リトル・ピロートーク
つい先週、通販で枕を買った。それが届いたのが昨日。普通どうするものなのかは知らないがわたしとしては当然の行いとして洗濯し、そして今夜。
「お疲れ様。ぐっすり眠れるといいね」
枕は流暢に、若い男の声で喋りだした。
いつものように、缶ビールを開ける。明日は遅番だから構わないだろう。一息つこうとビールをサイドテーブルに置く。缶のかいた汗が落ちるが、携帯が濡れることはないだろう。わたしはベッドに寝ころんだ。
「何かあったの?」
枕はいつものように話す。
「疲れたって顔してるよ」
「あんたってつくづくいい男よね。そんなにわたしの婚期を逃させたいの」
枕は最初に肇ですと名乗ったが、わたしはそれを一度も呼んでいない。枕に名前とか。いやいや。……と、最初は思っていた。今ではその認識は覆っているが、それでもわたしは名前を呼ばない。
「男でもなんでも呼んでいいんだよ。おれはちゃんと黙ってる」
「冗談よしてよ。そんな相手ができたらあんたなんてポイよ」
わたしはもう気付いている。わたしはこの枕をポイしたくない。だから男ができない。
「呼ぶくらいなら、あたしが出向く。出向くか捨てるかなら、あたしが出向いた方がいいでしょ?」
「……いや、出向く相手ができたのなら、ぜひともおれを捨てて」
「……」
わたしは黙ることしかできなくなってしまう。
これでわたしが彼を好きでなかったら、なんて鬱陶しいのだとすぐさま捨てているだろう。それをしないのは、彼に情があるからだ。彼もそれをわかっているから、こんなことを言うのだ。
どうして枕なのだとか、そういうことを尋ねたことはなかった。訊いた暁には消えていそうだからだ。
そうなのだ、どうして枕なのだ。
わたしは彼を一個人として認めている。そこに人格が存在すると信じ疑っていない。これがもしも近未来から送られてきた、数多の会話パターンに応じて返事をするだけの枕型ロボットだったらどうしようとか、そんな突拍子もないことを考えてしまう程度には、彼のことが好きなのだ。
「ねえ」
わたしは枕を撫でた。わたしのものではない息遣いが聞こえた。
「ねえ、わたしの頭、重いでしょ」
「そんなことない。君がいちばん知ってるだろ。おれはふかふかなの」
「もう、寝よっかな」
片手は枕に。もう片方は持ち上げて、わたしの視界の中に。剥げかけたマニキュア。彼のために塗り直そうか。明日。
「酒、半分以上残ってるんじゃないの」
「もう、いい……寝る」
「……そう。おれは歯磨きした方がいいと思うんだけど。おやすみ」
「うん。おやすみ」
翌朝、目覚ましをけたたましく鳴らす携帯は濡れていた。枕は起こしてはくれない。
作品名:リトル・ピロートーク 作家名:長谷川