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和尚さんの法話 「前世と来世」

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現在の仏教は間違っていまして、仏教学者や坊さんが、死後の世界を認めないのですね。
以前にもお話しましたが、和尚さんの宗派でアンケートをとったら、死後の世界を認めた坊さんが二割しかいないんです。
八割が認めなかった。
これは和尚さんの宗派だけじゃなくて、日本の全仏教会にアンケートをとっても同じような割合が出てくるんではないかと思うんです。
だから葬式も要らんという人が出てくるんですわね。
そういう人が出てくるというのは、これは坊さんの責任だと和尚さんはおっしゃいます。
ですから皆さん、どうぞあの世といいうのを信じていただきたい。
死んだら終いだというようなことを思ってるから今日のような犯罪が次から次から毎日起こってますね。
夫が妻を殺し、親が子を殺し、子が親を殺すというような、私が子供の時分にはちょっと、思いもよらないような時代になってきましたね。
これは、和尚さんは宗教家の責任だと思うそうです。

ということで今回のお話は、前世と来世というお話ですが、
我々がこの世へ生まれてきて、そこから人生が始まってきてそして死んだら終いというんじゃないんで、とにかく不滅なんです。永遠に不滅なんです。
生まれたり死んだり、生まれたり死んだりと、無間に繰り返してるんですね。
そして目覚めた人が修行をして、また生まれてきては修行をした人が、菩薩と成り如来と成る、というふうになっていくというのが仏教の教えです。
だから皆さんの中には、仏様というとお釈迦様か阿弥陀様しかお考えになってない人もあるんじゃないかと思うんですが、仏様の数は、我々は名前は知らないけど無数にある。
浜の真砂の数ほどの仏があるとお経に書いてます。
インドにガンジス川というのがありますね、そのガンジス川がお経の中に例えとしてよく出てくるんです。
ガンジス川は大きな川で、まるで海のような感じで向こう岸が遥かに見えます。
その川の砂の数ほど仏様があるというんです。
お釈迦様は、一番最近に仏様に成ったんですが、何回もこの世へ生まれてきては修行をして菩薩と成り、如来と成られたんです。
そして次に仏に成る人は決まっています。
それは56億7千万年という時間の後に弥勒という菩薩がこの世へ出くるとありますね。
弥勒菩薩というのは、お釈迦様のお弟子さんなんです。
お経の中にも出てきますね、その弥勒が今、兜率天という天上界に居られて、そこで56億7千万年居られて、そしてこの世へ出てきてお釈迦様のように仏教を広める。
と、こういうことになってます。
そういうことをお経に説いてますね。
弘法大師がその弥勒の所へ行ってるんです。
あの方はそうとうの位の高い方ですね。
だから自分の死ぬときもちゃんと予言してますね。
本年3月21日寅の刻なりと。
正月を超えたら私は3月21日寅の刻に死ぬと、そして死んだら兜率天に往生すると書いてあるんです。
そして56億7千万年後に私は弥勒菩薩についてこの世へ生まれてくると。
弘法大師はそういう遺言を残してますね。
そしてそれまでの間、私はあの世からおまえたちの真、不真を察すると、弟子たちに遺言を残したんですね。
おまえたちの行いを見ているぞと。
ところが、真言宗の坊さんはその遺言を信じない。
これは弘法大師の値打ちを付けるために後世の者が書いたものだというわけです。
そんなことはない、あれは弘法大師の本当の遺言だと思いますね。

昔の、北条時宗の時代に日本に偉い坊さんがいないので中国へ偉い坊さんをよこしてくれと頼むんですね。
そして来られたのが無学祖元という人ですが、後に国師号を贈られた人ですが、その人は悟ってました。

今の禅宗の坊さんは悟って、その弟子が印可を渡してまた弟子が悟ったら印可を渡して伝えてきてるんですね、悟ったということを認めてもらった人は官長さんになったりしてますけどね、ところが、悟ったら所謂、通力が出てくるはずなんです。
弘法大師は禅宗じゃないけど悟ってるから自分の死ぬ時期もちゃんと分かってるから予言したんですね。
この無学祖元という方も、神風がありましたが、そのことを予言してるんです。
本年春夏交わるの候、春から夏にかかる頃に博多がえらい騒ぎになると。
然し、まもなく治まるだろう、と。
だから時宗に心配なさいますなと、いうことが伝記にでてきますね。
或るときに弟子たちと一緒に坐禅をしてたんですね、そしたらその中の第一座の弟子にですね、第一座妄想することなかれ、といったんですが、その第一座が妄想してたんですね。
それを見抜いて言ったわけです。
弟子たちはそれで驚いて、この坊さんは偉い坊さんやなあ、中国にこんな偉い坊さんがあったんだなあと、いうことです。
弘法大師も自分の死ぬ時を予言しましたけど、この方も弟子たちに秋にひとつ大きな問題があるが、おまえたちは分かるかと聞いても誰も分かりません。
その時になにがあったかというと、その方が亡くなるんです。
だからあの方も自分の死ぬときをちゃんと予言したんですね。

ところが今の坊さんは悟ったというけども、そんなことを否定するそうです。偶然だというそうです。
我々も今は凡夫ですけれども、だんだんと修行を積んでやがて我々も菩薩と成り、如来に成らんなんと、それが仏教の教えなんです。
そういうことで今回は、今昔物語という日本の古典のお話をします。
今は昔という言葉から始まりますが、昔の話しでございますが、という作者が聞いたことなどを書いた文章ですけれども、その中から参考にちょっとここへ出しました。

一、
「今は昔、伊賀の国山田の郡噉代(くいしろ)の里に高橋の東人と云う者有り。一日亡母の為に法華経を講じ供養せんとす。家人に命じ「汝、今日、初めて逢える僧を有縁の僧として連れ来たれ」と。
家を出て、初めて出会った坊さんを縁のある方として連れてきなさいと、家の者に命じたんですね。

「家人、御谷の郷と伝える所ににて一人の乞食の僧に逢う。家人、僧の拒(こば)むも強いて連れ帰る。」
初めて出会った僧に、主人が言うてますのでというと、私はそんなことは困ると言うて僧は断るんですけども、
とにかく主人は、初めて出会った僧を連れて来なさいといわれたので、と連れてきた。

「施主、僧に法華経を講ぜしむ。」
その家の主人が、僧に法華経の講義をして欲しいといった。

「乞食曰く「我、少しも悟るところ無し。」
私は僧の格好をしてますけどれども、私は何も知りませんのです。

「唯、般若心経許りを讀みて年頃乞食し、命をつなぐ、我、講の師に堪えず」と云いて逃げんとするも施主許さず。」
昔は、僧があって、その家の人は頼みもしないけどお経を読んでいると、家の人が出てきてお金かなにか渡す。
今はそんな姿も見なくなったけど和尚さんの話しでは戦後間も無くまであったそうです。
そういうことで、この僧はいつも般若心経を読んでたんですね。
主人が講義をして欲しいというけど、とても私には講義などというようなことは出来ません、と言うて逃れんとするけど、主人は許さないんですね。
そして無理にその家へ泊められた。