ミーシャの冒険 2
ミーシャは朝日が昇らないうちに家を出た。
陽に照らされた森には霧が出る。
霧は煙を隠すのにうってつけだ。
魔族だろうが山賊だろうが、生きている限り何かを食べる。
生肉は日持ちがしないし、乾物ばかり続けていられるわけはない。
もし森に何かが潜んでいるとすると、必ず霧を利用するだろうし、霧に油断して、近付かれても気が付かないのではないか•••
ミーシャは果樹園の一番の高台から、まだ黒ずんでいる森を眺めた。
いくつもの低い山が重なるその森には、木々の間から立ち上がる白い靄が段々と重なり合って、やがて霧として全体を覆い隠そうとする意思があるかのように見えた。
やがて朝日がミーシャの周りの空気を温めると、森は完全に霧に隠されてしまった。
「ま、そう簡単に行くとは思ってないけどね」
ミーシャは左肩から斜めにぶら下げたブドウ酒入りの皮の水筒を持ち上げて揺らしてみた。
食料を詰めた背負い袋と水筒、そして絡まる蔦を薙ぎ払う小さな山刀というのがミーシャの装備である。
もっとも山刀は切るだけでなく、フィオナが持たせてくれた堅焼きのパンを砕くのにも使う、万能の器具でもあった。
ミーシャは急いだ。
霧が晴れる前に森の中へ入り込まないと見張りに遠くから発見されてしまう。
霧はやがてあたりを完全に包み込んだ。
10歩も進んだ先は真白なカーテンで遮られ、岩だの杭だの標識だの樹木だのが突拍子もなく目の前に現れるのである。
もう夏だというのに、ゆっくりと霧を動かす冷涼な風にミーシャは身震いをした。
ー そもそも
ミーシャは歩きながら考えた
ー 何で少女なんだ?
交易をしている街のような、身代金を期待できるような財力のある村はこの周囲にはない。
労働力には適さないし、花嫁には未熟に過ぎて、誘拐した者への利点は何もない。
もっともこれは人間の視点で考えての話であって、魔族の論理は違うのかもしれないが・・・
ミーシャは1日中、小川に沿って足跡や焚き火の跡などがないか探したが、人のいた痕跡どころか獣の通り道すら発見できず、大きな木の根元に腰を下ろして、自分が今進んできた、踏みつけられた草の跡を見てため息をついた。
あまりにも張り切りすぎていたせいか、身体中が熱く感じる。
しかしミーシャは草木に覆われていない川辺へ降りる気にはならなかった。姿を晒す事になるからである。
冷たいところはないかと木の根に手を当てて見た。
ふと、腰を下ろしている土の方が冷ややかな事に気付き、手で浅く土を掘り、底の部分に掌を着けた。
冷たくて気持ちが良い。
「今日はここで寝るか」
既に陽は暮れようとしており、まだ明かりが残る梢の向こうとは対照的に、ミーシャの周囲は色も判別出来ぬほとに闇が支配を始めようとしていた。
背負っていた荷物を手許に引き寄せると、ミーシャはブドウ酒を一口含み、堅焼きのパンの欠片を一つ口に入れた。
ぶるっ
ミーシャは寒さを感じて目が覚めた。
いつの間にか寝ていたらしい。
直接地面に寝ていたせいか、身体がこわばって、あちこち痛い。
服もじっとりと濡れている。
起きなければ、と思った時、ふと足もとに気配を感じた。
上半身を起こしてみると、ちょうど足先10センチ程の所を左から右へ横断中な蛇が動きを止め、首をもたげてミーシャを見た。
「や、やぁ」
蛇も暇ではなかったらしく、ミーシャの間の抜けた挨拶を聞くと、興味が失せたように横断を継続し、やがて視界から消えた。
ミーシャは立ち上がった。
とにかく奥地に進まない事には話にならない。
パンとブドウ酒を口に含むと、荷を背負った。
幅広の草の葉の上を朝露が転がる。
ミーシャは若木を揺すって頭から露のシャワーを浴びた。
「さぁて」
固まってしまったかのような足に気合いを入れて、一歩を踏み出した。