いるいる辞典 定刻事件
事件はその日に起きた。それは夕方のコトである。秋子は仕事が終わり、コーヒーを飲みながらオレのところにおしゃべりをしに来た。オレも区切りがついていたので付き合っていた。実にくだらない会話だったのだが、ある一言が引っ掛かった。
「だからおばちゃんには機械は難しいわ。なんで固まるのかも分からないし。普通に触っているのにね」
「ちょっと待って。今なんて言った」
「えっ? 機械は難しいって」
「違うっ。その前っ」
「えっと、なんだったかしら」
「妙にシャットダウンが早かったって言わなかったか」
「そうそう。横を向いただけで暗くなってたのよ。それがどうかしたのかしら」
「何かの間違いだろう。そんなはずない。電源は?」
「そういえば切った覚えがないわね。どうしたかしら」
「待ってくれっ。そこが肝心だろっ」
「あっ、確認してくるわね」
「もういいっ!! オレが見てくるっ」
「あら、助かるわ。何が何やら分からないけれど」
オレの心中など察しもしていない言葉を背に秋子のパソコンに駆け寄る。モデムのランプが点いていない。勘弁してくれ。早速立ち上げを開始する。頼むからオレの勘違いであってくれ。だが祈りは空しくも散る。画面には起動方法の選択。そして正常起動のカウントダウン。泣くどころか怒りが込み上げてきた。
「見たコトない画面だわね」
能天気な台詞に爆発しそうになるも、なんとか堪えて聞いてみる。
「本当にシャットダウンしたんだな」
「たぶん。だって暗くなってたってコトはそういうコトでしょ」
「いつどのタイミングで」
「どういう意味かしら」
「データは保存したのか」
「暗くなってたからね」
神様、居たらお赦し下さい。キレてもいいですよね。
「ふざけるなっ!! なにのんきにコーヒー飲んでんだっ!!」
「えっ? 嫌だ、何か問題でも?」
「大ありだっ!! データ、イッちまったじゃねぇかよっ!!」
「嘘でしょ。お昼休憩の前には保存したわよ」
「だったらそれ以降のがだよっ!!」
「……嫌だ、どうしよう。うそぉ、やってまったの、私ぃ」
例の如く騒ぎ始める。当然のように謝りもしない。いつだって騒ぐだけなのだ。今回は一言言われても事態は変わらないが、土下座しろ。額を擦りむくくらいな。
「今日打ち込んだデータ、全部持ってこいっ!!」
「え、えっと、どこやったかしゃん。いつものとこ、いつものとこ」
おたつきながらいつものとことやらを探りに行き、書類の束をガサガサと持ってきた。その量にげんなりとした。これは徹夜決定である。
「あ、あの……」
「何? 昼までに打ち込んだのはどの辺り?」
「いえ、時間が来てしまったので失礼しようかと思いまして」
「は?」
「そういうコトでよろしくお願いします」
あてにするつもりはなかったが、先に言う台詞かよ。
次の日の昼、屋上でぐったりしていると何故かさやがやってきて、ちょこんと隣にしゃがんだ。
「タベっちの? 栄養ドリンクの空きビン」
「うん」
「クマ作ってどうしちゃったの」
「心配?」
「独りで負のオーラ放ってるから、気になっちゃって」
「じゃあ、聞いてよ。昨日ね……」
返事も聞かずにオレは話し出した。たいそう迷惑だったに違いない。
作品名:いるいる辞典 定刻事件 作家名:飛鳥川 葵