カンバス上にて、宇宙世界。
閃くのは燐光、ぱちりと弾けて萩原先輩の顔を照らした一瞬の後、はるか遠くの星々と混じって消えていく。はためく紙の、翻るカーテンの奥。いつか確かに見た極光現象。
いつも通りの先輩に、いつも通りの生徒会室。彼女との逢引きがあるからと、一人先に出て行った生徒会長も相変わらず。人目を盗んで二人並べる、ふるぼけたパイプ椅子にて昼下がり。
眼前広がる木々の葉は深緑、それから少しの若草色。光のアクセントに白を添えて、影の部分には不思議と青が混ざる。手を伸ばして掴み取ろうとするけれど、そちら広がる景色まではあまりにも遠い。馬鹿だなあなんて思いつつ伸ばした左手を日に透かせば、す、と隣同じようにして伸ばされた右手が見えた。
「楽ちんだな」と萩原先輩が言った。
「何がですか」
「緑と、青と、赤と、黄色。それとちょっとだけの白。それで全部事足りる」
「何がですか」
「目の前の景色、見て御覧」伸ばした右手をそのままに、天文部の彼は言葉を謳う。風として吹き込んだ空気が甘くて、ああ春だなあと思った。
「木も、土も、陽の光も。全部が全部、少しの色で描けるようになっているよ。こんなに描くのが簡単な日は、そうそうない」
「でも、葉っぱは緑ですけれど、向こうの葉っぱとそっちの葉っぱ、少し違います。あっちのほう、くろいです」
「色が濃い場合はね、青を少し足せばいいのさ」
「なるほど。でも、木の、茶色い部分、黄色じゃかけません」
「そういうときは、赤と黄色と、緑を足せばいいんだよ」
「なるほど」
ついついと、説明しつつ先輩は人差し指を動かす。
葉の形、木の幹、古ぼけた花壇の輪郭をなぞるその指は、巨大なカンバスの上絵の具を乗せて走る筆とよく似ていた。
「太陽はね、俺はぐるぐる派だったなあ。塗り潰さないで、花丸を書くときみたいにするんだ」
「僕、塗り潰してました。丸いのかいて、くれよんで塗るます。そうするとよくはみ出るので、それを直そうとしてまた大きい丸かいて。結局最後はすごくおおきくなってました」
「あるある」そう言って先輩はくしゃりと顔を綻ばせた。
――ああ、と一人溜息をつく。
(きれいだなあ)
困ったように下がる眉、自然と染まる頬がゆるりと持ち上がって、普段目立たない彼の涙袋を強くする。愛しげにこちらを見る瞳は少しだけ潤んでいて、きらりきらり、蛍光灯と陽光を反射して弱く輝く。
思わず近づけた距離の、拒もうとも受け入れない。はっとしてもとに戻れば、くすりと悪戯気に笑われた。
「すいません、きれいかったので」
「そうか、綺麗かったか」
「はい」
恥ずかしさに汗をかく。けれども相変わらず先輩がえがおなので、それはよかったとおもった。
「何を書こうか」
「オーロラ」
「おーろらな。わかった」
つい、と先輩はカンバスの上指を動かす。いつもの微睡といつもの教室の外側に、遥か彼方の宇宙を感じた。
動く指先の軌跡をたどり、極光はゆるり、ゆるりと姿をくゆらせる。淡い緑に濃い紫、立ち上っては消えていき、そうかと思えばまた現れる。ただひたすらに揺らめくさまを目で追っていると、「楠木」と呼ぶ声が聞こえた。
「次はね、星を描くよ」言って先輩、花壇全体を指ではじく、ぱちりと静電気を帯びて恒星が生まれ、衛星軌道上を優雅にくるりと回った。景色の全体を掌で覆えば、吸い込まれるような黒曜色がそこに。
翻るカーテンはオーロラの一部へと溶ける。窓枠は衛星軌道のレールとなり、生える木々はどこか遠く、地球とまったく同じ形をした惑星に降り立った。
嗚呼眼前気付いて広がるのは、再びの宇宙だった。
作品名:カンバス上にて、宇宙世界。 作家名:ととのえ