スーパーカミオ患者様
早いもので、平成44年もあと数日で終ろうとしている。
私の名前は真田信玄。信越地方の公立病院で働く62歳の整形外科医だ。正確にいうと、真田信玄は平成30年に個人識別法が施行される以前の本名であり、それをそのまま通名にしている。現在の本名はWTX137789だ。
あえて述べるまでもないが、この国では平成20年代後半から徹底したプライバシー保護を訴える過激な人権派弁護士の活動が活発になり、個人情報保護の名のもとにあらゆるシチュエーションで実名公表を控える社会的風潮が広まった。
それに対してマスコミは、一方では平成25年成立の秘密保護法を批判しながらも、例によって視聴率や発行部数を稼ぐためなら主義主張もコロコロ変える曲学阿世ぶりを発揮して、徹底したプライバシー保護を求める国民世論には大いに同調したため、事態はさらに悪化することになった。
その結果、「超匿名社会」と呼ばれる事態が発生した。職場でも学校でも、お互いに同僚やクラスメートの国籍・性別・年齢はおろか本名も知らないし、聞いてはいけないという「マナー」や「気配り」が求められるようになり、ついには実名(本名)というものの意味がなくなった。相手のプライバシーに踏み込んだ質問をすれば、人気タレントですらネット社会やマスコミに叩かれ、まるで罪人扱いで潰されていった。その結果、お互いに「あのちょっと」「すみません」「あなた」「オタク」などと呼ばなければならなくなり、社会的混乱を招いた。
そこで当時の民自党政権は、当時在日外国人だけに認められていた「通名」を日本人でも自由に公共の場で使用できるように法律を改正した。そして、その変更もインターネットでの簡単な届け出によって可能にした。
すると今度は、毎日10回以上通名を変更する人々が登場したり、意図的に通名を変更して「昔の名前で呼ばれ、耐え難い精神的苦痛を受けたから、慰謝料を払え」と訴訟を起こす人々が登場したり、放送禁止用語ギリギリのわいせつな通名や異常に長い通名を名乗る人々が登場したりと、やはり社会的混乱が続いた。このため、「通名を間違えることは、明らかに故意であることが証明された場合を除いて、原則として訴訟の対象にならない」と、わざわざ法律で定められことは周知の通りである。
実は私のアホ娘も、人気テレビドラマにはまるたびに、そのヒロインの名前を真似して自分の通名を変更してしまうため、すでに20回以上も通名を変えている。実の父親である私ですら、彼女の現在の通名は知らないのだ。
当然このような状況では誰が誰だがわからなくなるため、国も国民から税金や社会保険料を徴収できない。つまり、国家が国民を管理できなくなったのだ。もちろん、血縁関係を証明したり、犯罪履歴を把握したりすることも困難になり、遺伝病の解析や遺産相続、さらには犯罪捜査にも大いに支障をきたすようになった。
財務省と厚労省、そして与党民自党は、この混乱を大いに利用した。すなわち、平成27年に導入されたマイナンバー制度が、次々と明るみに出た企業や省庁の目的外使用やデータの流出によって国民の反感を買い、人権団体や人権派弁護士から「マイナンバーが事実上の本名となっているのは人権侵害だ」「私たちに背番号をつけないで!」「国民を番号で管理するのは軍国主義だ。戦争反対!原発反対!」と罵声や怒号を浴びせられ、全国各地でデモ行進や裁判を起こされ、それをマスコミがたきつけたために廃止されて以来、再び国民にナンバーを割り振って管理するのが彼らの悲願となっていたからだ。
平成33年、民自党政権は通名とは別に記号化したナンバー制の「本名」を全国民に登録する「個人識別法」を成立させた。すべての国民がアルファベット3文字と数字6つからなる「本名」を割り振られ、国民の基本情報はこの数字によって国家に管理されることとなった。国民の過剰な個人情報保護の権利意識が、皮肉にも国家による国民の管理を強化する結果を招いてしまったわけだ。
こうして私の本名は、真田信玄ではなく、WTX137789となったのである。
もちろん、本名の記号化に反対する声は小さくなかった。特にサヨク系の連中はこのように一律に管理・監視されることに激しく抵抗し、上記のようなデモ行進や裁判のみならず、過激なテロ事件も発生した。確かに本名が記号というのは素っ気ないし、気持ちのいいものではない。犯罪者になった気分でもある。私の場合も「妻の本名がASF029365で、娘の本名がWWD0896532」と知らされたときには、もはや家族ではなくなったような気がして、さみしい思いがした。家族なのだから、せめて同じ苗字(アルファベット)にして欲しかった。
しかしながら、個人識別の強化には仕方のない部分もあるのは事実だ。いまや家族制度は崩壊し、我が家のようにずっと同じパートナーと夫婦でいるカップルはきわめて珍しいケースといわれている。
家族の形は大きく変貌した。結婚制度も大きく見直され、同性婚のみならず、多重婚や近親婚、一夫多妻制や一妻多夫制などが合法化された。ママ大好きの一人息子が母親と結婚する「マザ婚」、仲良し家族がそのまま一家で結婚する「ファミ婚」、体だけが目当ての男女が相手の素性も本名も知らないまま業者の仲介で結婚する「ボディ婚」、自分大好きのナルシストが自分と結婚する「自婚」や、犬猫などのペットと結婚する「獣婚(当事者たちはこの呼び方を嫌う)」も普通になった。
ちなみに獣婚したイヌやネコには「本名」と人権が与えられ、選挙権も認められる。少し前までは人間と結婚した犬猫には「お犬様」や「おキャット様」という称号が用いられていたが、このような表現は差別に当たるというイヌネコ人権保護団体の抗議によって禁止されつつある。お犬様やおキャット様の多くは定職につけないため、ほぼ自動的に生活保護費が支給される。「自分たち人間ですら生活保護認定のハードルは高いのに、それはおかしいだろ!」と立ち上がった若者たちもいたが、サヨクからはウヨクとなじられ、イヌネコ人権保護団体からは「ニュー人種差別」となじられている。
イヌネコ自身の政治活動も盛んになっている。東北地方の過疎の村に獣重婚(人間と複数の動物との結婚)をした女性が多数のお犬様とおキャット様を連れて移住し、自らが立候補した村長選挙の投票では彼らの代理投票(イヌネコには字が書けないので代理に投票ができ、誰に投票するかは結婚相手の人間がイヌネコの意見を聞いたと主張すれば勝手に決められる)による集票で圧倒的多数をもって村長に当選し、村の名前を「わんにゃん村」に変えてしまった。国会でもワンワン党やニャンニャン党といった動物による新党が次々と結成されている。
さらには、少子化対策の一環として、人間とお犬様やおキャット様との間に人工授精で子どもを作るべきだという世論が本格的に高まっている。一度は国会で可決されそうになったが、アメリカやドイツなどから「地球上の生物と生命倫理を守るため、我々は日本に核ミサイルを落とす以外に選択肢がなくなるであろう」と脅されたため、審議が中断されている。
私の名前は真田信玄。信越地方の公立病院で働く62歳の整形外科医だ。正確にいうと、真田信玄は平成30年に個人識別法が施行される以前の本名であり、それをそのまま通名にしている。現在の本名はWTX137789だ。
あえて述べるまでもないが、この国では平成20年代後半から徹底したプライバシー保護を訴える過激な人権派弁護士の活動が活発になり、個人情報保護の名のもとにあらゆるシチュエーションで実名公表を控える社会的風潮が広まった。
それに対してマスコミは、一方では平成25年成立の秘密保護法を批判しながらも、例によって視聴率や発行部数を稼ぐためなら主義主張もコロコロ変える曲学阿世ぶりを発揮して、徹底したプライバシー保護を求める国民世論には大いに同調したため、事態はさらに悪化することになった。
その結果、「超匿名社会」と呼ばれる事態が発生した。職場でも学校でも、お互いに同僚やクラスメートの国籍・性別・年齢はおろか本名も知らないし、聞いてはいけないという「マナー」や「気配り」が求められるようになり、ついには実名(本名)というものの意味がなくなった。相手のプライバシーに踏み込んだ質問をすれば、人気タレントですらネット社会やマスコミに叩かれ、まるで罪人扱いで潰されていった。その結果、お互いに「あのちょっと」「すみません」「あなた」「オタク」などと呼ばなければならなくなり、社会的混乱を招いた。
そこで当時の民自党政権は、当時在日外国人だけに認められていた「通名」を日本人でも自由に公共の場で使用できるように法律を改正した。そして、その変更もインターネットでの簡単な届け出によって可能にした。
すると今度は、毎日10回以上通名を変更する人々が登場したり、意図的に通名を変更して「昔の名前で呼ばれ、耐え難い精神的苦痛を受けたから、慰謝料を払え」と訴訟を起こす人々が登場したり、放送禁止用語ギリギリのわいせつな通名や異常に長い通名を名乗る人々が登場したりと、やはり社会的混乱が続いた。このため、「通名を間違えることは、明らかに故意であることが証明された場合を除いて、原則として訴訟の対象にならない」と、わざわざ法律で定められことは周知の通りである。
実は私のアホ娘も、人気テレビドラマにはまるたびに、そのヒロインの名前を真似して自分の通名を変更してしまうため、すでに20回以上も通名を変えている。実の父親である私ですら、彼女の現在の通名は知らないのだ。
当然このような状況では誰が誰だがわからなくなるため、国も国民から税金や社会保険料を徴収できない。つまり、国家が国民を管理できなくなったのだ。もちろん、血縁関係を証明したり、犯罪履歴を把握したりすることも困難になり、遺伝病の解析や遺産相続、さらには犯罪捜査にも大いに支障をきたすようになった。
財務省と厚労省、そして与党民自党は、この混乱を大いに利用した。すなわち、平成27年に導入されたマイナンバー制度が、次々と明るみに出た企業や省庁の目的外使用やデータの流出によって国民の反感を買い、人権団体や人権派弁護士から「マイナンバーが事実上の本名となっているのは人権侵害だ」「私たちに背番号をつけないで!」「国民を番号で管理するのは軍国主義だ。戦争反対!原発反対!」と罵声や怒号を浴びせられ、全国各地でデモ行進や裁判を起こされ、それをマスコミがたきつけたために廃止されて以来、再び国民にナンバーを割り振って管理するのが彼らの悲願となっていたからだ。
平成33年、民自党政権は通名とは別に記号化したナンバー制の「本名」を全国民に登録する「個人識別法」を成立させた。すべての国民がアルファベット3文字と数字6つからなる「本名」を割り振られ、国民の基本情報はこの数字によって国家に管理されることとなった。国民の過剰な個人情報保護の権利意識が、皮肉にも国家による国民の管理を強化する結果を招いてしまったわけだ。
こうして私の本名は、真田信玄ではなく、WTX137789となったのである。
もちろん、本名の記号化に反対する声は小さくなかった。特にサヨク系の連中はこのように一律に管理・監視されることに激しく抵抗し、上記のようなデモ行進や裁判のみならず、過激なテロ事件も発生した。確かに本名が記号というのは素っ気ないし、気持ちのいいものではない。犯罪者になった気分でもある。私の場合も「妻の本名がASF029365で、娘の本名がWWD0896532」と知らされたときには、もはや家族ではなくなったような気がして、さみしい思いがした。家族なのだから、せめて同じ苗字(アルファベット)にして欲しかった。
しかしながら、個人識別の強化には仕方のない部分もあるのは事実だ。いまや家族制度は崩壊し、我が家のようにずっと同じパートナーと夫婦でいるカップルはきわめて珍しいケースといわれている。
家族の形は大きく変貌した。結婚制度も大きく見直され、同性婚のみならず、多重婚や近親婚、一夫多妻制や一妻多夫制などが合法化された。ママ大好きの一人息子が母親と結婚する「マザ婚」、仲良し家族がそのまま一家で結婚する「ファミ婚」、体だけが目当ての男女が相手の素性も本名も知らないまま業者の仲介で結婚する「ボディ婚」、自分大好きのナルシストが自分と結婚する「自婚」や、犬猫などのペットと結婚する「獣婚(当事者たちはこの呼び方を嫌う)」も普通になった。
ちなみに獣婚したイヌやネコには「本名」と人権が与えられ、選挙権も認められる。少し前までは人間と結婚した犬猫には「お犬様」や「おキャット様」という称号が用いられていたが、このような表現は差別に当たるというイヌネコ人権保護団体の抗議によって禁止されつつある。お犬様やおキャット様の多くは定職につけないため、ほぼ自動的に生活保護費が支給される。「自分たち人間ですら生活保護認定のハードルは高いのに、それはおかしいだろ!」と立ち上がった若者たちもいたが、サヨクからはウヨクとなじられ、イヌネコ人権保護団体からは「ニュー人種差別」となじられている。
イヌネコ自身の政治活動も盛んになっている。東北地方の過疎の村に獣重婚(人間と複数の動物との結婚)をした女性が多数のお犬様とおキャット様を連れて移住し、自らが立候補した村長選挙の投票では彼らの代理投票(イヌネコには字が書けないので代理に投票ができ、誰に投票するかは結婚相手の人間がイヌネコの意見を聞いたと主張すれば勝手に決められる)による集票で圧倒的多数をもって村長に当選し、村の名前を「わんにゃん村」に変えてしまった。国会でもワンワン党やニャンニャン党といった動物による新党が次々と結成されている。
さらには、少子化対策の一環として、人間とお犬様やおキャット様との間に人工授精で子どもを作るべきだという世論が本格的に高まっている。一度は国会で可決されそうになったが、アメリカやドイツなどから「地球上の生物と生命倫理を守るため、我々は日本に核ミサイルを落とす以外に選択肢がなくなるであろう」と脅されたため、審議が中断されている。
作品名:スーパーカミオ患者様 作家名:真田信玄