正しいフォークボールの投げ方
第四球 要は、スッポ抜けろ! -1-
早朝――朝霧が立ち込める中、グランドに人影があった。
その人物はヒロだった。他には誰も居らず、一人だけの自主練。マウンドからホームベースに立てかけたネットに向かって、投球していたのであった。
カゴに入れておいた球を手に取り、人差し指と中指で挟む。そして、セットポジションの構えから、上半身を捻るものの左足は低く上げる……簡略化されたトルネード投法で、フォークボールだけを投じ続けていたのである。
一人で黙々と投げ込む中、ヒロはこれまでの経緯を振り返った――
南海高校と織恩高校の試合観戦の帰り、行きも舟ならば帰りも舟。しかし、舟の櫂を漕いでいたのはヒロだった。不慣れな手つきで、思うように舟は真っ直ぐ進んでいない。イナオは帰りの操舵を素人のヒロに任せていたのであった。
「あの、イナオさん。これは……」
「舟の上は思った以上に揺れるからな。で、立って漕ぐことで足腰とバランス感覚が鍛えられる……と、人から言われたことがあるんだ。漕ぐことで少しでも足腰鍛錬になればな、と思ってな」
「な、なるほど……」
ヒロに操舵を任せた理由は、投球(ピッチング)の鍛錬になればとの狙いがあった。しかし、漕ぐ櫂を動かすことの方が思った以上に力が必要で、足腰よりも腕の方の鍛錬になりそうだった。
「モトスギ。お前さんの投法は、相当足腰やバランスがしっかりしていないといけないフォームだ。投げる時、大きく捻っているから、バランスを崩しやすい。それが制球が定まらない原因の一つだろう」
イナオはトルネード投法の欠点を上げる。確かにヒロが感じていたことでもあり、眞花がトルネード投法を演じて見せた時にも倒れそうになった。それほどにトルネード投法は安定が難しい投げ方なのである。
「だからといって、あの投げ方は辞めるな。あの投げ方は、理に適っている。身体全体を捻って戻る反動で投げる……。
もし、あの投方をマスターすれば、最高のピッチングが出来るはずだ。それに今まで見たことがないフォームだから、相手を惑わせる効果がある。でだ、あの投げ方でも安定して投げられるように、まずは重点的に足腰を鍛えるんだ。
毎日舟を漕げ……は無理だから、基本的にはランニングだな。暇な時は、全部走っておけ」
「は、はい!」
元の世界でヒロが所属していたバスケ部はランニングの量は多い部類であり、それほど走るのを苦手としていない。
そもそも運動部で体力を必要としない部活動は存在しないので、どこも大なり小なり走らされているものである。ちなみにランニング量が多いと称されるのは、野球部、サッカー部、バスケ部が選ばれるだろう。
「それと併せて投球の方も出来るだけ多くこなせ。絶対的に経験が足りていないからな。それで投球する時は、あの変化球……フォークボールだけを投げるんだ」
「フォークボールだけを、ですか?」
「ああ。変化球を投げられるようになるには、コツを掴むことだ。落ちたり落ちなかったりするフォークボールを、絶対に変化させるようにしないとな。
ひとまず投げて投げて、投げまくって、キャッチボールの時でもフリーバッティングの時でもフォークボールを投げて、コツを掴むんだ。とりあえず暫くは、それだけをやるんだ」
「はい、解りました」
フォークボールは、ただ指に挟んで投げただけで変化する。簡単な投げ方である。そして自分が投げられる唯一の変化球であり、野球の神様曰くこの世界にはフォークボールが存在しないらしい。
ヒロもイナオもフォークボールを習得さえ出来れば、通用すると思ったのだった――
投じた球がホームベースに立てかけていたネットに突き刺さる。イナオに言われた通り、ヒロはフォークボールだけを投げていたが、ほとんどの球は特段変化することは無く、落ちたとしても重力に従っているだけに過ぎなかった。
人差し指と中指で挟んで投げる――たったそれだけの投げ方なのに上手く変化しない。ヒロは嘆息し、球を取ろうとしたがカゴの中は空っぽだった。仕方なく、ホームベース付近に散らばっている球を取り行く。
球を取る時、ヒロはフォークボールを投げる時と同様に指で挟んで取っていった。これは野球の神様から教わったことで、少しでも球を挟む行為を慣れさせる為に行なっているのだ。
ヒロは手を止め、誰かを探すようにグランドを見渡す。
屋上での一件以来、野球の神様は姿を見せず、一切語りかけてこなくなっていた。前までは頻繁に姿を現しては野球ルールや投げ方などを講義してくれたのにだ。やる気を出したこの時ほど、野球の神様の助言を求めているにも関わらず。
「野球の神様、いるんなら出てきてくださいよ」
呼びかけても、何ら返答は無かった。
見捨てられてしまったのかと、気持ちが沈んでしまう。しかし、その原因を作ってしまったのは自分自身にあると自覚している。
相手は神様なのだ。今更泣き言を言っても、神様を怒らせてしまったので、神罰の一つぐらい落ちても仕方ない。
人間は都合が悪くなると神様に頼ってしまうものだ。そんな、なんとも都合いい考えは通じないのだと、実感したのである。
ヒロ自身でなんとかするしか無いのだ。幸い、野球の神様が姿を現さなくなる前に、一通りフォークボールの投げ方を教えて貰っていた。
『フォークボールの投げ方のコツとしては、無回転を意識して投げるのよ。なぜボールが挟んで投げたら、落ちるのかを考えたことがある? 簡単に言えば“無回転”だからよ。
この世界には空気が存在するでしょう。無回転だと、この空気の壁にぶつかる……いわゆる空気抵抗を受け易いのよ。
ボールが回転していると、この空気の壁を切り裂きながら直進する。この回転力が強いと浮き上がったりするけどね。
で、フォークボールの場合は空気の壁にもろにぶつかってしまい、急激に落ちていく……と言われているど、まだ究明されていないのよねこれが。
元の世界でも、フォークボールはまだ未知の変化球であるかも知れないわね』
今になって野球の神様が教えてくれた言葉を思い返す。
「無回転……」
要点を反復するように呟きつつ、落ちている球を指で挟み取ってはカゴの中に入れていく。その間も野球の神様の言葉を必死になって思い返していた。
『挟んで投げるということは、結局は無回転で投げる為だからね。だったら、無回転で投げるなら、もっと無回転になりやすい握り方で投げたらどうなんだ? てっ思うでしょう。
これが不思議でね、挟んで投げないと急激に落下しないのよ。無回転の変化球にナックルボールというのがあるけど、この変化球は爪や指で押し弾くように投げるけど、これがスットーンと落ちるのではなくて、ユラユラと揺れながら落ちる変化球になるのよね。理由としては球速ね。
ナックルは押し弾くようになげるから、フワっとしたそんなにスピードが出ないのよね。それに制球も上手くコントロール出来ないから、ちょっと使い勝手が悪いのよう。
その点、フォークボールは真っ直ぐ進んで、そこからストンって落ちるから、ナックルボールよりは扱い易い変化球よ』
作品名:正しいフォークボールの投げ方 作家名:和本明子