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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ

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 そう言って、ボルグ――のはずの男――ははた迷惑そうな顔をして去っていこうとする。どういうことだよ、とゼノが必死に思考をまとめようとしていると、ボルグはなにやら言い忘れたことがあったのか、振り向いてこう言った。
「そういえば、さっきおめえキーネスっつったな。あいつの知り合いか?」
「え? あいつのことは覚えてんのか?」
 オレだけ忘れられてるなんて酷い、なんて思ったけれど、キーネスは何度もここに来ているようだから知っていてもおかしくない。あいつの情報を聞くためには、少々のことを気にしている場合じゃないと思うことにした。
「覚えてるも何も、あいつもここの住人だぜ。村の外で仕事してることが多いがな」
「住人? 仕事?」
 キーネスはゼノと同郷で、ここの住人だったことはない。まさか音信不通だった半年のうちにここへ腰を落ち着けたという訳でもあるまい。
「仕事って何の仕事だ?」
「森の外に行っちまったここの住人達を探して連れ戻すんだよ。昔、天災で住人の大半が集落を離れざるを得なくなったらしくてな。集落が復興したから住人を呼び戻してるんだ。おめえさんたち、ひょっとしてキーネスに連れられてここに来たのか? ならおめえさんたちも今日からここの住人だな」
 そう言って、ボルグは嬉しそうににやっと笑った。単純に住人が増えたことを喜んでいる。そういう感じで。
 ゼノは混乱する頭で今聞いた情報を忘れないようにと反芻した。
 森の外に出た住人達を探して連れ戻す。昔、天災で住人の大半が集落を離れざるを得なくなった。集落が復興したから住人を呼び戻す。それがキーネスの仕事? 音信不通の半年間、あいつがやっていたことなのか。
 そうだ。今だって、ティリーとリゼとアルベルトをここに連れてきているじゃないか。
 なら、その目的は何だというのだ?
「――なあ。キーネスは今どこにいるんだ?」
 そう尋ねてみたが、キーネスがどこにいるか何となく知っているような気がした。行かなければならない『あの場所』とは、多分ここじゃない。もっと奥。おそらく、ティリー達も同じ場所にいる。
「キーネスか? 知らない奴を何人か連れて“神殿”に入って行くのを見たぞ」
 そう言って、ボルグは山の方を指差した。そこには草木や苔に覆われた古い遺跡のようなものがある。遺跡を見た瞬間、やっぱりオレはここに来たことがあると、ゼノは確信した。
 遺跡の名をゼノは知っている。彼にしては珍しく名前を覚えている。思い出せる。
 あの神殿の名は、アスクレピア。打ち捨てられ、誰からも忘れられた遺跡。
 あそこに、キーネスと――がいる。



『貫け!』
 倒れ伏す直前、リゼは反射的に魔術を唱えた。小さな氷の槍がいくつも出現し、アルベルトに向かって飛ぶ。彼は慌てたような顔をしたが、それとは裏腹に冷静な剣捌きで向かって来る氷槍をはじき、全て逸らしてしまった。リゼは舌打ちすると今度は氷霧を創り出し、アルベルトにぶつける。魔術によって剣を持つ手が凍りつき始めたが、アルベルトは構わずこちらに近付いてきた。そして、
「すまない、待ってくれ! 種が・・・・・・」
 そう言って何かを説明しようとするアルベルト。リゼは気にせず剣を振るったが、簡単に止められてしまう。その隙にアルベルトはリゼの右脚の傷に手を伸ばし、そこから何かを引き抜いた。
 肉がひっぱられ、何かが剥がされたような痛みに、リゼは顔をしかめた。アルベルトの手の中にはその引き剥がされた『何か』が乗っている。血に濡れたそれをよく見ると、小さな芽と細い根が伸びた黒い種のようなものだった。皮一枚だけ残してぱっくりと割れている。
「痛い思いをさせてすまない。でも、『俺が言っていること』が本当なら、これを取り除かないといけないと思ったんだ」
「どういう意味よ」
 不可解に思って問い返すと、アルベルトはこれを見てくれと言って、一枚の紙を差し出した。受け取って読んでみると、どうやらある植物についてまとめたものらしい。所々、重要だと思われる部分に線が引いてあった。
「ダチュラ。ミガー王国西部原産。白いトランペット状の花を咲かせる。種子は黒く、猛毒。主な症状は意識混濁、見当識障害、譫妄状態、記憶喪失」
 記憶喪失の所に目立つように線が引かれ、さらに書き込みもしてある。そう何度も見ているわけではないから確信は持てないが、これはアルベルトの字だろう。
「『ここのダチュラは人体を苗床にする』。『傷口から種が入り、その毒で記憶喪失を起こす可能性がある』。『自分がなにをしていたのか分からなくなったらそれはダチュラの毒のせい』。『種を身体から取り出せ』」
 余白に目立つように書かれたそれらの記述は、今の状況に一つの解答をもたらしてくれるようだった。記憶喪失。なにをしているのか分からなくなったら。この記述が真実ならば、
「・・・・・・つまり、私は今、ダチュラの毒の作用を受けているってことね」
 直前の行動が思い出せないのはこのせいだったということだ。アルベルトはこのメモでダチュラの種のことに気づき、リゼの脚の傷に潜り込んでいた種を斬って取り出してくれたのだ。傷口をよく見てみれば、種を取り出すのに最低限必要な範囲しか斬られていない。アルベルトの剣術が優れているのは知っているが、なんて器用な真似を。さすがに根が食い込んでいた部分は肉が露出しているし、放っておいてまた種が侵入したら困るから、癒しの術で血を止め、傷を塞ぐ。
「先に説明すべきだったが、芽が出始めているのに気付いて速くしなければと思って。すまなかった。――あんなに素早く反撃されたのは予想外だったけど」
「いきなり斬りつけられれば反撃の一つや二つするわよ。・・・・・・でも、助かった。私一人じゃ種に気付かなかった」
 芽も根も出ていたというのに、痛みなど感じなかった。少し疼く程度だ。あのまま放っておいたら、今以上に記憶を失った挙句、ダチュラの苗床にされていたと考えるとぞっとする。それに新しい記憶から消えていくようだから、今いる場所がどれだけ危険なのかも分からなくなってしまうということだ。そう、ダチュラという記憶を奪う毒草があるということも――
「・・・・・・ちょっと待って。ひょっとして記憶喪失なのはあなたも同じなんじゃ――」
「きっと、そうだな。自分ではどこに埋まっているか分からないんだが、たぶん、背中だ」
 そう言って、アルベルトは苦しそうな表情をして膝をつく。その後ろに回って背中を見ると、服の一部分が破れて血が滲んでいた。とはいえ傷自体はさして深くない。血もすっかり乾いている。しかし、その傷口には黒い種が根を張り、リゼの脚にあったものより長い芽が伸びつつあった。
 それをしばし観察してから、リゼはため息をついた。
「先に謝っておく。私はあなたほど上手く取り出せそうにない。たぶん痛い」
「それぐらいは覚悟してるよ。構わずやってくれ」
「分かった。――その代わり、綺麗に治すわ」
 そう言って、リゼは伸びつつある芽を掴んだ。やりすぎてはいけない。この種とその付属物だけを狙うのだ。息をつき、意識を集中させて、リゼは魔術を唱えた。
『凍れ』