あなたと会える、八月に。
第5章 17歳 ◆1〜26
◆1
巨大な扉の前に立たされた。
隣には真っ青な顔をしてがくがくと震えている少女がいる。見慣れた服装は、つい先日まで学舎として通ったスモルニィのものだ。もっともロザリアは私服を着ていて、今日も通学に使用していたうちのひとつである青いワンピースを着ている。
そして隣の少女は震えながら、赤いプリーツスカートの裾の具合が気になるのか、何度も何度も引っ張っていた。
「……アンジェリーク」
スモルニィの廊下ですれ違ったことがある程度の、その少女の名を呼んでロザリアは、ハッとして顔を上げた彼女を見据えた。
「行きますわよ」
そう言われた彼女−−アンジェリークはますます顔色をなくしたような気はしたが、もうロザリアはこれ以上待てなかった。
わたくしこそ、怖いのだ。
大きな建物、大きな扉など問題ではない。この、異様なほどの高揚感に包まれている今の状況が怖いのだ。それというのも全て、この扉の向こうにいる−−おわす方々の存在こそが引き起こしていることなのだ。
この宇宙を統べる女王陛下。
その女王陛下の許に集う九人の守護聖方。
そしてその中の−−
開け放たれた扉の向こう、目を瞠るほど広い謁見の間の、見上げてもなお高い位置にある大天蓋に嵌め込まれたステンドグラスから、さまざまな色に変えられた光が差し込み、二人の少女の歩む床を照らしている。その壮麗さは、宇宙随一と言われる主星の大神殿のものですら遠く及ばない。
呑まれてはいけない。
そう懸命に気を張るロザリアの隣で、アンジェリークがへなへなと座り込んでしまった。
「どうしたの!」
「こ……怖い、怖いわ……ロザリア!」
そこへ女官のひとりが近寄ってアンジェリークを立たせようとしたが、ロザリアがそれを止めた。
「お立ちなさい、アンジェリーク」
「え……」
「あなた、いったい自分が何のためにここへ来たのか、わかっているの?」
しん、とした広間の片隅で、ロザリアの声だけが響いている。奥にいる人々のことを気にしながらもロザリアは、なおも言い続けた。
「立つのよ」
アンジェリークは呆然としてロザリアを見ていたが、やがてゆっくりと、一人で立ち上がった。
「……ありがとう、ロザリア」まだ表情は多少引きつってはいるものの、微かに笑ってアンジェリークは言った。「強いのね……そして、優しいのね」
ぎょっとする。
強いとは言われる方だ。だが優しいとはそうそう言われたことはない。第一、今は優しさで言っているのではない。何か言ったり、見ていたりしていないと、自分の方が叫び出してしまいたくなるほど緊張しているのだ−−もうどうにも、いたたまれなくなるほどに。だが、それを表に出すのは、女王候補として選ばれたロザリアの−−いや、ロザリア自身の矜持にかけて許せないことだった。ただ、それだけのことだった。
なのに、どうしてそんなことを言うの?
そうこうするうちにアンジェリークは、やはり緊張から頬を紅潮させてはいたものの、先程よりはずっとしっかりとした足取りで歩き始めた。おどおどした彼女を見ることによってむしろ気を奮い立たせていたロザリアの方が今ごろになってかすかに指先を震わせたけれど、それをどうにか押し殺し、二人は並んで歩き始めた。
やがて広間奥に立つ人々の姿かたちが目に入ってきた。ロザリアは小さく息を呑む。彼らから−−九人いるから守護聖たちだ−−ステンドグラスからの光のみの中、彼ら自身から仄かに光が発せられているような気がした。
思い出す。あのホテルのラウンジ。照明が落とされ夜より暗い昼間のラウンジのピアノの前で、微かに輝いていたような気がした−−あのときも、そして今も。
ジュリアス……!
ロザリアは、緊張した内側の、何故か妙に凪いだところで思った。
この人は。
この人は、此処にいる−−在<おわ>します方なのだ。
他の何処でもない。
ましてや、あの『八月』の海岸でもない。
−−聖地<ここ>にこそ。
薄桃色の髪の女性がすっと前に進み出た。
「ようこそ、女王候補アンジェリーク、ロザリア」
資料を思い出す。この方が女王補佐官のディア様なのだ、と思い至る。
「さあこちらへ。女王陛下に御挨拶を」
慌てた様子でアンジェリークが、それでも一歩踏み出してぺこりと頭を下げると「アンジェリーク・リモージュです」と言った。
続いてロザリアもまた一歩踏み出すと、ワンピースのひだをつまみ、静かに腰を落とした。そしてすっと顔を上げると顎を引き、謁見の間の最奥、かすかに輝く薄布の幕の向こうにいる人影に向かって告げた。
「ロザリア・デ・カタルヘナと申します」
良かった。
声は震えなかった。
指先はまだ、まるでしびれたように震えていたけれど。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月