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Mr.Melancholy

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車が、走ってゆく。
人が歩いてゆく。
見上げると、雲が流れていく。
今日の雲の流れはとっても早い。
今は青空が見えているけれど、数刻したら雨が降り出すかもしれない。
もう一度、視線を下に向ける。
ミニチュアのように、現実味のないリアルが広がっていた。
世界はこんなにも動いているのに。
あっと一歩踏み出せば、自分の望んでいた世界が手に入る。
いや。
正確に言えば望んでいたわけではない。
救いを求めている世界に到達することができる。
あと一歩踏み出せば。
この地獄が終わる。
さようなら。
さようなら。
俺が生きた世界。



Mr.Melancholy



「こんにちは。お兄さん何してんの。」

急に、人の気配が隣に降り立って、うつむいたままだった男ははっと顔を上げた。
男はぽかんと顔に書いてまぶたをしばたたかせる。

「俺は、元気。お兄さんは?」
「俺は、憂鬱。」
「初めまして憂鬱さん。」
「いや、えっと、元気って、名前ってこと?」

今度は元気が拍子抜けして、やがて笑い出した。

「アイムファイン、センキュー、エンドユー」

笑いながら、そう言った。

「俺、憂鬱さんって気に入ったから憂鬱さんって呼ぶね。」

好きにしてくれ、と男は言った。

「憂鬱さん、年はいくつ。」

「27歳。」

「そうなの!疲れた顔してるからもっと年上かと思った。俺は22だよ。」

ずうずうしいやつだ、と男は思った。
質問ばっかりだし、聞いていないことをつらつら話しかけてくる。
おまけに他人の歳にまでケチをつける気か。

「まぁ、座ろうよ。」

元気は、そういって建物の角に腰を掛けた。

「元気君は怖くないのか、ここが」

「憂鬱さんは怖いわけ?そんなはずないよね、だったらこんなところにいない。」

ここはビルの屋上の端っこ。6階建てで、落ちたら怪我では済まない高さはある。
男は、むっとして元気を睨み付け、それでも言われるがまま隣に腰かけた。

「説得する気なら、無駄だ。」

「説得はしないけどアドバイスはしようかな。」

元気は、にっこり笑って向かいのマンションを指さした。
今いるビルの二倍は高い。

「飛び降りるなら、こっちよりあっちの方がいいよ。このビル20メートルもないし、痛いと思うよ。痛くない方がいいじゃん?ぽっくり逝きたいじゃん?」

「痛いかどうかは関係ないんだ。だってもう、俺の感じる痛みに意味なんてないだろ。」

わかってないなぁ~
のんびりと元気が言う。

「痛いよ。意味はないかもしれないけど、死ぬときの痛みって、本当に痛い。言葉でしか伝えられないのが本当に残念。」

「変な奴だな。死んだことあるみたいに。」

「あるよ。あるから言ってる。経験則。あれはもう死にたくないって思うね。」

男は、疑り深く元気を見る。
何を言ってるんだこいつは。
今のは笑うところだよ、なんて言ってるのがどういう意図なのかさっぱり読めない。

「元気君はわざわざそんなことを言いにここに来たのか」

さっさといなくなってほしい。
元気と話していたら決心が鈍る、なんてことは起こらない。
起こらないけれど、元気の目の前で実行するのは気が引ける。
早々に立ち去っていただきたい。

「そうだよ。いや、個人的にはそうなんだけど。仕事をしなくちゃいけなくって。」

「しごと?」

うんうん、と頷きながら、元気は胸ポケットからくしゃくしゃに折りたたまれた紙を取り出した。

「20XX年X月X日死亡者なしって書いてあるんだよ。今日はさ、俺の管轄では誰も死なないはずなの。でもさ、憂鬱さんが死んだら予定が狂っちゃうわけじゃない?それで、様子を見に来たってわけ。」

「なんだよ、死神ごっこか。22にもなって、そんなことして恥ずかしくないのか。」

「恥ずかしくはないけど、ごっこじゃないんだよね。ねぇねぇ。憂鬱さんはこの世の何が不満でここから飛び降りるわけ。」

ふ、ま、ん。
ゆっくり呟いて、男は首を傾げた。

「別に不満はない。」

「ああそう。」

元気は、特に何の感動もなさそうだった。

「生きていることに意味を感じない。ただ、人生を消費しているだけだ。何かに理由を付け、人生を楽しいふりをして過ごすやつもいるが、やっていることはみんな一緒。命が終わるのを待っているだけだろ。」

なるほど。
元気は頷いて見せた。

「俺は死んだように生きていくのはごめんだ。」

「憂鬱さんにもう二つほどアドバイスをあげよう。」

男は、空を見上げた。
やはり風が強い。
太陽は雲の向こうに追いやられている。

「なんだよ」

早く死なせてくれ。
男は元気の顔を見た。

「生きていることに意味を感じない、でも死ぬことにも意味なんてないよ。」


男は、はっと息をのんだ。

「あと一つは。」

「死んだように生きていくのはごめんかもしれないけど、このまま死んだらたぶん死んだように死につづける羽目になる。」

「なんだそれは。」

「無限の時間をさまよわなければならない。俺が、そうであるように。」

ぞっとした。
天寿を全うするのでさえ恐ろしいと思っていたのに。
無限の、時間。
想像しただけで背筋が凍る。

「信じてくれるかわからないけど、うまく生きられなかった人間には罰がある。きっと、憂鬱さんにとって一番酷な罰だよ。」

「死をもってしても俺は救われないのか。」

絶望。
この世にあるのはいつも、ただ平等な絶望だ。
心が痛まないように、鉄の壁で守った。
心は痛まなくなったが、何も感じなくなった。
残った虚無感が教えてくれた。
お前の友達は絶望だと。

「俺が言うのはこれだけだよ。もしさ、あの世で会ったら、よろしくね。」

そういって、元気は消えた。
灰色の曇天に溶けるように、吸い込まれるように、消えた。

男は空を見上げる。

「盲点だったな。」

死にすら、意味はないのか。

男は重い腰を上げ後ろを振り向いて柵に手をかけ、上った。
柵の内側に降り立つと、雨が降り出した。
ぬるい、雨だった。
誰かの涙みたいな、温かい雨だった。

一歩踏み出した先に待っていたのは永遠だったか。
永遠なんかいるもんか。
やめてくれ。

永遠を思うと、恐ろしくて涙が出た。
でも、そんなことにも意味はない。

この意味のない世界で自分は生きていかなければいけない。

この世にあるのはいつもただ平等な絶望だけだ。
作品名:Mr.Melancholy 作家名:姫咲希乃