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吉葉ひろし
吉葉ひろし
novelistID. 32011
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マリと霧子

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霧子に出会ったのは東京での生活のなかであった。まだ社会人となって3年目の事である。まだ駆け出しの車のセールスマンであった頃であるから、今から30年も前の事になる。先輩からローラー作戦を教えられ、手当たり次第に訪問をしていた。あまり乗り気ではなかったから、個別の住宅よりも早く、パンフレットがさばける集合住宅を選んだ。むろんパンフレットを配るだけではあまり意味がないので、チャイムを押す。ほとんどの家は留守が多いが、時々は『どなたですか』と声がする。これも先輩から教えて貰った。車のセールスですと言うなと言う事である。
「今日はサービス品をお持ちしました」
「なんの」
多くはこの言葉と同時にドアを開けてくれる。セールスのチャンスである。用心深い方はチエーンをかけている。霧子もそうであった。そうこれも先輩仕込みであった。ドアを閉められないために靴を玄関に半分ほど入れることだ。その靴も工場で使う安全靴であるからドアに挟んだとしても足に怪我などはしない。
「こちらの車のパンフレットとポケットテッシュです」
「免許ないわ」
同時にドアを勢い良く締めた。
「痛て~」
宏はオーバーに声を出した。
「ごめんなさい」
彼女はチエーンを外し、ドアを全開した。
「なかにお入り下さい。手当しますから」
「大丈夫です」
「後になって骨が折れていたなんて言われても困りますから」
「そんなこと言いません。名刺です。きちんとした会社ですから・・・」
「そうですか、でも足は見せてください」
「もう痛くないですから」
「私にもあなたの足を挟んだ責任がありますから」
「絶対に後から文句は言いませんから」
霧子も宏もあ互いが笑いだした。

 霧子は看護婦(看護師)であった。どちらからともなく付き合いが始まった。霧子が免許を取得した知らせがあった頃だと思う。車に乗らないと運転感覚が鈍るからと宏が誘ったのかもしれないが、あれから半年もして宏にその事を知らせた霧子かも知れなかった。
 霧子はそれから1年ほどして北海道に帰った。
「私の名前は父がつけたらしいの。父の隠し子、だから霧の中ににぼんやりと居て欲しいって
・・芸能人だから・・ときどきテレビで観るけれど・・実際に逢ったのは5歳まで・・」
帰途に旅立つ空港で霧子はそんな事を言った。霧子は北海道の住まいを教えてはくれなかった。霧子との付き合いで体の関係がなかった事は事実であった。今考えれば、霧子は自分の子には自分の思いはさせたくなかったのだろうと思う。

宏は霧子と別れた後に見合い結婚した。それは平凡な家庭で幸せな家庭であった。長女が大学に入学するために北海道に行き、その時、宏は霧子の事を思い出した。妻を一人で帰し、宏は小樽に行った。なぜか霧子は小樽にいるような気がしたからである。まだ雪の残る春であるから、霧は立ち込めてはいなかったが、霧子の雰囲気は感じられた。
 赤煉瓦の建物の近くで霧子に似た女性に声をかけられた。
「シャッター押してくださいますか」
宏が気持ちよく答えると
「記念にいかがですかお送りしますから」
と言ってくれた。
そのカメラはデジカメであったから直ぐに写真を観る事が出来た。宏は女性の好意に甘え名刺を渡した。
マリとのメールの交換が始まった。マリは余りにも霧子に似ていた。容姿だけではなかった。言葉使いも似ていた。宏がそんな風に思いこんでいたのかも知れない。
今まで妻以外の女性に感心も無かった宏は霧子を慕う気持ちからマリにその気持ちを伝え始めた。
マリは離婚して間も無い時であった。宏の言葉はマリの心を癒してくれた。無論どちらも会うことなどは気持ちには無かった。それだけに本当の気持ちを伝えられたのかもしれなかった。マリとのこともどちらから言い出したのかは解らなかった。
「東京に行きたいです」
「小樽に行こうと思っています」
そんなメールが続いたけれど、それを乗り越える勇気は無かった。今度逢えばどの様になるかはお互い知っていたからである。
宏に知らせることなく、マリは携帯を換えた。宏が写真を送った時の住所を探し出し、逢いに来てくれたならマリは身体を許しても良いと思っていた。
一人でいられる事など出来ないと知っていたから、不倫であっても宏ならと思っていたのだ。
1年経ち2年3年と過ぎた。宏はマリを忘れる事は出来なかった。いつも霧のなかにぼんやりと見えるマリと霧子の姿が重なっていた。
何時か逢う事が出来るかもしれない、そんな思いだけが宏の気持ちのなかにはあった。







作品名:マリと霧子 作家名:吉葉ひろし