生きる
駅に向かう途中で娘への手紙を投函した。その手紙には、実家に戻って家を守って欲しいと懇願した内容であった。それが出来ない時は家を処分し、あなたの父の仏壇だけは守って欲しいと書いた。東京に住む娘たちが、青森に来る事は不可能だと承知で手紙を書いた。娘は43歳で夫はその2歳年上だから、定年までには程遠い。
八重は今年で63歳になった。夫がなくなり3年経っていた。八重は初恋の相田幸一の家に行く決心をしたのである。それは相田からの手紙からであった。
突然の手紙で失礼いたします。また不謹慎な手紙であることは承知いたしております。僕はずっと八重さんを待っていました。八重さんの連れ合いがお亡くなりになられ3年経つのを待って手紙を書きました。医大に合格しないまま、僕は挫折し、八重さんを諦めましたが、再び八重さんを捜した時はすでに八重さんは結婚していました。でも忘れる事が出来ず、その想いで仕事に打ち込んできました。医者にはなれませんでしたが、ドラッグストアで成功し、120店舗の店を持つようになりました。まだ1度も結婚した事がありません。ある時は八重さんを略奪しようかとも思いました。でもそれでは幸せな家庭は出来ないと感じ、待つことにしたのです。それは賭けですから、一生結ばれない可能性もあるとは解っていましたが、あなたを待つ事が僕の力になりました。
全てを捨て、タイムスリップしてきて下さい。20歳の時の気持ちになってください。
八重は手紙を読んで心は動かされなかった。この年になって何を色恋の手紙などと思ったのであるが、手紙をシュレッタ―にかけながら読み返してみると、鮮明に当時の事が思い出されて来たのである。
電話やメールのやり取りが重ねられて、八重は自分の生き方を考え始めた。家を捨てる事が背徳であるかもしれないが、娘に任せればよい。それが無理なら捨てればよい。いつかは家は絶える。そんなことよりも大切な事はたった1度の人生を自分の考えで生きていくことだと八重は感じた。
八重は新幹線に乗った。行先は身内に知らせなかった。あと何時間かで八重は新しい人生を迎える。