愛のマンション
オカルトポイントとして有名なここに、暇と冒険心を持て余した肝試しの若者が入り込むのはよく聞く話で、一応入り口には鍵がかけられてはいるが、肝心の南京錠は彼らによって既に壊されていた。ということで、そこに人間がいること自体はさして不思議ではないのだが、しかし、残念ながらその彼女には、お約束のように下半身がついていなかった。そして、それ以上に残念なことに、今まで見たことがないほどの美少女だったのだ。
「あの……、もしかして幽霊?」
俺が冷静に話かけることが出来たのは、今から死ぬ人間としては、幽霊を怖がる筈もないではないか、というのはむしろ建前で、彼女の美貌があまりに人知を超越しすぎていたために、肝心の、幽霊を怖がるという驚きの回路が働かなかったらしい。
そして、俺の質問に彼女が無邪気な表情でうなずいて、俺の意識は完全に、そこに吸い込まれた。
穏やかな彼女の表情を見て、なぜか、俺をキープとしてずっと二股をかけていた元彼女の顔が浮かんだ。俺ともう一人の男のどちらにもいい顔をしながら、就職という地点で差がついた時、あっさりと俺を切り捨てたあの女の、申し訳ないと詫びながらも計算高さを隠しきれなかったあの醜悪な顔。この美少女幽霊に比べると、記憶の中の元彼女は、なんと下品な女だったのだろう。
「あの、自殺志願者ですか_」
彼女が首を傾げてきいた。俺がうなずくと、彼女は俺を労うような優しい表情で微笑んだ。
「随分と苦労なさったんですね……」
その優しい言葉に、俺は思わず胸が熱くなった。こんなに穏やかに人を思いやることが出来る人物に初めて会った気がした。
「実は私……、自殺者を案内するのが役目なんです。このマンションは、この世に疲れた人々が辿り着く楽園への入り口。あの、私で良かったらご一緒に」
彼女から伸ばされてきた白い手を、俺は握った。細くて冷たい手が心地よかった。
元からその気だったのだ。俺の死で持って元彼女の人生に傷をつけてやる気だった俺が、この幽霊の誘いを断る理由などどこにあるだろう。幽霊とはいえ絶世の美少女との二人連れなどというオプションがついて、ただただ嬉しい限りだ。あの鬱陶しい人間社会から脱出するにあたって、これ以上の条件などありえないだろう。
そして、俺は、彼女と二人マンションから身を投げた。
「嬉しい。これからずっと一緒ですね」
「ああ」
落下する強い風の中、少女の手を握る。これからはずっと彼女と一緒にいられるのだ。
「ほら、みんなあなたを待っているわ」
彼女の言葉に答えて、下を見た。
「ちょ、待っ!」
「これから、みんなみんな、ずっと一緒……、もう寂しくない」
マンションの下、そこには、人生に絶望しこの場所を選んだ老若男女、様々な血まみれの人々が俺に一斉に手を伸ばして俺の到着を……