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親子

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親父が呆けた。80歳を超えていたので別段不思議な事ではない。
 ただ私は無性にイライラした。理由はよくわからない。
 兄貴が母と一緒に世話をしているので、私は正月に帰った時にしか親父と会わなかった。
 ある日突然実家から電話が掛ってきた。
 親父が危篤状態になったそうだ。
 そんな話を聞いても私は動揺しなかった。
 むしろ、仕事で新しく立ち上げたプロジェクトが難航していたので「なんで今なんだよ」と憤りを感じたくらいだ。
 とにかく一度帰ってこいとの事だった。
 私には仕事があると言うと母は「別に行き詰っているなら問題ないじゃないか」という理屈になっていない理屈を持ちだした。
 こうなった時の母は絶対に引き下がらない。スティーブン・セガールが負ける事があったとしても、この母は絶対に折れる事がないだろう。
 「わかったよ、帰るよ」
 正直気乗りはしない。ここで帰らないという手段もある。ただ母に対して嘘を吐くのは嫌だった。仕方なく帰り支度をする。
 正月以降訪れる実家は少しくたびれた気がした。一家の大黒柱である親父が衰弱しているからだろうか。
 親父が寝ているという部屋に入る。少し消毒液のような匂いがする。
 久しぶりに見た親父は随分小さく感じた。こんなに頼りなかっただろうか?
 「今寝たばかりなんだ」
 兄貴の目の周りはクマが凄かった。充血もしていた。ちゃんと寝ていないのだろう。
 「兄貴休んでこいよ。親父は俺が見ておくからさ」
 「ありがとう。何かあったらすぐ呼べよ」
 寝ている人間の面倒をみるなんて子供でも出来る。それに兄貴の体調の方が心配だ。
 しばらくは時計の秒針が刻む、無機質な音だけが響いた。
 時を刻む音ならもう少しロマンティックな音にならないだろうか。
 「・・・か?」
 親父が目覚めたようだが、なんと言っているのかよく聞き取れなかった。
 「苛められたのか?」
 「いじめ?」
 「あぁ、お前がそんな浮かない顔しているなんて珍しいからな」
 呆けているはずの親父が俺の事をちゃんと認識している・・・
 「親父、俺の事が分かるのか?」
 「当たり前だろ、私の大事な息子だ、忘れるはずないだろう。で、誰に苛められた?城山か?」
 あぁ、やはり親父は呆けているようだ。その記憶は俺が中学生の時のものだ。
 「いいか、苛められたら俺に言えよ。守ってやる」
 やはりそうだ、中学時代俺が苛められていた時にかけてくれた言葉だ。
 「どうした、なんで泣いているんだ?」
 気が付いたら涙が頬を伝っていた。
 「そんなに辛い目にあったのか?よし、待ってろ父ちゃんが助けてやる。だから泣くなよ」
 「俺は大丈夫だよ」
 涙ぐみながら必死に答える。
 「強がるなって。大丈夫だ、私に任せろ」
 「本当に大丈夫だよ」
 何故こんなにも涙があふれるのかわからない。
 「そうか?なら良い言葉を教えてやる」
 「ぎゅっと握って、手のそれを見ろ。それがこの世でたったひとつ…おまえと大事な人を守る、力強いこぶしなのだ、だろ?」
 「なんで知っているんだ?」
 「親父が前に教えてくれたんだろ?」
 「まぁ私が考えた言葉ではないんだけどな」
 「それもその時に聞いた」
 「なに!?おかしいな・・・俺も呆けたか?」
 「そうだ、呆け老人だ」
 「こら、親父に向かってなんて事を言うんだ」
 「ごめんよ、父さん」
 「わかればよろしい・・・少し疲れたな、ちょっと寝かせてくれ」
 「いいよ、ゆっくり寝なよ」
 そういう前に親父はまた眠り始めた。
 

 それから2日程経って親父は息を引き取った。あの時のような事は二度と起こらず、私は白昼夢を見ていたのではないかと思い始めた。
 ただ少し気分が晴れている。親父が死んだからではない。それだけは言える。
 
 

作品名:親子 作家名:ハヤコー