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京都七景【第十章】

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 【第十章 山門に散る(三)】

「というわけで、いよいよ山門に上ることとなった。だが、俺はすぐに後悔し始めた。というのも、知っての通り山門に上がる階段は幅が狭いうえに恐ろしく傾斜がきつい。しかも二人が並んで上れるようなゆとりもない。つまり俺が先に行くか後ろについて行くかしなければ彼女を支えて上ることはできまい。こう傾斜がきつくては間隔を空けなければきちんと支えることは難しかろう。もし前に立って、彼女の差し伸べた手に無理に俺の短い手を届かせようとすれば俺がバランスを崩して足を踏み外し彼女を道連れに落下してしまうかもしれない。これは絶対に避けなければならん。ならば後ろについていけばどうだろう。いや、やはり傾斜のせいで、間隔を空ける必要がある。その場合、おれの短い手では彼女の背中をささえるまでには届くまい。もし、一段下に位置取れば、近すぎて支えにならないばかりか逆にどうしてこんな近くにいるのかと不審を買うことにもなる。これも避けたい。」

俺は言い知れぬディレンマに陥った。どうしてもっと手が長く生まれてこなかったのか。だが、まてよ。だいたいこの傾斜で安全な間隔を保って手が届くとすれば、それは恐らく人間の手の長さではあるまい。おそらくテナガザルでも無理かもしれないのだ。

おれは決心した。よし、あとからついて行って足を踏み外しそうになったらこの手で足を支えるのだ。もし手がだめならこのひろい顔で受け止めればよい。と、まあ、最後の手段を思いつくと何だか俺もほっとして、いよいよ彼女をまもる覚悟ができた。

彼女は手すりに付いた綱につかまりながら階段を四分の三くらいまでゆっくりと直登していく。俺も綱につかまって彼女の足の裏に気を遣いながらついていく。と、ここで狭い踊り場が現れ、階段は左に直角に曲がって最後の十段くらいはさらに急傾斜になる。もはや直登は望めない。体を横向きにして一段一段スキーの階段登行をするような塩梅にのぼる。

さあ、山門の上だ。

彼女も無事である。俺は、気をよくして山門の中央に出て下を見た。

見渡す限りの紅葉である。俺はうれしくなって廊下を左に回り後ろの山側を見た。こちらも全山の紅葉である。しかも霧雨のせいか、重なる紅葉の枝枝の間を白い靄が山から市街の方へゆったりと下って行く。

秋はすべて山門の下にある。俺はふと、そんなことを思った」

「大山にしちゃ、情感のありすぎる光景だな。作り話じゃないのか」と堀井。

「残念ながら、本当の話だ。この『残念ながら』というところが、いつもの俺の展開を予想させて余すところがない。ここからがこの話の泣かせるところだ。と言ったって、泣くのは俺本人なんだから、まったくいやになるがな」と大山は口惜しそうに顔をしかめる。

「俺がもとの場所に戻ると、彼女は少し先の欄干に身を持たせて思いつめたように、じっと虚空を見つめている。顔色が遠目にも際立って白い。貧血でも起こしたのだろうか、と思う間もなく、彼女は急に片手で口を押さえると、急いで廊下の向こうに歩き出し、その先を右に曲がった。その速さがまた尋常ではなかった。気分が悪くなって吐き気がしているのかもしれない、何とかしなければ。俺は急いで彼女の後を追った。ところが山門の廊下はどういうわけか外側に傾斜していて、靴下をはいた俺を外へ外へと滑らせる。もちろん欄干があるから落下することはないが、歩くうちに欄干まで滑り落ちてゆく感覚はこの世のものとは思えない。俺はぜいぜいしながら、どうにか彼女に追いつこうと焦る気持ちを抑えつつ廊下を右に曲がった。だが、もはや彼女はそこにいなかった。早い。早すぎる。
もしかしてここから下へ落ちたのか。そんな途方もない考えが湧いてくる。

下を見た。何かが落ちた気配はない、人も騒いではいない。よし!俺は次の角を右に曲がった。

いた!少し先に、しゃがんだ彼女の姿が目に入った。

ああ、よかった、生きている。震える足を引きずりながら彼女のそばに行くと膝から力が抜けてそのまま俺は座り込んでしまった。しばらくは言葉も出ない。

見ると、彼女は両手で顔を覆って泣いていた。俺はこの状況をどう理解したらいいのかまるで分からなかった。俺だって泣き出したい気分だった。何かが掛け違っている。それだけは分かった。俺は苦しくなって前方を見た。白い霧の中で紅葉の赤がひときわ目に染みた。秋が一日深まった気がした。

「ごめんなさい」小さい声がした。

「こんなつもりじゃなかったのに、本当にごめんなさい」

「あの、どうかしたんですか」

「いえ、何でもないんです、何でもないの…、本当にごめんなさい、迷惑ばかりかけてしまって。でも、もうここにはいられないんです。本当にすみません。悪くとらないでください。わたしもこんなことになるなんて思ってもみなかったんです。ああ、でも、もうだめ、これ以上ここにはいられない。何度でもお詫びします。でもここにはどうしてもいられないの。許してください。失礼します」

彼女は脇に置いたバッグをつかんで逃げるように立ち去った。俺は、彼女の下りの階段が心配になってすぐに後を追った。だが、そんな心配はいらなかった。彼女は滑るように階段を降りて行った。それはまるで、この階段で昇り降りの練習を日課にしているスポーツ選手のような速さであった。

だが、下に着くとさすがの彼女も体力が持たなかったのだろう、座り込んでしまった。わたしは助けようと急いで階段を降りかけたが、それを見た彼女は、俺に追いかけて来ないように残った力を振り絞って「さようなら」と二,三度手を振った。それが彼女との恋の終わりだと俺は悟った。

俺は山門の上に戻って、彼女の後ろ姿が紅葉と白い霧の中に消えて行くのをじっと見つめていた、というわけさ。な、悲恋だとは思わないか」

「うーむ、確かに、カフカ女史の可憐さには胸を打つものがあるし、大山の切々たる思いにも同情を禁じ得ないではない。大山の行動はどうしても勘違いの喜劇という性格が強くなるが、今回は文句のない悲恋だと思う。感動したよ」とわたしが応じる。

「でも、これは双方ともに恋と言えるのかな。カフカ女史は何だかほかのことに気を取られているようだし、大山はまだ相手に好きだとも言っていないじゃないか。心を伝えて断られたときにこそ悲恋が成就するものだろう(変な言い方だが)。それに、カフカ女史だってまんざら大山が嫌いなわけでもなさそうじゃないか。何かその悩みが解決すれば大山にだって勝機がないとは言えないと思うが」

「そうか、そうか、さすが、露野くん。言うことが一々理にかなっている。俺もあるいはそんなことではないかと薄々疑ってはいたが、露野に言われてはっきりとわかったぜ。この恋はまだ始まってなどいなかったのだ、ならばもう一度始めてみてもいいはずだな」

「さあ、それはどうかな」と神岡が仔細ありげな表情をした。
作品名:京都七景【第十章】 作家名:折口学