グランボルカ戦記 6 娼婦と騎士
疑惑
溜まっていた仕事があらかた片付いた日の夜。
この日も食事よりも睡眠だと言って自分の部屋に戻っていったカズンは放っておくことにして、アリスとユリウスは一緒に作業をしていた文官達を誘って、城下でささやかな酒宴を開いていた。しかし、連日の作業で疲れの溜まっていた文官たちは一人、また一人と抜けていき、比較的体力自慢で、酒もザルであった最後の一人は「お二人のお邪魔をするのは野暮でしょう。」と言い残して帰っていった。結果として、アリスとユリウスは二人で向かい合って酒を飲みながら話をしていた。
いや、話をしようとしているのはユリウスだけで、アリスのほうは不明瞭なことを言いながらやたらとユリウスに絡みついていた。
(酒癖が悪いとは聞いていたけど、これほどとは・・・。)
ユリウスは、別れ際にカズンが言っていた『アリスに酒を飲ませるな。』という忠告を素直に受け取っておかなかったことを後悔していた。
(考えてみればあの人は僕らの関係について、比較的協力的だったんだよな。はあ・・・もう少し僕の視野が広ければ素直に忠告を受け取れたんだろうな。)
そんなことを考えながら、ユリウスがため息をつくと、それを目ざとく見つけたアリスが更に絡んできた。
「ああ!今面倒くさい女って思った!」
「思っていませんよ、そんなこと。ただちょっとカズンの事を考えていただけです。」
「なんで、恋人といるのにカズンのことなんて考えてるんですか!私にしつれーじゃないですかぁ!」
(うわあ、面倒くさい・・・。)
酒臭い息を吐きながら完全に言いがかりをつけてくるアリスを見て引きつった笑顔を浮かべながら、ユリウスは今度は心のなかでため息をついた。
「だいたいねぇ、ユリウスは気が多いんですよ!」
「・・・はぁ?」
それはどう考えてもアリスのほうだろう。そう口に出しかけてユリウスは思いとどまった。こんなことで喧嘩してもいいことはない。少しだけ場の空気に流されかけたものの、ユリウスの頭はまだハッキリとしていて、冷静だった。
「はぁ?じゃないですよ。わたしが知らないとでも思ってるんですか?ユリウスったら何かと言えばリュリュー、リュリュ―って。」
「それは、今この街にいるリシエールの代表が僕で、グランボルカ側の代表がリュリュだからでしょう。さすがにあんな子供に興味なんてありませんよ。」
「それだけじゃないですよ!お姉ちゃーん、お姉ちゃーん。ってエドのおしりを追い回してばかりで。お姉ちゃんならここにもいるじゃないですか!私だって立派なお姉ちゃんですよ!」
「もう意味が解らない・・・。」
そもそも、ユリウスはエドの尻を追い回したことなど一度もない。どちらかと言えば尻を叩いていたほうだ。しかもここの所エドはアレクシス達と一緒にセロトニアに行っており不在である。
「恋人の気持ちも汲み取れないで一人前の男のつもりですかぁ!」
「いや、もう今の貴女の気持ちを汲み取れる人なんて居ませんよ・・・。」
ユリウスがそう言ってため息をついたときだった。
一瞬、グンと上から押されるようなプレッシャーを感じて、ユリウスの中から魔力が消えた。アリスも同じだったらしく、先程までのだらしなく酔っ払った表情とは違う緊張した表情であたりを見回している。
「アリス・・・。」
「やられたわね。こんな街中で対魔結界なんてね。」
そう言いながらアリスは足のホルスターに着けたナイフに手を伸ばす。
「ユリウス。あなたはここの人たちの避難誘導を。」
「ぼ、僕が戦いますから避難誘導はアリスがしてください。」
戦闘は得意ではないユリウスだったが、彼にも男の意地がある。恋人を戦わせて自分が逃げるなどということは彼のプライドが許さない。
そんなユリウスの葛藤を見越したアリスが薄く笑って彼の頭を撫でた。
「ユリウス。人には得手不得手があるわ。この場においては私が闘う方が良いのはわかるでしょう?」
「でも僕は男だ!」
「あなたに男の意地があるというなら、強くなりなさい。私もエドもリュリュ様も守れるくらいにね。」
アリスはそう言って立ち上がるとナイフを抜いて入り口の方へと向き直る。しかし、アリスのその判断は結果的に間違いだった。
「アリス・シュバルツ!貴様をガミディ宰相殺害の容疑で捕縛する!抵抗は無駄である。大人しく投降せよ。」
酒場の外から聞こえてきた声は酒場に居た客たちの視線を一斉にアリスに集めた。
投降の勧告を受けているだろう女性がナイフを持って立っている。
戦う力を持たない一般市民がパニックを起こすにはそれだけで充分だった。
「あ、ちょっと。違うんですよ!」
アリスはそう言って敵意がないことを示そうと手を挙げるがナイフを持ったままのため、どう見ても凶悪犯がナイフを振り上げて威嚇をしているように見える。そんなアリスを見て酒場の中にいた客達は我先にと出口に殺到し、あっという間に酒場の中にはユリウスとアリスだけが取り残される。
「アリス・・・とりあえずそのナイフをおろしましょう。どうやら敵というわけではないようですし。ね?」
ユリウスがそう言ってアリスの手を掴んで振り上げていた手を下に降ろさせた。
「確保!」
客と入れ替わりに入ってきていた衛兵たちがアリスとユリウスを取り囲み、二人の手に縄をかけた。
「待て!僕は・・・。」
「リシエール第一王子、ユリウス・プリタ・リシエール。貴様にも共謀の容疑がかけられている。」
「僕もアリスもそんなことはしていない!大体僕はガミディなんて人間は知らないぞ。」
「ふん。白々しい。」
そう言って、口髭をたくわえた衛兵長が鼻を鳴らすが、ユリウスには本当にガミディという名前の人間に心当たりがなかった。
「・・・ユリウス。余計なことは言わないほうがいいわ。心証を悪くするから。」
「でも。」
「いいから。・・・ところで、ガミディ宰相が死んだというのは本当なの?」
アリスは衛兵長の方へ顔を向けてそう尋ねる。
「ああ。亡くなった。そして宰相の部屋から貴様が出てくるのを見た人間もいる。」
「・・・そう。そうね。彼を殺されたとしたら、私が疑われるのも仕方ないかもしれないわね。。」
「ふん。やっと認める気になったか。」
「ただ、共謀の線はないわ。だって、あの男を殺すだけなら別に私一人でできるもの。それともユリウスの姿も目撃されていたのかしら?」
「ぐ・・・それは・・・。」
「ならばユリウスの縄を解きなさい、国際問題になるわよ。いえ、それ以前にこの街でリシエール義勇軍がユリウス奪還のために蜂起でもして、人間同士で潰し合ってみなさい。人類の存続そのものが危うくなるわよ。それに運良くその戦いであなたが生き残ったとしても責任の追求は免れないわ。」
「う・・・ぬぅ。仕方がない。縄を解け。」
衛兵長がそう命令を下すと、すぐにユリウスにかけられていた縄が解かれた。それを見たアリスは満足気に笑うと、自ら酒場の出口に向かって歩き出した。
「アリス!・・・絶対僕が助け出しますから。絶対に真犯人を見つけてあなたの無実を証明してみせますから。」
「そんなことを考える必要はないわ。むしろ考えちゃだめ。あなたは頭のいい子だから・・・絶対に犯人を探しちゃだめよ。」
作品名:グランボルカ戦記 6 娼婦と騎士 作家名:七ケ島 鏡一