使者
昔、と一口に言ってもどれほど昔なのかはイェニも知らないが、誰かの言う昔と比べると、使者が訪問する機会は大きく減っているという。彼らの訪問を受けるにふさわしい人物が少なくなっているのか、別の理由があるのかどうかについては、これもわからない。ただ、古くからこの仕事をしているイェニの同族についても、彼女の知る範囲の昔と比べると明らかに人数が減っていると感じられる。彼女が仕事を始める前は、確かもっと多くの仲間がいて、どこに行くのかは知らないながら使者として出かけて行くのを見送った憶えがある。しかし、今はどうだろう。イェニが出発するのを、誰かが見ていただろうか。同僚たちが出かけていくのを、彼女自身は気にかけて見ていただろうか。つい最近のことでもあるはずなのに、どうにもはっきりしない。記憶が曖昧というよりは、記憶していないのかもしれない。そういえば、最近は姿を見なくなった仲間が幾人もいるような気がする。あれは誰だっただろう、という面影が何人か脳裏に浮かんだが、顔は輪郭だけではっきりせず、名前はまったく思い出せない。彼らはどこに行ってしまったのだろう。いや、本当に自分の近くにいたのだろうか。これは、まだイェニが使者としての努めをこなす資格があり、この場に残されているということなのか。あるいはその逆で、もう必要もないのにこの仕事をしていて、何かに置いて行かれてしまっているだけなのか。
ふと、仲間の誰かが、最近は夜が明るくて良くない、と言っていたことを思い出した。どのような意味で言ったのかはわからないが、確かに人間たちもそれ以外の者たちも、夜を遅くまで過ごす傾向にある気がする。焚き火からランプに、そのランプも改良が重ねられて長時間を安い費用で照らすことができるようになっている。ヒカリゴケや夜光虫に頼っていた種族の中にも、人間と友好関係を結んでいる者たちはランプを輸入しているところもあるという。それは非常に貴重で高価な品として取引されており、夜を明るく照らすというのは昼間に生きてきた者たちにとっては何かとても大きな価値を持つものであるらしい。
それはともかく、人々が眠らなくなると、使者の仕事は減るのだろうか。暗闇が減るということは、闇の道を歩くイェニたちにとっては活動の場が狭められるということではある。だが、それはあくまでも物理的な話であり、本質として人間を含む生き物は産まれ、生き、死ぬことに変わりはない。使者たちの一番の得意先である人間の数は増えている。数が増えれば、それだけあらゆる可能性が増えるのではないか。偉大な人物、偉大な発見をする者が増えるのではないか。そして、死ぬ数も増えるのではないか。そう思うのだが、そうであるにもかかわらず使者の仕事が減っているということは、使者を迎えるに足る人生を送る人間が減っている、突き詰めればそのような人物が必要とされることがなくなってきているのではないか。この予測が当たっているとしたら、それは良いことなのか、悪いことなのか。数が増え、それに伴い人間自体は小さくなっているのだろうか。またしても、イェニには答えの出しようがない疑問が浮かび上がってきた。
何かを引きずるような物音に、イェニの意識は目の前の暗闇に引き戻された。音は、前の方、少し離れた場所から聞こえてきた。砂の上でごく軽い何かを引きずるような音。そう思わせたが、実際は馬の吐息だ。使者の乗る専用の一人乗り馬車を引く馬が、待ちくたびれて退屈しているのだ。彼女はイェニと違い、少しばかり気が短い。いつも暗闇の中で物思いに耽るイェニに待たされているので、いつの頃からか、我慢が出来なくなるとわざと大げさな息づかいで主人の気を引こうとするようになった。馬車につながれて身動きが取れないし、普通の馬のように草でもむしって気を紛らわせることもできない。もう少し察してもらいたいものだ、とでも言っているようだ。使者と馬は最初から最後まで仕事を共に行う相棒として活動する。お互い、相手の性格は心得ているので、馬としてもある程度待ってやったのだからそろそろいいだろう、という頃合いを見計らっての合図だったのだろう。
そんな相棒の様子を感じ取り、イェニはようやく立ち上がった。どれほどの時間、座り込んでいたのだろうか。本当に、暗い性格だ。自嘲気味に思う。いつも、このような具合で意味があるのかないのかわからない物思いに延々と時間を費やしてしまう。時間は貴重なものだ、というのが一般的な考え方、少なくともある程度の知性があり、時間が有限である者たちの共通する認識だろう。そして時間はイェニにとって無意味だが、彼女を待つ老人にとっては貴重なもののはずだ。しかし同時に、職責を果たさなければならないイェニにこそ時間は大切なもので、先の見えた老人は既に時間の束縛からは解放されている、とも言えるかもしれない。時間というものは、それがほぼ無限に残されている者にとっても、既にほとんど残されていないものにとっても、意外にも等しく無価値なものなのかもしれない。
しかし、このままのんびりしていては時間切れになってしまう。既に夜は半ばを過ぎてしまっているはずだ。仕事は今夜中に、夜明けまでに片付けなくてはならない。この町で夜明けを迎えることは、イェニには許されないことだ。無限に近い時間を生きる者たちにとっても、例えその価値はばらばらだとしても、何か目的を持って行動する際には時間は有限なものになる、ということなのだろう。時間とは、無限と有限を同時に内包しながら流れていくものなのかもしれない。
再び、今度は時間に関する曖昧な思考の波が足下からにじり寄ってくる。軽く頭を叩き、同じ程度の力で地面を蹴り飛ばす素振りで何とか波を振り払うと、使者イェニは頭を抱え直して乗り手を待つ馬車へと戻っていった。待たされた彼女の相棒にとっては、待たされた時間はとても無価値なものだったに違いない。