正しいフォークボールの投げ方
「いくらボッコボッコに打たれて落ち込んでいるのは解るけど、生きていれば良いことあるよ! 根性よ! 根性出して行きましょう!」
ヒロが醸しだしていた負の雰囲気を察してか、飛び降りをすると思われてしまったのだろう。真っ先に飛び出した励ましの言葉が、それを物語っていた。
「あ、いや……。な、なんか勘違いしていない、タチバナさん」
「え……。そ、そうなの? ごめんなさい、私ったら。変な早とちりしちゃって……」
別に謝ることではない。考えてみれば、勘違いでは無いのだ。ほんの少しだけ、そう思っていたのも事実ではある。
むしろ察して止めに入ってくれたことに対して、沙希の優しさと抱擁にどん底だった気持ちが若干高揚した。
ヒロと沙希。二人の間に微妙な沈黙が流れたが、
「あ、そうだ。モトスギくん! なんで、練習に来ないのよ! 先輩たちも怒っているよ!」
沙希が本題を思い出し、叱り口調で言い放った。先ほど少し快気したものが、自分の代わりにと屋上から落ちたようだった。
「え、あ、その……」
「モトスギくんの気持ちも解らなくはないけど、その悔しい気持ちを乗り越えるためには、練習だよ! 練習! 根性で乗り越えて行こうよ!」
野球部のマネージャーだからなのか、それとも沙希の本質だからのか、野球の神様と同じような内容だったが、あれと比べて熱い言葉だった。しかし、沙希が言ったとしても今のヒロには伝わらない。
「……悔しい気持ちを通り越して、諦め気持ちだよ。タチバナさん……」
練習すれば多少なりとも上達するかも知れない。だが、焼け石に水のようなものだと諦観だった。元々はバスケ部で、野球の素人。普通に考えて、ここから野球が他の部員並みに上達するには、どれほどの時間と努力が必要か。そして、その努力を放棄する要因として、あの散々たる結果が重く伸し掛かっていたからだった。
ヒロの元気の無い顔に、声に……沙希は何を言っても説得は無理と判断する。
「もう……。だったら、タチバナくん。明日の休み、ちょっと一緒に出かけませんか?」
「えっ!?」
突然のお誘いに、心を覆い尽くしていた負の感情が吹っ飛んでしまう。
こちらの世界でも祝日はある。それが明日の『風の日』であった。その日が何の日なのかは、ヒロは解らない。元の世界でも祝日が何故休みなのか理由を説明出来る人は少ないだろうが、それはさて置き――
「この間の試合のこともそうだけど、気分転換にね。それに、モトスギくんは転校して来てから、外とかに出ていないみたいだから……どうかなって」
「それって……」
ここまで話しを聞く限りでは、どう考えても“デート”のお誘いのようなものだった。
「こんな所で一人でウジシウジしているよりも、外とかに出た方が良いよ。それでモトスギくん、どうする?」
当の本人では無いが、自分が好意を抱いていたウリ二つの相手から誘われたのだ。答えは決まっている。
「う、うん。こんな自分で良ければ是非ともに!」
先ほどと比べて、ハリがある声で返事をする。少しでも元気になってくれたようで、沙希の顔が明るくなる。
「それじゃ。明日、朝の九時に校門の前で待ち合わせしましょうか?」
沙希はヒロが寮に入っている事は把握している。ついでに沙希自身は実家からの通い。そんな理由を含めて校門を指定したのである。勿論、その指定に何の問題は無い。こちらの世界の地理はまだ不慣れではあるが、沙希の家まで迎えに行っても良かった。
「タチバナさんが、それで良ければ」
「解ったわ。あっ! 一応、先輩たちにまだ体調不良だって伝えておくからね。それじゃ、明日は宜しくね!」
そう言って、沙希は屋上から立ち去っていった。
てっきり怒られる……いや、一応注意はされたのだが、そこからまさかデートのお誘いをされるとは思いもしなかった。
ただの励ましの、お情けの、慰めのお誘いだったのかも知れないが、自分が好きな人にそっくりな沙希と一緒に出掛けられるのなら理由は何だって良かった。少し情けないとも思うが、喜びの方が上回っている。
異世界に来て……ここに来てしまって発端から不測な事態ばかりだったが、こんな事態ならば歓迎だと、暗く落ち込んでいたヒロは何処へやら。明日のデートに胸が一杯で、大きくガッツポーズをしたのであった。
『野球をやりなさいよ……』
野球の神様が呆れたように呟いた声は、ヒロには届いていなかった。
作品名:正しいフォークボールの投げ方 作家名:和本明子