いるいる辞典 溶かしちゃった人
煙草から戻ってくると入口にある鉢花が目に入った。なんの気なしに土に触ると乾いていた。少々元気がないのはそのせいのようだ。ジョーロがどこにあるのか分からなかったので、コーヒー・ディスペンサーの補充用の紙コップで水をやった。
「お花が好きなの?」
不意に声をかけられた。知らない顔の1人、白石あずさだった。どんな女性なのかは分からないが、デスクの上を見た限りでは片付けられない部類のようだ。書類がとにかく散らばっていて、しかもどんどん重ねていくので何が何やら分からない始末だ。メモもベタベタ貼ってあるので優先順位は不明になり、後で1人で騒いでいるコトもザラのようだ。その頃には周りを巻き込んでいるらしい。ありがたいコトに一度も遭遇していない。
「植物は好きですよ」
「そうなの。じゃあ、ちょっと聞いてもいい?」
「なんでしょう」
「プリザーブド・フラワーってあるじゃない。こないだ溶けちゃったのよ。どうしてだと思う」
「はい? あれは長持ちするのが売りですよ。どこに置いてたんです」
「玄関」
「日当たりが良過ぎても持ちませんよ」
「そんなコトないんだけど」
「あとは湿気は大敵……」
そこでオレははたと気づいた。まさか……。
「あの、箱から出しましたか」
「うん、出した」
思わずオレの頭は重力に抗うコトをやめた。満面の笑みに泣きそうになってしまった。
「すいません。あれは箱から出しちゃ駄目なんです。湿気を嫌いますから」
「えぇ~っ。そうなの。ためらいもなく出しちゃったわよ」
「間違いです」
「全然知らなかった。あぁ、これ。スケジュール変更が来たから、よろしく」
顔面蒼白のオレを置いて、何事もなかったかのように去っていった。他愛もない会話のつもりだったのだろうが、駄目人間ぶりを見事にさらしている。さやが言った通りだ。
気を取り直してスケジュール変更をすぐさまかける。1店舗だけだったため、クルーを1つ増やさなければならなくなった。いつものクルーでは行けない。人数はなんとかできそうだが、先方は不安がるかもしれない。スーパーバイザーは行ったコトがある人間にはしたが。
これで行くしかないなと開き直った時、悲鳴が上がった。
「嫌だ、これぇ。変な画面出てきて動かぁん。吉野さぁん」
大声で叫ぶは知らない顔の1人、茂森秋子。さやが猛烈に嫌な顔をしながら駆け寄る。言ってもどうにもならないらしく、秋子を押しのけてマウスをふんだくった。どうも大したコトではなかったようで、すぐに席に戻っていった。ものすごくふてくされて。相変わらず顔に出やすい。
案の定、さやは帰りに屋上にやってきた。
「もう、聞いてっ」
「どうしたんだよ」
「茂森のやつ、いい加減に頼るのやめてくれないかな。もう何年もいるのに、未だにまともにできないんだから」
「あぁ、画面がどうたら言ってたな。結局なんだったんだ」
「エラーを報告しますかっ!! もう何回目?」
「マジかよ……」
「そういうやつなの。分かってるんだけどさぁ。イラッとする」
「もう1本吸っていい?」
「1本だけね」
結局話は30分も続き、煙草は3本も吸ってしまった。
作品名:いるいる辞典 溶かしちゃった人 作家名:飛鳥川 葵