ノーネットdayについて~ネット依存を考える~
このことはもう随分前から考えていました。
私が初めて〝ノーネットデイ〟という言葉を思いついたのは去年の夏頃です。
親友と話した時、
〝夜、パソコンの前に座って色々なサイトを見ていたら、たいして何もしてなくても
ただそれだけで時間が過ぎていくよねー〟
と話し合ったのが始まりだったと思います。
確かに、私の場合もそれに当てはまることは多々ありました。
別にたいした目的があるわけでもないのに、何となくネットに繋いで色々な
サイトを見てしまう。カッコよくいえば、ネットサーフィンとでも呼べるかもしれま
せん。
しかし、そこには、かつて私が経験したような怖ろしい落とし穴-とんでもないサイト
があったり、また、無為に貴重な時間を過ごしてしまうというデメリットがあります。
大体の場合、ネットをただ何となく眺めいても、得るものは何もありません。
そんなことをしているよりは、パソコンの電源は早々と落として
読書でもした方がよほど有意義な時間が過ごせます。
自分で判っていながら、友達と頷き合ったように、気がつけば毎夜、
同じことを繰り返しています。
ネットサーフィンもたまには良いと思います。
ウインドウショッピングのように様々な興味のあるサイトを覗くのも
得るものがあるかどうかは別として楽しいものです。
ただ、人間は元来、誘惑に弱い生きもの。
そこに興味を引くサイトがたまたまあって、クリックしたばかりに
闇の世界に引きずり込まれてしまう危険がないとはいえないのです。
そんなこんなで、では、とりあえず自分にもできそうな簡単なことから始めてみよう、
そんな気持ちで思いついたのがノーネットデイでした。
一週間に一度、ネットに繋がない日を作る。
要するに、ノーマイカーデイをもじったようなものです。
しかし、たったこれだけのことが非常に難しかった。
去年の夏頃は結構たくさんのサイトを掛け持ちしていました。
ブログだけでも三つはやっていたと思います。
その中でライブドアのブログではノーネットデイについて書いたことがあります。
しかし、気持ちだけは立派でしたが、結局、挫折しました。
あとの二つはやはり言えませんでした。
こっちは結構力を入れていたので、知り合いも多少はいたし、
偉そうなことを宣言しておきながら、挫折というのはあまりにも恥ずかしかった。
あれから1年がまた経ち、最近、私はまたノーネットデイについて
考えるようになりました。
果たして、これで良いのかな。
自分の居場所=作品の発表の場所があるだけで良いと思い得たように
やはり、今の自分は何かどこかが少し違っている
初心を忘れているのではないか、と思うようなところがあったのです。
一体、何のためにブログを更新しているのか
自分でも判らないときがありました。
更新したくてしているのか、しなければけないからしているのか。
小説を書くときの気持ちときとはまったく違う。
元々、ブログも同じ気持ちだったのは確かです。
書きたくて書きたくて、どうしようもなかった。
ブログをやるというのが私の長年の夢だったからです。
ネット小説の世界に入るよりもブログが先だったほどです。
なのに、いつしか更新したくてというより、更新が義務のように思えてきていました。
ちょっとこのままじゃいけないな、という気持ちがしています。
ノーネットデイといっても、私は最近はケータイ小説サイトを中心に活動していますし、
小説の更新は今のところ、休むことは考えられません。
なので、とりあえずブログだけお休みということになると思います。
となると、完全にネットに繋がないというわけにはいかない-。
その辺りがどう出るでしょうか。
しかし、考えるだけでは何も進みません。
今の状態に疑問を抱くのなら、まずは自分のできる範囲でできることをやってみる。
やれば、また、改善すべきところも自ずから見えてくるでしょう。
ブログでは恥ずかしくて書けないので、とりあえず、今の気持ちもこちらに
書いてみました。
このエッセイは完結にはせずに、随時、更新していこうと思います。
次に続きを書くとき、果たして、第一回目のノーネットデイが
どうなったか?
小説サイトには繋ぐのだから、本当の意味でノーネットとは呼べないと
思いますが、とりあえず、小説だけ更新したら
余計なサイトにはいかずにパソコンを閉じる、という決意で
臨もうと思います。
どうか健闘を祈ってやってください-笑。
☆ 評価やコメントを励みに 2013/10/06 ☆
私は時々、ブログのリンク先を見ます。
実はこれがブログを書くときのネタ探しに大いに役立ちます。
リンク先を見ると、不特定多数のどなたかがどこから、どういう記事で
来てくださったのかが判ります。
なので、必然的にどういうネタが好まれるのか、読まれるのかが判ります。
ネタ集めのときは、色々な話題、ジャンルから選ぶことです。
あまり一つのジャンルに特定するより、
自分の興味がある様々なことについて書くと良いと思います。
そうすると、そのジャンルごとに興味を持つ人が
見にきてくれます。
先日の文章はかなりネガティブでしたね。
なので、今日、書いている内容とは真逆な感じがして、
辛口な方からは、書いてあることの一貫性がないとご指摘を受けるかも
しれません。
ですが、心に思い浮かんだことをとりとめもなく書いていきますので、
その点はスルーしてくださると嬉しいです。
私がもう一つ、参考にしているのがリンク先と
評価です。
このサイトには良いねの評価がありますが、ブログサイトにはもう少し
多様な評価基準があるので、そういう評価を参考にして
こういう記事は皆さんの共感を得られやすいのだなと思います。
これも記事を書く上では参考になります。
かといって、これだけが決めてというわけではありません。
そもそも共感を得られやすいって、何が基準になるのか?
別に開き直るわけじゃないけど、評価基準や価値観は多種多様なので
良いね、とか、評価が少ないからといって、必ずしも
悲観することはないのではないでしょうか。
もっとも、世の中には常識とか良識とかいったものが存在します。
おおかたの人はその常識の枠内で物事を考え、評価します。
そういう良識から大いに逸脱した場合、
それは共感して貰えなくても仕方ない気もします。
ネットをするようになって、私が辿り着いたのは
細く長く情報を発信し続けることが大切ということでした。
マイナーでも良い、読んでくれる人が一人でも良い。
とにかく自分なりに続けてゆくこと。
つまり継続は力なり、です。
確か、これは他サイトのブログでどなたかが唱えていらっしゃった考えです。
私が初めて〝ノーネットデイ〟という言葉を思いついたのは去年の夏頃です。
親友と話した時、
〝夜、パソコンの前に座って色々なサイトを見ていたら、たいして何もしてなくても
ただそれだけで時間が過ぎていくよねー〟
と話し合ったのが始まりだったと思います。
確かに、私の場合もそれに当てはまることは多々ありました。
別にたいした目的があるわけでもないのに、何となくネットに繋いで色々な
サイトを見てしまう。カッコよくいえば、ネットサーフィンとでも呼べるかもしれま
せん。
しかし、そこには、かつて私が経験したような怖ろしい落とし穴-とんでもないサイト
があったり、また、無為に貴重な時間を過ごしてしまうというデメリットがあります。
大体の場合、ネットをただ何となく眺めいても、得るものは何もありません。
そんなことをしているよりは、パソコンの電源は早々と落として
読書でもした方がよほど有意義な時間が過ごせます。
自分で判っていながら、友達と頷き合ったように、気がつけば毎夜、
同じことを繰り返しています。
ネットサーフィンもたまには良いと思います。
ウインドウショッピングのように様々な興味のあるサイトを覗くのも
得るものがあるかどうかは別として楽しいものです。
ただ、人間は元来、誘惑に弱い生きもの。
そこに興味を引くサイトがたまたまあって、クリックしたばかりに
闇の世界に引きずり込まれてしまう危険がないとはいえないのです。
そんなこんなで、では、とりあえず自分にもできそうな簡単なことから始めてみよう、
そんな気持ちで思いついたのがノーネットデイでした。
一週間に一度、ネットに繋がない日を作る。
要するに、ノーマイカーデイをもじったようなものです。
しかし、たったこれだけのことが非常に難しかった。
去年の夏頃は結構たくさんのサイトを掛け持ちしていました。
ブログだけでも三つはやっていたと思います。
その中でライブドアのブログではノーネットデイについて書いたことがあります。
しかし、気持ちだけは立派でしたが、結局、挫折しました。
あとの二つはやはり言えませんでした。
こっちは結構力を入れていたので、知り合いも多少はいたし、
偉そうなことを宣言しておきながら、挫折というのはあまりにも恥ずかしかった。
あれから1年がまた経ち、最近、私はまたノーネットデイについて
考えるようになりました。
果たして、これで良いのかな。
自分の居場所=作品の発表の場所があるだけで良いと思い得たように
やはり、今の自分は何かどこかが少し違っている
初心を忘れているのではないか、と思うようなところがあったのです。
一体、何のためにブログを更新しているのか
自分でも判らないときがありました。
更新したくてしているのか、しなければけないからしているのか。
小説を書くときの気持ちときとはまったく違う。
元々、ブログも同じ気持ちだったのは確かです。
書きたくて書きたくて、どうしようもなかった。
ブログをやるというのが私の長年の夢だったからです。
ネット小説の世界に入るよりもブログが先だったほどです。
なのに、いつしか更新したくてというより、更新が義務のように思えてきていました。
ちょっとこのままじゃいけないな、という気持ちがしています。
ノーネットデイといっても、私は最近はケータイ小説サイトを中心に活動していますし、
小説の更新は今のところ、休むことは考えられません。
なので、とりあえずブログだけお休みということになると思います。
となると、完全にネットに繋がないというわけにはいかない-。
その辺りがどう出るでしょうか。
しかし、考えるだけでは何も進みません。
今の状態に疑問を抱くのなら、まずは自分のできる範囲でできることをやってみる。
やれば、また、改善すべきところも自ずから見えてくるでしょう。
ブログでは恥ずかしくて書けないので、とりあえず、今の気持ちもこちらに
書いてみました。
このエッセイは完結にはせずに、随時、更新していこうと思います。
次に続きを書くとき、果たして、第一回目のノーネットデイが
どうなったか?
小説サイトには繋ぐのだから、本当の意味でノーネットとは呼べないと
思いますが、とりあえず、小説だけ更新したら
余計なサイトにはいかずにパソコンを閉じる、という決意で
臨もうと思います。
どうか健闘を祈ってやってください-笑。
☆ 評価やコメントを励みに 2013/10/06 ☆
私は時々、ブログのリンク先を見ます。
実はこれがブログを書くときのネタ探しに大いに役立ちます。
リンク先を見ると、不特定多数のどなたかがどこから、どういう記事で
来てくださったのかが判ります。
なので、必然的にどういうネタが好まれるのか、読まれるのかが判ります。
ネタ集めのときは、色々な話題、ジャンルから選ぶことです。
あまり一つのジャンルに特定するより、
自分の興味がある様々なことについて書くと良いと思います。
そうすると、そのジャンルごとに興味を持つ人が
見にきてくれます。
先日の文章はかなりネガティブでしたね。
なので、今日、書いている内容とは真逆な感じがして、
辛口な方からは、書いてあることの一貫性がないとご指摘を受けるかも
しれません。
ですが、心に思い浮かんだことをとりとめもなく書いていきますので、
その点はスルーしてくださると嬉しいです。
私がもう一つ、参考にしているのがリンク先と
評価です。
このサイトには良いねの評価がありますが、ブログサイトにはもう少し
多様な評価基準があるので、そういう評価を参考にして
こういう記事は皆さんの共感を得られやすいのだなと思います。
これも記事を書く上では参考になります。
かといって、これだけが決めてというわけではありません。
そもそも共感を得られやすいって、何が基準になるのか?
別に開き直るわけじゃないけど、評価基準や価値観は多種多様なので
良いね、とか、評価が少ないからといって、必ずしも
悲観することはないのではないでしょうか。
もっとも、世の中には常識とか良識とかいったものが存在します。
おおかたの人はその常識の枠内で物事を考え、評価します。
そういう良識から大いに逸脱した場合、
それは共感して貰えなくても仕方ない気もします。
ネットをするようになって、私が辿り着いたのは
細く長く情報を発信し続けることが大切ということでした。
マイナーでも良い、読んでくれる人が一人でも良い。
とにかく自分なりに続けてゆくこと。
つまり継続は力なり、です。
確か、これは他サイトのブログでどなたかが唱えていらっしゃった考えです。
作品名:ノーネットdayについて~ネット依存を考える~ 作家名:東 めぐみ