時の歯車の旅路
時はすでに夕暮れ時だった。いつもの通学路を何の気なしに歩いていた。近所の公立中学の制服を着て、笹井里沙、中岡由奈はこれから起こる運命などは知るよしもなかった。二人は幼稚園からの親友で、同じ高校を目指して勉強していた。里沙は頼もしく、優しい由奈が自慢の友だった。
二人が大通りにさしかかると、美しい夕日に雲がかかり始めていた。しかし、歩く人々はそんなことに目を向けなかった。
「もう、今日の小テスト最悪だったー。」
「教えてあげるからさっ、元気出してよー」
「由奈は数学得意だもんね。」
「まあねー。その代わり、理科1の問い6は教えてね。」
「うん!」
二人は笑いあった。と、その時曲がり角から猛スピードの車が里沙に向かって走ってきた。里沙がそれに気がついたときは、体が硬直し、周りの悲鳴混じりの声も聞こえなくなっていたが、由奈の泣き叫ぶような一声だけが耳に入ってきた。
「危ない!!」
そして里沙を突き飛ばして助けようとしたが由奈は間に合わず、ドンという鈍い音とともに二人とも宙に舞った。そして地面に二人が打ち付けられたときは、もう意識はなかった。
里沙が目を覚ましたとき、目の前にあるのは真っ白な空間だった。里沙ははっと飛び起きた。辺りを見回しては、ただただ驚くだけであった。もちろん何が起こったかは理解できなかった。里沙は立ち上がって出口を探し始めた。自分が入れられたのならどこかにその扉があるはずだ、と、思ったからである。しかし、すぐにそれは不可能だということに気がついた。壁が見あたらないためである。里沙は氷が背中に入ったときと似たような感覚を感じた。冷や汗は止まらない。あり得ない、その一心でおびえつつこの空間をかけた。そしてたしかに壁がなく、終わりのない空間であることを察したが、それと同時にこの空間には自分以外の人間が存在することに気がついた。白い空間の先に人が倒れていた。その光景は紙に墨を一滴垂らしたような物だった。里沙は慌てて駆け寄ったが、途中で「走り」は「歩き」になりやがて「止まった」。誰がこんなことを予想していただろうか。少なくとも、里沙はしていなかった。そこに倒れていたのは由奈であったのだ。
「由奈・・?起きて!・・・・由奈・・?」
由奈は目を覚ますどころかぴくりとも動かなかった。手は氷のように冷たかった。
「しっ・・・死んでるの・・・?」
「いや、死んではいない・・・。」
里沙は背後に人の気配を感じ、ばっと振り返った。すると、赤髪の背の高い男性が立っていた。見間違いでなければ羽も生えている。しかし、天使のような優しい顔ではなかった。
「誰?!」
「俺は問題処理運命部の人間課のナンバー4552天使ミッシェイルだ。」
里沙は耳を疑った。先ほど述べた外見の件もあるが、白い空間に天使となると夢でも見ているような気分になった。ミッシェイルは赤い髪をなびかせながら、静かに、恐怖を引き立てるような声で言った。
「そいつはまもなく死ぬぞ。お前のせいでな。」
「えっ・・・?」
里沙はミッシェイルの瞳を見ながら嘘だといってくれ、夢だと告げてくれ、と、目で訴えた。そして足と手の震えが止まらなくなりながらも、由奈を見つめた。
「本当はお前が死ぬはずだったのだ。里沙。」
里沙は自分の手を見つめ、自分にまだ「生」が宿っていることを感じた。でも、なぜ?と言う疑問すら言葉にならなかった。ミッシェイルは里沙に一歩よってこういった。
「こいつを助けたいか?お前にしかできないことなのだが。」
「どうすればいいの?助けて、助けて!!!お願い!!!」
「運命の歯車を元に戻すのだ。ずれてしまった歯車をな。」
「・・・元に・・・?」
はっとよぎった考えは当たってしまった。ミッシェイルはこう続ける。
「お前が代わりに死ぬのだ。こいつを助けたかったらな。元の運命はお前が死ぬはずだったのだから。」
里沙は泣き出しそうな顔で、返す言葉を探すことができなかった。
「私が・・・死ぬ・・・。」
ミッシェイルの赤い髪がなびいたのすら、里沙は気がつかなかった。ガクンッと座り込んで、目線を由奈に当てるだけだった。ミッシェイルも由奈に目線をおろし、少し気の毒そうな顔をしながらいった。
「お前が生きているのはこいつの強い意志で、お前の死ぬという運命の歯車をどこかに落としてしまったからだ。こいつがお前を救ったのだ。」
「由奈・・・が・・。」
里沙の気の抜けたような顔は、徐々に変わっていった。目つきが遠くを見つめるようになった。うつろだった瞳は一点を見つめるようになった。
「分かった・・・。どうすればいいの?」
「いいんだな?」
「うん。これでいい。」
ミッシェイルはこくりとうなずいた。
「これからお前とこいつの記憶と心が造った世界に行ってもらう。タイムリミット一ヶ月以内で運命の歯車とこいつの魂を探すのだ。死ぬか、タイムオーバーになったら、こいつが死ぬ。分かったな?」
「なんとなく・・・かな?」
「じゃあ行ってこい。」
そう言うと、ミッシェイルは一度杖を高く掲げてから、思い切り地面についた。ダンッという音とともに、ぶわっと地面から風が吹き上げてきた。そして、杖のついたまわりだけ、濃い闇が造られた。里沙は、息をのんだ。今から、ゲームのような出来事が自身に起こりそうだったためだ。一瞬戸惑った顔になったが、胸に手を当ててから顔を変えた。
「飛び込め。」
里沙は静かにうなずき、由奈、今行く、とつぶやいた。そして、思い切り、闇の中に飛び込んでいった。すると、闇は消え、里沙の体はどさっとその場に倒れ込んだ。
「魂は、無事にあそこにたどり着きそうだな。あいつは、どんな運命をつかむのか・・。」
ミッシェイルはどっと座り込んだ。そして、また赤い髪をなびかせながら、ふうと息をついた。彼はこの仕事を好めない様子だった。当然である。今まで、何人に運命を告げ、何人を死なせたことか。それを考えると、息もつきたくなる。ミッシェイルは、残った二人の体を見つめて泣きそうな顔をしながら、ありもしない空を見上げて、すまないとつぶやいた。先ほどの厳しい顔のミッシェイルとはまるで別人だった。やはり、彼は天使なのだろう。天使がなぜ存在するのか、人間という生き物を天使や産みの親の神が縛り付けるのは哀れではないかと思ってしまう。その気持ちは、人間にどんなに冷たく当たってもごまかしきれる物ではなかった。毅然と、冷淡に、悪魔のような態度で振る舞っても、人間の涙に対して自分の感情を隠しきれずにはいられなかった。
「さて、あと一ヶ月・・・。長いようで短いな・・・。二人が生き残る道はないものか・・・。あれは・・起こらないのか?」
ミッシェイルはまたため息をついて、うつむいた。