星のきれいな夜に
なかなかレポートが進まない私にいらだったのか、私はゼミを担当している助教授から、放課後の文学部史学科西洋中世史研究室兼ゼミ室に呼ばれていた。
「だって…なかなか良い資料が見つからないんです…」
「この間参考文献を教えてやったじゃねぇか」
「…英語で書かれてるから、読むのに時間かかって…」
「質問があればいつでも来いっつっただろう!?」
私は唇をかんで下を向いてしまった。
大学3回生にもなって、資料について先生に質問するなんて、恥ずかしくてできない。
あーあ、英語の資料読まなきゃいけないと分かっていたら、西洋史なんて取らなかったのに…。
先生は私の態度にイライラしながらタバコに火をつけた。
「どうするんだ、今から研究内容変えるわけにも行かないんだぞ」
「分かってますよ、そんなこと!」
つい突っかかってしまった。
「…ごめんなさい…」
彼はまだ30ちょっとだというのに、学会では少し名の知れた助教授だ。
教授になれる日もそう遠くはないという話。
そして、実は私の恋人でもある。
大学入学した時、一般教養のクラスで、先生が講義をしている講座をとった。
最初の授業でこともあろうに少し遅れて教室に入っていってしまい、空いている席は先生のドまん前。
「新入生だと言うのに、良い度胸だな」
地を這うような声に縮こまってしまい、
「…すみません…」
と小さく言うのがやっとだった。
ふとまだ視線を感じて顔を上げると、じっと私を見つめている先生の眼とあった。
きれいな目…そして端正な顔…どきりとしてしまった。
授業が終わったあと、教室を出て行こうとした私に
「遅れた罰だ、放課後オレの研究室に来い。手伝ってもらいたいことがある」
と言った。
そして私は…先生に処女を奪われた…。
でも奪われた、と言うよりは、私が先生に処女を上げた…と言った方がいいかもしれない。
最初に手を出してきたのは先生だったけど、私はそれを拒まずに受け入れたのだ。
先生は私を下宿に送り届ける車の中で、実は私が入学した頃キャンパス内で見かけて以来、気になっていたといった。
まさか自分の講義を取っているとは思わなかったので、びっくりした。押さえが利かなくなったと。
本当はこの大学に入ったら、日本史を勉強しようと思っていた。
でも、惚れた弱みと言うのか、方向転換して、先生の教えている西洋中世史を専攻することに決めた。
もちろん、学校では私たちの関係は秘密。
外でのデートもかなり気を使ってやっている。
そんなことだから、私には彼氏がいないんだろうと思ったのか、何度か交際を申し込まれたこともあった。
そのたびに、「今は勉強が大事だから」とか何とか言って、丁寧にお断りしていた。
その場面を先生に見つかったりしたら大変。
いつもはめったな事で動揺したり表情を崩さないのに、すごく嫉妬深い先生は、そんな時激しく私を求めるのだ。
私が離れていってしまうと思ってしまうのかな…そんなことないのに…。
私の方がいつか振られてしまうのではないかと怯えているのに…。
「先生…私は先生から離れないよ、絶対。信用して?」
壊れてしまうかと思うぐらいの激しいセックスの後、私は先生に寄り添い、そして頭をなでるようにしながらささやく。
およそ一回りも違うこの人が、すごく愛おしく感じてしまうのだ。
そうすると先生は、「愛してる」と言いながら、私に口付けの嵐を落とし、きつく抱きしめてきた。
先生にお尻叩かれながらようやく仕上がったゼミ発表のレポート。
発表自体も無事に終わったので、その打ち上げと言うことで、ゼミをあげてのコンパが行われた。
先生の人気は学内でもすごいもの。
先生にあこがれてこのゼミを取る人もあり、コンパの間は女の子たちが取って代わって、先生の側に寄っていった。
私はそれをちょっと嫉妬交じりの横目で見ながら、友達と談笑、と言う感じ。
一次会がお開きになり、二次会に流れていく人、そのまま帰宅する人と別れていった。
私はそのまま帰宅する人。
先生がお開きのどさくさにまぎれて耳元に「駅の東出口で待ってろ」と、ささやいた。
ひと電車遅れてやってきた先生。
コンパではお酒を口にしたので、今日は車ではない。
駅から私の下宿まで二人で肩を並べて歩いていく。
そっと彼の手が私の手に絡まる。
もう3年も付き合っていると言うのに、いまだにこうして手をつなぐと胸がすごく高まってしまう。
たかだか歩いて10分程度の道のり。
冬だから寒いはずなのに、手の先から伝わるぬくもり、そして昂ぶる胸の熱さで、まったく寒さを感じない。
ふと空を見上げて彼が言った
「冬の空は…星がきれいだな」
これが同じゼミの男の子が言ったらものすごく突っ込んでいるところだけど、彼の口から出ると私も一緒に空を見上げて
「…そうですね」
と頷いてしまう。
下宿先の門。
下宿は当たり前だけど男子禁制だ。
少し奥まったところに、高台に上ることのできる階段がある。
離れるのが惜しくって、どちらとも言わずにその階段に並んで腰を下ろした。
「寒いだろう」
と言って、先生が私の肩に手を回し、大きな胸に抱きこんでくれた。
先生の胸の鼓動が聞こえる。
ドキドキドキドキ…。
あ、先生の心臓の音、早い。
私を抱いている腕と反対側の手が私の頬に触れ、自分のほうを向かせた。
先生の端正な顔が近づく…。
重なる唇。
先生の舌が私の口を割って入ってきて、お互いの唾液とともに舌を絡ませた。
そして、チュッ…と音を立てて、名残惜しそうに先生は唇を離した。
ほんの数秒のことだったと思うけど、私にはすごく長い時間に感じた。
二人を照らすほの暗い街頭の下でもきっと、私の顔が赤くなっているのが分かると思う。
恥ずかしくなって、うつむいてしまった。
そんな私を先生は強く抱きしめてきて
「好きだ…愛してる…。ずっと俺のそばにいて欲しい」
と、頭に唇をつけながらささやいた。
ささやきながら私の左手を取った。
薬指にひやりと冷たいものを感じた。
驚いて目を落とすと、プラチナのきれいな指輪が嵌められている。私の誕生石が埋め込まれている。
「大学卒業したら…結婚してくれないか」
先生の顔がゆがんで見える…あ、私目に涙があふれているんだ…そう思ったら、先生がそのきれいな手で私の涙をぬぐってくれた。
うれしすぎて涙ばかりが出て、声が出ない。唇をかんだ。
首を縦に振るのがようやくだった。頭の動きに合わせて涙がぽろぽろとこぼれる。
先生はこれ以上ないくらいうれしそうな笑顔を浮かべ、再び私を抱きしめた。
「愛してる…」
星が輝く夜空の下、再びささやく彼。
「…ずっと側においてください…」
星がきれいな夜空の下、そう私は答えた。