カゲロウ
どこかにあるはずなのに、見つからないもの。
ひょっとしたら、そんなものは元々存在しなかったんじゃないかと疑いたくなる。だって、辛い。探しても探しても、記憶の片隅にある何かは手から遠ざかっていくようで、それでも確かにあるはずのものを探し続ける。
それはきっと大切なもの。そうでなければ、必死に探すはずもない。
5時のチャイムが、とても恨めしい。
僕は朝から鏡の前に立って、自分の顔をしげしげと眺める。特徴のない顔だ。これと言って、言うに及ばず。それとも自分だからだろうか。他の誰かに言わせれば、僕の顔にも何かしらの特徴があるのだろうか。
鏡の向こうのもう一つの顔も、じっとこちらを見据えたままでいる。恐らく、彼と僕は違う。そう願いたい。顔は似ているが、向こうは向こうで、僕の知らない世界で僕の手の届かない生活を送っていて欲しい。
僕は自分が嫌いな訳じゃない。決してそんなことはない。
ただ、自分のことを嫌う自分を、美意識をもって美化して見る自分がいる。もう一人の自分と言うにはおこがましい。どうせ自分なのだから。それを意識する度に、嫌になる。それを好む自分。僕はこの追いかけっこからは逃げられない。
どこかにいる僕は、もっときっとまともな生き方をしている。それを願うだけだ。
学校の帰り。駅のホームで電車を待つ。一日が終わっていく予感がする。自分が今日何をしたか、どれだけの行いをどのどのような気持ちでしたか、そんな事とは関係なく一日が終わる。
生き方にノルマはない。善でも悪でも、活発でも怠惰でも、人は生きていける。ただ生きるということに関して、僕には何の足枷もない。ぼんやりしていれば明日はやってくるのだ。
電車が駅に着く。入れ替わりに大勢の人が降りてくる。波が静まると、今度は乗る人々の波。それに揉まれながら僕も電車に乗る。このままドアが閉まれば、僕はまた何にもない家に引き戻され、何にもなかった一日に別れを告げ、また何にもないであろう明日を迎える。
多分、この人生に、個々の存在は意味を持たない。
向かいのホームにも電車が来た。ドアが開くとまた大勢の人が降りて、大勢の人が乗った。僕はそれをドア付近の手すりに寄りかかりながら見ていた。
僕の真向かいには、向こうの電車のドアが面していたが、向こうにも僕と同じように手すりに寄っかかった青年が一人乗っていた。僕は彼を見つめ、彼はケータイの画面に夢中だった。彼は僕のことを知らない。僕も彼を知らない。
だけど、心のどこかでは彼を知っていたかった。
電車のドアが閉まった。ガラスに映ったのは僕の顔だった。とても悲しそうな顔をしていた。
横に流れ始めた景色の向こうで、ようやく彼は顔を上げた。それは僕によく似た顔だった。届くのなら手を伸ばしたが、もうそれは果てしない距離だった。もう届かないその向こうへ、僕は彼がもっときっと素晴らしい毎日を送っているのだろうと思った。