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Bhikkhugatika

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私が学んだこと


 私は、私が学んだことを皆さんと共有したく思います。
 およそ生ずる性質あるものは滅する性質あるものですが、自然は、生ずることがないために滅することがありません。また自然の無い場所が無いために、自然の外というものが無く、無もまたありません。
 私たちは、この自然です。
 自然-私たち-には、時間も空間も物理法則も無いので、宇宙は、ひとりでに、いくらでも、あらゆる形で生じます。私たちが思惟するところのこの宇宙は、それら無数に生じては滅していく宇宙の中で、たまたま私たちが思惟するに至る形に生じたために、いま私たちは思惟しています。
 生命は、生き延びようと突進する力の強い者が生き延びてきました。その強烈な突進力のために、いま私たちは思惟しています。
 私たちは、この体が私であると思い込んでいます。
 私たちが思い込んでいるところの私たちは、宇宙に浮かんで旋回する丸い一隻の船の甲板、地球の地表にいて、思惟し行為しています。私たちは、夜に見える天の川銀河の中心を軸に回転しています。2億年ほどで一周します。
 私たちは、この体が私であると思っており、体は、生き延びようと突進することで生き延びてきたので、私たちは死を恐れています。そして私たちは、この体が私であると思っていますから、自分だけは死ぬまいと四苦八苦しています。他人を自分とは思っていませんから、他人から盗むことで生き延びられるならそうしますし、他人を盾にして自分と見なすところの体を守ります。死が近づいたと気づくと恐怖に嘆いて、気休めをしてくれる他人や物を探して世間をうろつきます。死から遠ざかりたいという欲望を他人が満たしてくれないと怒ります。死が近づいたと思って恐怖するからです。
 社会の規模が小さいうちは、この働きも小さいものでした。家族や親戚は、半分自分のようなものだからです。しかしこの働きが積み重なり、巡り巡って、都市ができ、資産家が現われ、権力者が現われると、この働きは加速されていきました。この、この体という一生命のみが私であると見なし、その死を恐れることから生起した暴力は、今日諸々の形態をとって、私たちが思惟するところの私たちをすっかり支配しています。
 しかし実際には私たちは考える自然であり行為する自然です。私たちが他者であると見なしている人々は、実際には不ニ一元です。私たちがひとつの数式から同じ解を得るのはこのためです。ですから私たちは死への恐怖から離れて武器を捨て、鎧を脱ぎ、思い込んでいる自己ではなく自然を拠り所として対話することで、合意することができます。私たちはこの実現のために、日常的自発的に他の人の探究の成果を学問によって学ぶことができます。学問と経験から学んだことを独創的に理解して、自分の探究の成果を一般化して、公共の場で発表することができます。また学んだことを原理として日常において行為することで、学んだ原理を広めることができます。
 私たちはこのように生きることができますし、このような人生は、私たちが自分と見なしている体にとってだけでなく、誰にとっても役立つために、この自分の努力の成果が人々に役立つところを見て、私たちは、他人によって満たされるのを待つことなく、自ら自らを、獅子が吼えるような尊厳と、こよなき幸せとに満たすことができます。
作品名:Bhikkhugatika 作家名:RamaneyyaAsu