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誘拐船と僕のはなし

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「ラブレターを書いたの」そう言った彼女の腕には、真新しい紙とガラス玉のないラムネ瓶。人気のない、明けたばかりの夜は、冷えた空気を残して坂の向こうへ行ってしまった。
 急な坂道のてっぺん、明滅を繰り返す信号と横断歩道の前でしゃがみ込んだ彼女は、イタズラを仕掛ける子どものようだった。ラムネ瓶に無理やり紙をねじこんで、当然のように瓶のくびれた所に紙がひっかかっても、どうにか収まらないかと指を入れたり振ってみたりして。満足げな表情を見せた時には紙がくしゃくしゃになっていた。ボトルシップ、という物を再現したかったようだ。
 信号が青になると同時に、ラブレターを乗せたラムネの瓶は横断歩道を転がっていく。からからからから、と、静かな街に音が響いた。少し歩けばすぐに追い付く。一歩踏み出そうとして、ダメ、という小さな声に僕は動けなくなった。彼女はその間もずっとラムネの瓶を見ていた。白いブラウスから淡く透ける肌も、浅い呼吸に合わせて小さく揺れる三つ編みおさげも、きゅっと結ばれた唇も、ボトルシップを転がした無邪気な彼女とは対照的で。きっとあの船が、手紙が、彼女を連れ去ったんだ。それなら僕の隣にいるのは誰なんだ。あの手紙を受け取れば、彼女に会えるのだろうか?
 からから、からから、転がる瓶は横断歩道の真ん中あたりで進路を変える。坂を下れば下るほど勢いを増しながら転がっていく。走ればすぐに追い付くだろう。僕の知っている彼女も取り返せるかもしれない。
 それでも足は動かなかった。息を潜めて睨みつけても、船は止まらない。姿が見えなくなって、からから、からから、と乾いた音が止むまで僕らは動けなかった。僕の耳元では、この日からずっと、からからと転がる瓶の音がこびりついて離れなかった。
作品名:誘拐船と僕のはなし 作家名:ゆき