無色透明
ただひたすら走る。
走る理由は特にない。
ただ言えるのは、この世界はこんなにも空虚で。
青く晴れた空、白い雲などの景色は俺には全て意味のないように思えた。
意味を持ったのは無我夢中で走って疲れ始めた頃だった。
季節は夏らしきもので、別に暑くはなかったがそれでも空は青く晴れて入道雲が見られた。
この季節であれば走っていれば当然体力は蝕まれる。
だが俺はこの季節だからといって体力がないわけではないので延々と走っていられた。
昨日までは。
走りながら目の前にある電柱を見た途端、急に過呼吸のような感覚に襲われた。
こんな体験は昨日の昨日まで一度もしたことがなかった。
俺は運動部で、しかもバスケ部。
体力作りは毎日の日課で大学を出てからもバスケだけは続けていた。
その、筈なのに。
どうしてだ?、
俺の中には疑問しかなかった。
体力だけには自信があったのに。
まさか暑さにでもやられたのだろうか、と馬鹿なことを考えてみるようになってしまった。
俺はそれからその場に崩れ落ちた。
人がたくさん俺の周りに集まってくる。
熱中症?、と何やら噂をしたりしている近所の叔母さんが居て倒れている俺を同情の目で見た。
見てるのではなく助けてくれてもいいんじゃないか、と言葉が喉まで出かかったがその頃から意識が朦朧とし始めたので取り敢えず押し戻した。
近くにいた女性の一人が、俺の額に手を当てた。
冷たい手だった。
まるで雪女みたいな。
でもどこか懐かしい匂いがして、俺は開けていた目を重々しく閉じた。
女性の顔は目が霞んでいてよく見えなかったが、どこか母親に似たそれだった。
女性は、すぐに救急車をお願いします、と叫んだと思えば俺の服をめくり聴診器のようななにか冷たいものをお腹に押し当てた。
呼吸はしていたが何か以上が見られるらしい。
丁度いい時に救急車が来て、俺が倒れているところに隊員らしき人が来て、
『大丈夫ですか?、もしかして...』
動揺した様子だった。
俺の中には疑問がまだ浮上している。
それを解決してくれたのが、この一言だった。
『その男の人...、熱中症みたいなんです。』
女性がそう言った。
あぁ、やっぱり。
俺はそう思った。
そして俺は救急隊員に運ばれていくと救急車の中で、
『あぁ、災難だなぁ。』
口から漏れ出した男の言葉は誰の耳にも入ることはなかった。
付き添いでさっきの女性が来てくれた。
俺はよく見えなかったのだが、オーラとして感じ取れたのが「不安」だった。
また俺の中に疑問が浮上した。
━━━━なんで、この人は「不安」そうなんだろうか。
だが、関係ないことだ。
そう考えた俺は瞼を閉じたままそのまま眠りについた。
それから何時間か経ち、俺は目覚めた。
目覚めは心地よく、思いっきり起き上がった。
俺は病室のベッドに居て、俺の目の前には助けてくれた女性がいた。
俺はそこで全てを気づかされた。
やはり、思ったとおりだったのだ。
『やっぱり、母さんだったのか。』
穏やかな表情で目の前にいる母親の姿の女性を見ながら述べた。
嬉しさがこみ上げ、胸が苦しくなり涙が出そうだった。
母とは俺が15歳の時に親父に引き離され、そこから連絡はとっていたものの、一度も会うことはなかった。
その事を思い出すだけで余計胸が苦しくなって、遂に目に涙が溢れた。
『おいで、透。』
20歳にもなって親に抱きつくのはどうかとも思ったが、この際関係なかった。
今は暖かいものに触れたかった。
俺は沢山今までのことを話した。
思い出の詰まったこの5年間を全部母親である梨沙にぶつけた。
話したあとには涙も枯れ笑顔が戻ってきた。
ただ、一つだけ違和感を感じた。
俺の名前、透...?
俺の名前は...なんだ...?
忘れていた。
自分の名前、存在意義を忘れてしまった。
急に怖くなり、俺は頭を抱えた。
梨沙が心配して声をかけてくれるが俺には何も聞こえなくなっていた。
俺は、名前をなくした。
親から貰った、大切な名前を。
俺の中で、何かが崩れた。