夜とロボット
波をかきわける音と共に聴こえる、微かな金属の擦れる音。自分が生まれて、物心がついてからもずっと聴いてきた音。私はこの音が大好きだった。
キィ、キィ、
三軒向こうのジャンク屋のお爺さんは、この音を聞く度に早く家へ持ってこいと言うものだった。早くばらして、新しい相棒にでも作り替えてやればいいさ。そう言ってはウイスキーを瓶ごと煽り、よく奥さんに叱られていた。口喧嘩の絶えない、良く言えば賑やかな老夫婦だったが、奥さんが病に倒れたすぐ後に、お爺さんは愛用のロボットに潰されて死んでしまったらしい。原因は、床に転がっていたウイスキーの瓶だった。浜辺に転がっていたボトルシップを横目に、そんなことを思い出した。
ゆらゆらと揺れながら、ふと空を仰ぐ。月を見れたのは一体何ヶ月ぶりだろう。街が機械に埋もれてからは、夜でも排気ガスが邪魔をして月の欠片も見えやしないのに。そんな日に外に出ることが出来て良かったと、自然に笑みがこぼれていた。突然笑い出した主に驚いたのか、私を肩に乗せたままの相棒はぎこちなくこちらを見上げていた。見上げる、といっても、顔を模した鉄くずの継ぎはぎと、物を感知・判別するためのセンサーがこちらを向 いているだけだ。それでも私は、この鉄の塊を人以上に大事にしていた。祖父がくれたもう一人の家族。私の友人であり、父であり、母であり、兄弟でもある。祖父が亡くなってからは、祖父の役割も引き受けてくれた。
なんでもないよ、嬉しかっただけ。そう呟くと、彼はまた歩き出した。
キィ、キィ、
彼の金属音はおしゃべりだ。機嫌の悪いときは耳を塞がなくてはいけない程だし、熱心に他のロボットの手入れをする時はほとんど何も音がしない。機嫌の良いときは少し音が高くなり、照れくさい時は音がとても柔らかくなる。まるではにかむ子どものように、へにゃり、と間抜けな音もする。今日は彼も機嫌が良いらしい。軽快で、心地の良い音だ。
波打ち際を歩いていると、潮の香りに混ざって慣れ親しんだ油の匂いもする。母がこちらへ嫁いだ時に、耐え切れず 何度も何度も実家へ帰ろうとしていたらしい。それも祖父やジャンク屋のお爺さんから聞いた話だ。私が気づいた時には、世界は祖父とロボットとほんの僅かな人だけだった。
キィ、キィ、
薄暗い海岸沿いを歩いていると、いつも決まって珍客と出会う。今日は、犬、を模したロボット。もっとも、犬なんてものは擦り切れた写真でしか見たことがない。口のような排気口から垂れたゴムで、自分の足をペロペロと舐めるような仕草をしている。犬とはそのような習性がある、とジャンク屋のお爺さんが言っていた。確か、動かなくなった犬ロボットを解体しながら。
こんばんは。そう声をかけてみると、やはり相棒と同じような作りの顔でこちらを見てきた。
そこで何をしているの?誰の作品?そう訪ねると、今度は首を傾げたまま動かなくなってしまった。相棒に降ろしてもらい、その子の様子を見てみると、もう動力が悲鳴を上げているのがわかる。ジャンク屋のお爺さんと祖父がいたら、一度解体してもう一度作り替えていただろう。けれども、もう、そのようなことが出来る技術者はいない。
キィ・・・、キィ・・・、
金属音に悲しみの色が混ざる。きっと、彼は私よりも人間じみているのだ ろう。肩には私を、反対の手にはさっきの子を抱いて、相棒は静かに海岸線を歩き続ける。誰が作ったわけでもない、誰かが教えてくれたわけでもない、海岸線 の終点には、ロボットたちのお墓がある。私と相棒の、散歩の終点でもある。山となったロボットの残骸の中に小さなレンジが混ざっていた。扉などとっくの昔 になくなり、ただの箱となったそこへ犬の亡がらを置いてやる。
そうしてそこで朝を待つのだ。それが、街に残った私と相棒の日課。
誰かに愛されたロボットが1人寂しく終わりを迎えないように。
それから、私とこの子もいつかここで眠れるように。