白檀
腕の中で恍惚とした表情を見せている薫。汗で頬に張り付いた髪を元の位置に戻してやる。
頭をなでながら、つい口に出してしまった。
物心つくころにはもう結婚相手として決まっていた。
だが、俺はこいつより10も年上だ。
本当だったら、同年代の等身大の男と一緒になりたいのではないだろうか。
時々不安が俺を襲う。
「うん」
即座に返ってくる答え。
うるんだ瞳で俺を見つめる目に翳りは見られない。
信じていいのか。
あいつの腕が俺の首に絡んできた。
「うん」
俺の首筋に顔を埋めてもう一回言った。
京都に仕事で行くことになり、夏休み中の薫も一緒に連れて行こうと思い誘ったら、
「奈良に行ってみたい」
と言うので、仕事が終わった後の週末を奈良で過ごすことした。
奈良は京都と違い小さな町だ。
一日あれば主要な場所は見て回れる。
古い町並みがまだ残る「奈良町」へ足を運ぶ。
薫は、髪をアップにして膝上の袖なしワンピースにサンダルと言う格好。
あんまり他人に肌を見せるなと言いたいところだが、この蒸し暑さだ。仕方がない。
薫の足がとあるお店の前で止まった。
「ここ…入ってみてもいいですか?」
みれば、香を扱っている店だった。
俺はちょっと一服したかったので、店の外に立ちタバコに火をつけた。
蒸し暑いが、匂袋や掛袋とともに売っている風鈴の音が、少し涼しさを届けてくれていた。
「ごめんなさい。お待たせしちゃった?」
タバコ一本終わる頃に薫が手に紙袋を持ち出て来た。
「何だ、もう買ったのか」
せっかく奈良へ来たんだ。俺が何か買ってやろうと思っていたのに…。
「ふふ。これぐらい買えるお小遣いは持ってきてますよ」
と、俺の思いが分かったかのように、薫がいつものふんわりした笑顔を向けた。
この蒸し暑さにもかかわらず、俺の隣を歩く薫はすごくうれしそうだ。
途中、鹿にしかせんべいを上げる。
「ほら、重孝さんもあげてみます?」
と、一枚しかせんべいを渡された。
すぐに鹿が傍によってくる。
俺が鹿にせんべいを上げているところを、薫がスマホで写真を取っていた。
興福寺の境内を通り、奈良公園を通り抜け、春日大社にお参りし、東大寺で大仏を見る。
そうこうしているうちに、日も暮れてきた。
そろそろホテルへ戻るか…と思ったとき、薫が俺の手を引いて先へ進む。
「すごくきれいな夜景が見えるところがあるって、加奈子が教えてくれたんです」
行き着いたところは、二月堂だった。
本堂舞台に上ってみる。
なるほど、奈良は高いビルがないから、遠くまでキレイに見渡せる。
「今日は、ホンと楽しかった」
隣に立っている薫が俺の腕にもたれながら言う。
薫の横顔には、本当に幸せそうな表情が浮かんでいた。
考えてみたら、最近は俺は仕事で、薫は大学で忙しく、あんまりゆっくりデートをしている暇がなかった。
特に一緒に住み出してからは、お互い毎日顔をあわせることができると言う安心感があった。
普段あまり文句も言わない、欲も言わない薫がそういうと言うことは、本当に楽しかったんだろう。
薫の肩をそっと掴み自分に向かせ、口づけをした。
ホテルに帰った俺たちは、一日歩いたおかげでくたくたで、ベッドにもぐりこむと抱き合ったまま寝てしまった。
セックス?
そんなものしなくたって、充実した一日だった。こうやってお互いを感じながら寝るだけで幸せだった。
たった一晩のつかの間の小旅行だったが、いい思い出になったと思う。
薫が買った掛袋は玄関のドアの脇に飾ってあり、匂袋はあいつが下着を入れている引き出しに入れられた。
あいつを抱くとき、ほんのりと白檀の香りがすることがある。
下手な香水よりも、よっぽどあいつに似合っている。
「なぁ…お前って無欲だよな。もっと欲張っていいんだぜ?」
抱きしながらいう。
「ふふ…じゃあ、もっと重孝さんを下さい」
「バカ、煽るなよ」
そう言いながらも、俺はもう一度薫の中に欲情を捩じりこんだ。