知ってるけれど、これまであまり口を利いたことはない。職場以外にふたりだけで話すのなんて初めてだ。それが、いきなりの話題がこれか?
ぼくは言った。「何? 一体なんの話?」
「だから、競馬。競馬って好きでしょ?」
今日は日曜。レースがある。で、ぼくは、そのレースの馬券を買ってる。今もここに持っている。他に新聞から剥がしてきた競馬のページと、小型のラジオ。これで嫌いだなんて言えるわけもない。しかしねえ、ぼくは別に競馬好きと言うほどの競馬好きと違うんだ。相手は女の子じゃないか。うっかりお馬が好きだなんて言えるもんか。
「あのさ。そっちはどうなの。競馬とか好きなわけ」
「ううん、やったこともない。そもそも全然知らないし」
「じゃ、なんで競馬の話になるの」
「だって、さっき、その話をしてたじゃない」
確かにした。彼女とじゃない。今日たまたま別の友達のところに行ったら、彼女がその場所にいたんだ。で、しばらく話をして、馬の話題はそのときに出た。その友達の方とは別れて、なんとなく今、彼女とふたりこうなった次第。
今ぼくらがいるのは公園。芝生に置かれたテーブルにぼくらは向かい合っている。上に日除けのパラソルがかかり、手元には売店で買ったコーラとホットドッグ。うららかな午後だ。
「断っとくけど、ぼくは別にギャンブル好きってわけじゃないよ。パチンコもスロもちょっとやるくらいだし、麻雀なんかとんでもない。やるのは競馬だけだ。休みの日、特にすることもないときだけ」
「うん、知ってる」
なんで知ってるのかな。「だから、好きと言われれば好きだけど、遊びなんだ。ゲームとしてさ。何万円もつぎ込むようなことはしない。予想してさ。券買って、当たりゃうれしいけど、それだけだ」
「それも聞いてる」
聞いてるか。気をつけなけりゃいけないと思った。このテの評判は広まりやすい。どんなふうに歪むか知れたものじゃない。
「それでね」と彼女。「あなたのそういうところを見込んで、相談があるの」
「カネの相談じゃないだろうね」
「もちろん、お金よ。だって競馬の話だもの」
「勝ち馬を当てろって話かい? やめな。無理な相談だ。そんな方法あるんだったらこっちが聞きたい」
「あると言ったら?」
「ないね。あるわけがない」
「じゃ、あるとしたら?」
「ないんだよ。一着の馬を確実に当てる方法なんてない。あるとしたら、出走する全部の馬に賭けるくらいだ」
「それだと獲っても負けなんじゃないの?」
「そうだよ。獲得金額は、賭けた分を上回らない。〈親の取り分〉てものがあるから」
「じゃあもう一度考えてみて。ひとつのレースについて馬券を一枚だけ買う――ええと、〈バケン〉て言うのよね? その馬券を必ず当てる方法がもしあるとしたら」
「だから無理だつってんだろ。そんなのは公正なレースじゃ有り得ない。八百長の話?」
首を振った。「ねえ。全然考えてくれようともしないじゃない」
「考えてるよ。借金でもしてるの? 競馬じゃ返せないよ」
「だからそういうんじゃなく……」考える顔をした。「そう、ゲームよ。さっき言ったでしょ、競馬がゲームとして好きだって。だから軽い遊びとして考えてみて」
「絶対に当てる方法なんてないからゲームなんだぜ」
「そうは思ってない人もいるみたいだけど」
「まあね」それもウジャウジャね。「言っとくけど、梶野(かじの)とか市樺池(いちかばち)なんかに同じ話をしない方がいいよ。ロクなことないぜ」
言ったその名のふたりは職場のギャンブル好きだ。毎日毎朝挨拶代わりにパチンコの結果を報告し合う。週末には競馬競輪ボートレースに賭け麻雀。ボーナスはその大半を宝くじに投資する。一体どうすりゃそんなカネが続くのか、ぼくの想像を超えた奴らだ。
「そんなこと、言われなくてもわかってる」彼女は言った。「だから、『あなたなら』と思って相談してるわけなのよ」
「ふうん」どうも女の子から面と向かって、『あなた』なんて呼ばれるのはくすぐったいよな。「でも、答えは同じだよ。レースの結果は予想はできても、予知はできない。そんなことわからないようじゃおかしいよ」
すると彼女はにっこり笑った。「だから、それよ」
「『それ』って?」
「レースの結果は予想はできても、予知はできない」彼女は言った。「なら、予知ができるとしたら?」
考えてみた。それから言った。「なんの冗談?」
「冗談じゃなくて」
確かに真剣そうに見えた。だからってまともに聞けた話じゃないのに変わりはない。「何を言ってるのかよくわからない」
「簡単じゃないの。レースの結果がもしも予知できるとしたら」
「あのさ。〈予知〉って言葉の意味わかってる?」
「わかってるよ」
じゃあもしかして、おれがわかってないんかな。「予知っていうのは、たとえばタイムマシンでも使って、レースがどうなるか見てくるんだ。で、一位の馬に賭ける。もう結果を知ってるんだから負けっこない。そういうことだよ」
「もちろん」と言った。「あたしが言ってるのも、そういう話」
こうして、やっと、ぼくは彼女の言わんとすることを理解した。
「ははは」と笑ってしまう。「なるほどね」
「わかった?」
「よくわかった。『それができたら』っていつも思ってるからね」
またにっこりした。「それじゃ、あたしの相談聞いてくれる?」
「え?」