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真に男らしい男-イタリアルネサンス期の人文主義


 大規模社会の到来による社会形態と自己意識の変化によってであれ、ギルガメシュのような自然主義的な英雄によってであれ、政治と芸術の呪術的超自然的結合は、諸文明において、中世にかけて逐次崩壊していったのは確かです。その最大の原因は結局のところ、封建的大規模社会の成立によって、公共社会に働きかける権力が個人ないし小規模共同体を離れ、封建的大規模社会の特定の階層に集中した結果でしょう。封建的大規模社会においては、共同体の規模の大きさ、構成員の多さという物理的事情から、呪術的祭祀的に芸術を用いて共同体の団結を図ることができなくなったというだけでなく、政治は、特権階級において権力-強制力-を用いればよく、芸術を用いる必要がなくなったのです。
 しかしながら宗教は、呪術的祭祀的要素を切り捨ててなお、信仰主義的救済主義的教義化によって、封建的大規模社会における政治が、共同体の団結-ないし抑圧-を図るための強制力として用いるものとして有効でした。ですから宗教と政治は、ごく最近まで分離することがなかったのです。この今日中世と呼ばれる時代区分を画期するところの社会ないし文化の変容は、大規模社会における共同体の団結力の低下、大規模な戦争の可能性といった政治的要請を背景として、不思議なことに、世界の各地においてほとんど同時期に起こりました。ローマ帝国の東西分裂期におけるキリスト教の国教化、中国の五胡十六国時代、また朝鮮の三国時代、その動乱と深い関係にあった日本における、大乗仏教の政治的受容。さらにはインドグプタ朝の大帝国の形成に伴った、ヒンドゥ教の隆盛、などであります。
 しかしこの事情についてこれ以上深く立ち入ることは、ここでは差し控えさせていただきます。初めのほうで申し上げました通り、こうした政治と宗教の封建主義的中世的結合とその分離については、多くの議論がすでになされておりますので。
 むしろわたくしは、ここで少し政治と芸術の分離史という主題からも離れて、イタリアルネサンス期の人文主義について話させていただきたいと思います。と申しますのは、今日わたくしが皆さんに申し上げたい結論に深く関係することを、イタリアにおける人間性再生という、ロマン主義的な魅力に満ち満ちた時代潮流の中の人文主義が、くっきりと示してくれるからです。
 ときに、西洋文明の思想や価値観というものは、古代ギリシア文明とそれを引き継いだ古代ローマ文明に起源し、中世1000年の間もその影響のもとに発展してきた、とお考えの方は、皆さんの中にもいらっしゃるのではないでしょうか。皆さん、決してそうとは言えないのです。アリストテレスの著作の多くの部分は、長くキリスト教圏には知られていませんでした。それはアラビア語で保存されており、ラテン語などに翻訳されてキリスト教圏に広まり始めたのは、ようやく12世紀に入ってからだったのです。キケロの著作の多くにしましても、各地の修道院の図書館に保存されていたものの、14世紀頃からペトラルカやアルベルティといったイタリアの人文主義者たちに順次"発掘"されるまで、完全に忘れ去られていました。人文主義とは、こうした忘れられた古代ギリシア、古代ローマの文献を考古学者さながらに発掘し、復興させ、今日暗黒時代と憂鬱に呼ばれるところの中世を終焉させて、近世と呼ばれる時代区分をもたらした人々の、それら再生された古典に学んだ思想主義、人生への態度を言います。
 それではそもそもこのような、ルネサンス期以前、中世における古典の廃棄、忘却は、どうして起こったのでしょうか。皆さん、それはアウグスティヌス的キリスト教の、神の意志による以外には何事も起こらないという思惟方法の、封建社会の強制力と結びついた支配によってでした。アウグスティヌス的キリスト教によれば、人間に行為を選択する能力などない、行為を選択できるのはただ神だけ、宇宙に働きかけて何がしかの事象を引き起こすことができるのもただ神だけ、宇宙を運営するのは宇宙の外にいる神であって宇宙の中にいる者たちではないのであって、人間にできるのは、ただ神を信じ愛し恐れ服従することだけである、と言うのですから、学問をして行為の原理-徳-を養ったり、自然を観察することで自分の宇宙における位置と能力を知り、善となる行為を選択して宇宙に影響を与えるなどという努力は、不可能というだけでなく、何の意義もないことなのです。神の意志による以外には何事も起こらない、というのはもちろん方便でしょう。実際には、権力者ないし教会の意志による以外には何事も起こらない、と言っているわけです。
 古代ギリシア及び古代ローマの諸学は、皆さんもご承知の通り、自然主義的なものでした。それはローマ帝国において超自然主義的キリスト教が隆盛となっていくとともに、不可避的に排斥されていきました。エジプトのアレクサンドリアは、アレクサンドロス大王のディアドコイたち、ヘレニズム王朝の最後の生き残りだった、プトレマイオス朝の首都でした。そうです、その最後のファラオ、クレオパトラによって広く知られておりますね。アレクサンドリアは、キリスト教に代表されるユダヤ文化の古来からの中心地だった一方で、かのアレクサンドリア図書館があり、5世紀頃には、ギリシア-あるいはシュメール-に発する自然主義的諸学の、最後の砦でした。約1000年後の人文主義者による復興を待たねばならぬその終焉については、キリスト教徒による、アレクサンドリア図書館の破壊と、賢明名高かった女性学者ヒュパティア(370-415)の、ここで皆さんにお話しするのはためらわれるような方法での、残酷な殺害があったと述べるを以て充分でしょう。ところでヒュパティアは、ルネサンス期の人文主義的潮流の中、ラファエルロの『アテナイの学堂』において"再生"しております。左下の、白衣の女性が彼女です(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/68/Raffael_058.jpg/1024px-Raffael_058.jpg)。
 1000年の時を経て、女性としてただ一人知の殿堂に列した彼女のこの姿にわたくしは、伝統的自然主義学術の滅亡と添い遂げるかのような、悲劇的な最期を遂げた彼女への、人文主義者たちの弔意と思慕の念を見るのですが、皆さんはいかが感得されるでしょうか。