拝啓、屑教師共
恐縮ながらも現在国立大学で教員をしている26歳の若輩者である。
大学院卒業後、偶然に偶然が重なりこんな場違いな場所に就任することになってしまったのだが、紆余曲折ありつつも3年目を迎えた私には社会人としてそれなりの規則と常識が身についていた。
国立大学というところはまさにドラマ「白い巨塔」のようである。
国立大教授という名誉賞を我が手中に収めんとするため、半ば財前五郎と化した集団はあらゆる手を使って他人を蹴落とし這い上がってゆく。
さしずめ私は研修医の柳原といったところか。いや、もしかしたら作中にすら登場していないかもしれない。
助教というポジションはその程度の認識であると思っていただいて結構である。
「…というわけで、頼むよ細川くん」
「……はい。かしこまりました」
はっきり言って私は大学教員にはつくづく向いていないと思う。出世したいという多少の願望はあるが、そのために策を弄するなどという器用なことは到底不可能である。
では何のために働いているのかと問われれば「お金を貯めていつか家を建てたい」といった先の見えない夢のためととりあえず回答しておこう。
たった今も准教授の先生に理不尽な要求を叩きつけられたところであるが、議論したい気持ちを抑えながらも自らに与えられた「下っ端」という職務を全うしなければならない。
私に選択の余地はなく、仮にあるとすればそれは「YESかはい」というまさに社畜の鏡のような台詞のみである。
先ほどの会議は現在私が委員として関わっているプロジェクト「教師のパワーアップセミナー」に関する打ち合わせ会であった。
私は教育学部に属する教授の小間使いをしており、空気の読めない彼らの賛同によって何やら怪しげなセミナーを開催する手筈となってしまったのだった。
セミナーの対象者は市内の小学校・中学校・高等学校・特別支援学校に勤務する非常勤を含めた講師の方々であるが、内容を説明する前にまず私の持論を言わせていただこう。
私は、教師になる人間をクズだと思っている。
教育学部で将来教員になる学生たちと関わっておきながらよくそんなことが言えたと思うが、恐らくこの考えは私が教授になるまで変わることはないだろう。つまり、一生ない。
クズとは言ったが、決して教師になる人間を見下しているわけではなく、ただ私は極力、いや全力で彼らと関わりを持ちたくないのだ。
爬虫類の苦手な人がアフリカニシキヘビを見た途端「生理的に無理」などと言うが、それと全く同じ解釈であると捉えていただきたい。私に彼らを拒絶する決定的な要素も理由は特に思い当たらないのだ。
しかし、大学教員という立場上、教員志望の学生と関わらない訳にはいかない。だがそこは人間不思議なもので、業務となれば生理的に不快感を抱く相手でも難なく接することが出来るのだ。
やや脱線してしまったが話をもとに戻そう。「教師のパワーアップセミナー」という胡散臭さが十二分に漂うセミナーの内容はいたって単純であり、
教員採用試験に毎年落ち続けているどうしようもない講師の先生方を集め、指導力向上のために大学がバックアップしてやろうではないか(上目線)といった内容であった。
セミナーは期間を空けつつ3日間に渡って開催されるが、第1日が今週末に迫っているにも関わらずただの思いつきのような業務を押し付けてきた同委員の准教授に憤りを覚えながらも、私は当日の準備に追われていた。
ところで、私には同じ時期に就任した同役職の人物が1人いる。彼の名は伊藤淳二と言い、31という年齢ながらも少年のような純真な心と大変破廉恥な精神を兼ね備えた私の師ともいうべき人物である。
私は講師を対象にしたセミナーにいささかの疑問を感じながらも、伊藤大師匠に事のあらすじを説明したところ、彼はこう言及した。
「何回受けても通らない奴には何か問題があるんだよ」
その時、私は教師を毛嫌いしていながらもその言葉の意味を理解することはできなかった。しかし、後のトラブルで真意を知ることになる。
そして、教師という奴らはやはりゴミクズの集まりであることを改めて感じたのだった。
「本日はお忙しい中お越しいただきまして、誠にありがとうございます…」
先日の会議で私に不可解な業務を押し付けてきた波多野准教授が、研修室のホワイトボードの前に立ち形式張った挨拶を行っている。
「教師のパワーアップセミナー」の初日にはおよそ21名の非常勤を含む講師が集う予定であった。
席札の作成、グループ編成、資料の印刷、事前の最終確認も含めた連絡等々、異常なまでに几帳面な波多野准教授の管轄のもと私はただ黙々とセミナーの準備に勤しんだが、案の定その甲斐も虚しく早速問題が発生した。
「無断欠席?」
「はい…実はまだ3名の先生方が来られてなくて…」
波多野准教授が講師の方々に対して自己啓発を促すような有り難みのない話を進めている中、私は委員の1人である柏原准教授にそっと耳打ちした。
柏原准教授は3年前に教育委員会からの交流人事として就任した先生で、市教委に勤務する以前は中学校の教師をしていたらしい。
人間味のある人物で私も関係は良好であったが、中学校の教師と聞いた時の嫌悪感は今でも拭うことができなかった。
「講師の先生には、万が一の際は私の携帯の方に連絡するようお伝えしているのですが…」
そう呟くと、柏原准教授はさらに顔をしかめしばらく黙り込んだ。私は彼が現在の大学教員としての思考と以前の中学教師としての思考の間でせめぎ合っているように見えた。
「…まあ、現場の先生方も忙しいから、急な予定が入ったんだろう。学校現場ではよくあることだ、今回は大目に見ようじゃないか」
どうやら彼は中学校教諭としての思考に進んでしまったようだ。私はその言い分に明らかな違和感を感じながらも、だた相槌を打つしかなかった。
「自ら申し込んだ研修会に無断で欠席するなど、社会人としてあるまじき行為だ。恥を知れ。そんな人間が教壇に立っていると考えただけでも鳥肌が立つ」
私の頭の中に潜むもう一人の人格がそう囁いた。「彼」のいうことはもっともであるが、ここでその発言を柏原准教授にぶつけたところで何の解決にもならない。
真に問いただす必要があるのは無断欠席をした非常識な3名の講師である。
私はそう考えながら新興宗教団体の教祖のように延々と演説を続ける波多野准教授の話を聞き流していた。