海を切りさく
はさみでまっすぐに線を引くように。綺麗に
あなたは私の海。
心の中からあふれ出して、命を生んで痛みを生んでまた海に帰ってゆく。還ってゆく。あなたへと帰っていく。私はあなたから生まれて、あなたへと死ぬ。
私はあなたを愛し、憎み、涙を流し、その涙は海の味がする。遠い命の味がする。そして虚ろな心のままに愛も憎しみもおかしくて笑う。そんなもの初めから存在しないのに。
ただ、あるのは痛みだけ。
だけれど海は闇の色をして真暗でうつくしいから。切りさいてしまおう。鋭い銀色のはさみは私の刃。日を反射した涙のように鋭く光る。
私たちは海辺にいた。夏にはまだ早いのに水になろうとした。海になろうとした。太陽はこれから憎いほどに私たちを照らすだろう。私たちを殺す準備をしている。じわりじわりと、真白にすべてを染め上げる。心は空白になり瞳の奥からはまたゆるりと水が薄い膜を浮かべる。まぶしい。
太陽はいたい。
子供の私ははしゃいでいた。あなたは私と一緒になって水と遊んでいた。私と遊んでいた。けれど、あなたの目は私を見ていない。どこか失われたここではない何かを見つめている。どうしてもそんな印象がぬぐえなくて、私はこわかった。このまま海になってひとつになれたらいいのに。私はあなたに還りたい。
私たちはひとつ、けれどふたつ。はさみで真二つに切りさかれた深い海。底の見えない闇の海。
(ねえ、 )
私にはあなたの心は分からない。あなたの海は分からない。それでもいい。それでも何も構いやしない。ただ傍にいればいい。ただそこにある世界。それでも――、涙は海となる。
どしゃ降りの雨の中、私はただ立ち尽くす。雨の世界、海も空も鉛色ですべてが水になっていく。私はひとり、ひとり。灰色の世界に溶けることもできない。私はどこにも居場所がなかった。
私はあなたが憎かった。あなたは私を愛したけれど、優しかったけれど、心はいつも遠く。遠い空のそのまた向こう、夢を見ていた。夢はいつも儚くて美しい、つかめない幻。
私の心はいつもあなたに続いていて、あなたしかいない。あなたから生まれて、あなたへと死んでいくだけの、それだけの人形。私はあなたの人形のようなもの。
あなたは海が好きだった。だいきらいって言いながら、海を見つめているときは穏やかで澄んだ瞳をしていた。けれど、その澄みきった光は私が生み出したものではない。私は海になれない。私の海はあなただから。
それでも、私たちは手をつないだ。ぬくもりは嘘ではない。
悲しみは嘘ではない。ただ、ふたり。
それはあたたかく。
ただ、ひとり、海。
(ねえ、おかあさん)