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アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一

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「そういや、『最近頑張ってる』って、どういう事だ?」
 四階の渡り廊下を歩きながら、祐一は平田に訊ねる。
「あぁ。やっぱ、コーラス部なんて珍しいだろ?その所為か、一年はこの時期大変らしいんだよね。特に、未経験者」
「先刻の話の流れなら、『外部生』とか、平家とかのことか」
「そそ。そういう子たちは、一日も早く『戦力』になるために、朝練とか、居残りとかしてるんだよね」
「何でそんなこと知ってるんだ、お前?」
 訊いてから、祐一はその理由に思い当たった。
「…空手部も、公立の中学校には普通は無いからね。まぁ、一応体育会系だから、道場から推薦枠で入ってくる強い奴とかも居るんだけど、要するにウチもそうやって居残りしてるってワケ」
 自分がその方法で中学時代に『青田買い』されたことをよく理解しているのだろう。
 平田が、『新たに入ってくる側』と、『新しい人間を受け容れる側』の両方の気持ちが分かる、というような複雑な表情を浮かべる。
「…スマン」
「いやぁ、いいって事よ。まぁ、お互い様の陣中見舞いって奴かな」
 平田が突然『冷やかし』などと言い出した真意も、その辺りに有るらしい。
 要するに、他人事と思えないのだ。
「特に、コイツの場合、今は怪我のこととか、稽古から離れてた時期のこととかも有って、基礎練がメインだからな。歯痒い思いをしてるのは、みんな一緒ってわけだ」
 池本が更にフォローを入れる。
 なるほど、全国制覇したような強者でも、実戦を離れていた期間というのはやはり大きなハンディになるらしい。
「肋骨折れたとかって、結構筋トレに影響するんよね…。くっついたは良いけど、暫くは地道なトレーニング生活ってわけよ」
 愚痴をこぼしながらぞろぞろと歩いていると、コーラス部の練習している音楽室の手前にある階段を、駆け登ってくる生徒がいる。
 その生徒には、見覚えが有った。
 両手にパンやらドリンクやらを抱えた少年は、祐一と目線が合うと一瞬だけ気まずい表情を見せ、それから何も見ていないという雰囲気で階段を登るペースを上げた。
「お、遠藤先生じゃん、お元気?」
 少年の姿に軽く手を挙げて挨拶したのは、平田だった。
 『遠藤先生』。
 そう呼ばれた少年は、そこでようやく立ち止まると、気まずい表情など無かったかのように穏やかに微笑んだ。
「……平田くんに、池本くん。久しぶりだね」
「何、パン当番?ジャンケンでも負けた?」
 『遠藤先生』と呼ばれていても、別に少年は教員ではない。
 祐一達と同じ学生服姿だ。
 恐らく、この年代にありがちな『ニックネーム』で、彼は頭脳明晰だとか、ノートの取り方がうまいとか、そういう生徒なのだろう。
「うん、まぁ、そんなとこ。これから屋上で、皆で分けて食べるんだよ。そっちは?」
 祐一は、遠藤の発言から『視えて』くる『色』に微妙な齟齬を感じたが、敢えてそこには口を挟まないことにした。
「あぁ、昼練してるコーラス部の女子をからかいに行こうと思って。遠藤先生も、どう?」
 平田が糸目を更に細くし、いつものようにニンマリ笑って遠藤を誘う。
 だが、遠藤は頭を振って断った。
「いや。僕は昼食が、まだだから」
「あ、そっか。じゃ、こっちは昼休み終わるまで音楽室で邪魔してると思うから、良かったら後から来なよ。平家とか、尾形がいたし、クラス変わっちゃったけど、久々に喋るのもいいだろ?」
「あぁ、うん、間に合ったらそうさせてもらうね。」
 遠藤が何処か気弱さを感じさせる曖昧な微笑を浮かべて、軽く会釈する。
 平田と池本が軽く手を挙げてそれに応えると、遠藤は両手のパンを思い出したかのように慌てて屋上へと向かった。
 遠藤の最後の言葉には『合流することへの不安』が『視て』取れた。
 恐らく言葉だけで、遠藤がコーラス部の練習を覗きに来ることはないだろう。
 去っていく少年の姿を目で追いながら、祐一は問いかけた。
「……彼は?」
「『遠藤先生』っていう『持ち上がり組』の一人。今はクラスが違うけど、去年は俺たちと一緒のクラスだったんだ。写真部なんだけど、コンクールで何度も賞を取ったりしててな。俺たちが全国大会に行ったときなんかも、良く同行して写真撮ってくれたんだよ。で、『遠藤先生』と。来てくれると不思議と結果も良くってなー。で、ついつい『先生』って仇名に拍車が掛かった訳」
 祐一の問い掛けに、平田が無邪気な笑顔を見せて答える。
 『遠藤先生』との思い出は、平田にとって楽しい記憶であるようだった。
 なるほど、先生の由来は勉学の側ではなく、写真家の『先生』か。
 遠藤のようなタイプの場合、大仰な仇名に恐縮してその都度否定しているうちに、そのリアクションの面白さによって、からかわれている仇名がそのまま定着してしまったのだろう。
 『持ち上がり組』のように子供の頃からの長い付き合いになると、アクシデントに見舞われた女の子に手を差し伸べたら、その子と両想いだという噂が勝手に流れたり、ムキになって否定しているうちに大袈裟になってしまうことも有る。
 祐一は遠藤を今朝見かけたことと、先程彼から感じた僅かな『誤魔化しの色』が気になりはしたものの、それ以上は突っ込まないことに決めた。
 突っ込んで聞いたところでどうにかなるものではないし、どうせ出てくるのは碌な話ではあるまい。
 教室でこちらを見ていたことを考えれば『誰かに平田の写真を撮ってきて欲しいと頼まれた』とか、そんな所だろう。
「写真、ねぇ」
 祐一は写真…特に人物写真があまり好きではない。
 写真は明確な『情報』の一つで、『写真の情報』から相手の『色』が視えてしまうことも有るからだ。
 故に、高名な写真家が『芸術』や『報道』と称して撮った写真でも、満面の笑顔をしているモデルが実に不満そうな『色』を醸し出していたり、痛みに震える戦災の写真がヤラセを示すような『色』を醸し出していたりする場面を見たことも有る。
 勿論、写真というのはその表情や態度を引き出す技術や能力を含めて価値がある物なので、必ずしも祐一の評価が正当であるという事は無いのだが、それでも人物写真に関して言えば、出来る事ならば撮る側と撮られる側の描き出す図面は合致していて欲しいものだと思う。
 果たして、あのような『色』を祐一に視せた、遠藤の写す写真というのはどのようなものなのか、多少の興味があったが、それはまた、別の機会で構わないだろう。
「行こう、藤井」
 池本の声に、祐一は我に返る。
 祐一の逡巡を他所に、平田と池本はさっさと音楽室のドアを開いていた。