ある神父の告白
人の感情の中で、一番醜いのは、嫉妬であると。
誰かをねたむ心です。
古代の日本では、「うはなりねたみ」といって、かなり悪い印象を持ったようで、それは西洋でも同じことが言えました。
もうじき、動乱の世が始まり、吾らがコリニー提督など、ユグノー教徒を率いて王宮に乗り込み、カトリーヌ・ド・メディシスをつぶす勢いなのです。
女王は・・・・・・女王も嫉妬に心を奪われてしまったのか。
人は誰かを憎まないでは、いられない存在なのです!
それは何も、貴族や王族に限ったことではない。
かくいう私もおそれています。
私はいけないことと知りながら、ある娘に恋をしてしまいました。
若気の至りと申しても、修道僧であるこの私が!
なんと愚かだったのでしょう。
神よ、ゆるしたまえ。
慈悲をおあたえくだされ。
そして罰をおあたえになってもかまわないから・・・・・・もう一度彼女に会わせて下さい!
シャルルは洗礼名をヨハネとし、ユグノーに改宗したところであった。
ところがそのころから、いわゆるユグノー戦争に巻き込まれ、シャルルは修道院から依頼を受け、病院の手助けをしに街へ向かう途中、美しい娘に心を奪われてしまったのだ。
これが運のツキである。
彼女は東洋系・・・・・・日本人であった。
「フランス語、わかりますか」
シャルルは軽く会釈をし、微笑む彼女にそっと、尋ねた。
「はい、少しなら」
「よろしい。・・・・・・もっと知りたいと想わないかね。ああ・・・・・・我々フランス人のこと」
娘は怪訝そうに首をかしげ、ようやく意味を解したらしく、
「ウィ、ムシュー(はい)」
と答えた。
「よろしい、では夕方五時に僧院までいらっしゃい。待ってるよ」
シャルルは胸を弾ませ、彼女の来るのを待ちわびた。
――女王は言いました。
「私がコリニーを憎んだのは、じつは愛していたからじゃ」
・・・・・・と。
愛するがゆえに、激怒して殺害?
それはおかしい。
私にはわからなかった・・・・・・彼女を愛するまでは。
愛情とは、常に憎しみを伴っていたのだ。
それはつまり、生きている今、死をも同時に抱えている現実と、あまりに似ていた。
生きながら死ぬ、生きることはゆるやかに死ぬこと、ともいう。
日本人の娘は、シホといった。
シホは・・・・・・ヘンリクという将校を愛し、捨てられた。
なのに、彼女はそれでも、ヘンリクを愛しているというのだ!
これが泣かずにいられようか。
私は生まれてはじめて、人を憎んだのです。
あの男がにくいと。
だから・・・・・・殺した・・・・・・。
「やめて、やめて、神父様、やめて!」
シホは狂ったように泣き叫び、私を押さえつける。
けれども、私の一度暴走した感情は、たやすくとまらなかった。
歯止めが利かなかったのです。
「こいつさえいなければ、シホは私のものなのに!」
「やめてぇ!」
ぐさっ! ぐさっ、と何度となくヘンリク士官の胸にナイフを突き立てる。
聖堂の清らかな空気は、一瞬で真っ赤に染まる。
どす黒い血痕が、手につこうが修道服につこうが、かまわなかった。
――ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!
私は何度となく、何度となく、ヤツの心臓に、つきたててやったのです・・・・・・。
聖書などがさすように、本当に人が人を憎まずになどいられるのでしょうか。
私はいまだに疑問です。
ならばなぜ、戦争は立て続けに起こるのですか?
愛がすべてというならば、戦争を終わらせるのはたやすいことでしょう。
ひもじい農民が飢えて死ぬこともないでしょう。
私は内戦の悲しさを知っています。
従軍医師としても兵隊に付き添い、経験しましたから。
そんな私が見つけた、一輪の花は、私を満たしてくれましたが、同時に毒でもあった。
私は自分が情けなかった。
牢獄に入れられ、脱獄も考えましたが、すでに体力はうせ、やる気がおこらない。
もうどうでもいいとすら・・・・・・。
これはひとりの司祭が起こした、16世紀の事件簿であった。
※マノン・レスコーの主人公、シュヴァリエ・ド・グリュー風に描写しました。