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簡易浪漫自殺

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今日は空がきれいだ。わたしはわたしを締め括るに相応しいと思い建物へ入った。
「ごめんください。予約した坂牧です」
「坂牧さんですね。お待ちしておりました」
 しっとりとした髪の受付の女は、笑って言った。
 コンビニの店員程度では、わたしのような中年親父に笑いかけてくれたりはしない。無愛想に商品を渡されるだけだ。わたしは申し訳なくなり、極力お釣りの無いように支払った。最近はもう、コンビニに行くことすら申し訳なく、億劫で、死にたくなった。
 そのコンビニの店員はたいへんかわいらしかった。しかし彼女を異性として、それはおろか一個人として意識することもなく、ただ漠然と若さの塊として見ていた。決して好きではなかったのだ。
 このまま職もないまま生きていくのか。以前は職を持っていた。たいした仕事ではなかったが、きちんと働き給料をもらっていた。けれどいつからかこうなった。不況が悪いのではない。きっと以前からずっと、不況という理由で切り捨ててもよい人間だとみなされていたのだ。そう思った途端、生きていることが苦しくなった。なのに心臓は動きをやめないのだ。
「団体をご希望でしたね。三号室へどうぞ」
 無機質な壁である。無機質な床である。決してコンクリートが剥き出しだとかそういうことはない。あんまり白くて、それが不安を掻き立てるのだ。
 ――何への不安だ?
 それは、死であろうか。

「失礼します」
 一声かけるべきか迷い、結局挨拶をした。
「どうぞ……お仲間ですか」
 顔を上げると、そこにいたのは若い女性だった。少しぱさついた髪の毛を肩のあたりで切っていた。
「ええ、どうやらそのようで。今回は、わたしたちふたりのようです」
 正直レスポンスは期待していなかった。だから……だから、そう、とてもうれしかった。「お仲間ですか」の前に省略されているのであろう「あなたとわたしは」にときめいた。年甲斐もない。往生際も悪い。
 わたしはこれから宇宙の果てに旅立ち死ぬというのに。
「ほう。まだ宇宙ではないのですね」
「どうやらそうみたいです。これから登っていくらしいですよ。七時から」
「……丁度、夕焼けがきれいな時間ですね」
「そのような人間的な感性を残しているのに、なぜ野生の犬猫のように死ぬ道を選んだのですか。いえ、答えたくなければ結構ですよ」
 女性はやさしく微笑んでいた。そんなにきれいに笑えるのに、どうして死んでしまうのだ。
 ここは平たく言えばガス室である。野犬の殺処理用のものを想像すればいい。かつてユダヤ人虐殺のために使われたものを想像してもいいだろう。
 しかしこれらと決定的に違う点がある。それは壁だ。
 壁はプロジェクターになっている。そこに映し出される映像はいくつかの種類から選べる。わたしが選択したのは宇宙。そして誰かと共に死にたいと願った。
 それはつまりたいして死にたくないということである。けれど死にたい。一体なぜか。
「恥ずかしいから、でしょうか」
「恥の多い生涯でも送られたんですか」
「お恥ずかしいことに」
 女性は笑っていた。なんだかわたしもおかしくなってきた。
 わたしは懐から懐中時計を取出しパチンと開けた。あと五分。
「あと少しで、宇宙行きエレベーターですね」
「……あなたは、一体どうして」
「うち、クリスチャンなんですよ」
「はあ」
「わたしは天国が嫌いです。だから空の上に宇宙があることを証明したくて」
 女性はどこか達観しているようだった。
「ならば宇宙飛行士でも目指せばよいのでは。そうすれば、その証明をクリスチャンに持って帰れる」
「ああ、その発想はありませんでした」
 不思議な女性だった。
「おや、もう七時です。あ、ほら、映像」
 ここはどこなのだろう。上を見上げれば、遠くに空が映っている。どんどん、ぐんぐん、空に近づいていく。下を見ると、かつて暮らした、自分のほとんど知らない、それでもたしかに自分の暮らしていた街があった。コンビニも見つけた。
「すごい、すごい、すごい。ああ、わたし、宇宙に行けるんだわ。神のいない世界に」
 わたしは思考を巡らせていた。クリスチャンでもないくせに、大真面目に天国と神について考えていた。
 天国とは果たして、空の上にしかないものなのか。
「お空が紫です」
 天国とは……。
「ああ、宇宙ですよ。やっぱり天国なんてどこにもなかったんです。大地の下にはマントルがあります。地獄だってありません」
「死後の世界って、信じますか」
「いいえ。わたしは消えます。消えたくて、死にたいのです」
「……そうですか」
 わたしには、誰かがわたしに反応してくれるだけで、そこが天国だと思えたのだ――などと……。
 きっと彼女の言う天国とは純粋な死後の世界であり、感覚的なものではない。それはわかっている。だから、何も言えない。
「ほら、宇宙ですよ。下の方、地球が見えますね」
 星々が、上にも、前にも、横にも、下にも、きっと後ろにも。きらきらと。
 光に囲まれて意識を手放すというのは、なかなかに心地よかった。
「やっぱり、天国なんてありません」
 わたしは、あなたとなら天国に旅立てる気がするのだけれど。
「あれ、おじさん、もう死ぬんですか。早いですね。わたしはもう少しイケそうです。まだかなあ」
 あなたの声が、耳に染み込んでいくようで。こんな感覚、学生時代にすら味わっていない。
「ああ、早く死にたいなあ。天国はまだかなあ。あれ、わたし、何を言っているんだろう」
作品名:簡易浪漫自殺 作家名:長谷川