親子
ただ私は無性にイライラした。理由はよくわからない。
兄貴が母と一緒に世話をしているので、私は正月に帰った時にしか親父と会わなかった。
ある日突然実家から電話が掛ってきた。
親父が危篤状態になったそうだ。
そんな話を聞いても私は動揺しなかった。
むしろ、仕事で新しく立ち上げたプロジェクトが難航していたので「なんで今なんだよ」と憤りを感じたくらいだ。
とにかく一度帰ってこいとの事だった。
私には仕事があると言うと母は「別に行き詰っているなら問題ないじゃないか」という理屈になっていない理屈を持ちだした。
こうなった時の母は絶対に引き下がらない。スティーブン・セガールが負ける事があったとしても、この母は絶対に折れる事がないだろう。
「わかったよ、帰るよ」
正直気乗りはしない。ここで帰らないという手段もある。ただ母に対して嘘を吐くのは嫌だった。仕方なく帰り支度をする。
正月以降訪れる実家は少しくたびれた気がした。一家の大黒柱である親父が衰弱しているからだろうか。
親父が寝ているという部屋に入る。少し消毒液のような匂いがする。
久しぶりに見た親父は随分小さく感じた。こんなに頼りなかっただろうか?
「今寝たばかりなんだ」
兄貴の目の周りはクマが凄かった。充血もしていた。ちゃんと寝ていないのだろう。
「兄貴休んでこいよ。親父は俺が見ておくからさ」
「ありがとう。何かあったらすぐ呼べよ」
寝ている人間の面倒をみるなんて子供でも出来る。それに兄貴の体調の方が心配だ。
しばらくは時計の秒針が刻む、無機質な音だけが響いた。
時を刻む音ならもう少しロマンティックな音にならないだろうか。
「・・・か?」
親父が目覚めたようだが、なんと言っているのかよく聞き取れなかった。
「苛められたのか?」
「いじめ?」
「あぁ、お前がそんな浮かない顔しているなんて珍しいからな」
呆けているはずの親父が俺の事をちゃんと認識している・・・
「親父、俺の事が分かるのか?」
「当たり前だろ、私の大事な息子だ、忘れるはずないだろう。で、誰に苛められた?城山か?」
あぁ、やはり親父は呆けているようだ。その記憶は俺が中学生の時のものだ。
「いいか、苛められたら俺に言えよ。守ってやる」
やはりそうだ、中学時代俺が苛められていた時にかけてくれた言葉だ。
「どうした、なんで泣いているんだ?」
気が付いたら涙が頬を伝っていた。
「そんなに辛い目にあったのか?よし、待ってろ父ちゃんが助けてやる。だから泣くなよ」
「俺は大丈夫だよ」
涙ぐみながら必死に答える。
「強がるなって。大丈夫だ、私に任せろ」
「本当に大丈夫だよ」
何故こんなにも涙があふれるのかわからない。
「そうか?なら良い言葉を教えてやる」
「ぎゅっと握って、手のそれを見ろ。それがこの世でたったひとつ…おまえと大事な人を守る、力強いこぶしなのだ、だろ?」
「なんで知っているんだ?」
「親父が前に教えてくれたんだろ?」
「まぁ私が考えた言葉ではないんだけどな」
「それもその時に聞いた」
「なに!?おかしいな・・・俺も呆けたか?」
「そうだ、呆け老人だ」
「こら、親父に向かってなんて事を言うんだ」
「ごめんよ、父さん」
「わかればよろしい・・・少し疲れたな、ちょっと寝かせてくれ」
「いいよ、ゆっくり寝なよ」
そういう前に親父はまた眠り始めた。
それから2日程経って親父は息を引き取った。あの時のような事は二度と起こらず、私は白昼夢を見ていたのではないかと思い始めた。
ただ少し気分が晴れている。親父が死んだからではない。それだけは言える。