架空植物園
失恋草
孤島の閉鎖された環境の中、蘭のある種は、蜜を作って呼び寄せる筈の所をメスの昆虫そっくりな花の形に進化した。さらにフェロモンに似た匂いも出してオスの昆虫を呼び寄せる戦略をとったのだ。しかし長い年月の間にその昆虫は絶滅してしまった。急に戦略は変えられない。蜜を作らずに、その花は今も来る筈の無いオスを待っているのだろうか。
* *
オレは最近麗子のテンションが下がっていることを感じていた。出会った頃には、私の言動にすぐに反応して笑ったり、感心したりしていたのに。そもそも育ちが全然違う二人、子供時代の話をしているだけで、退屈しなかったのだ。
「ねえ、私たちのデートっていつも映画を観たり、喫茶店で話をするかだけよねえ」
麗子が言うことはもっともなことかも知れない。今では落ちぶれた麗子の両親だが、ちょっと前までは、住み込みの家政婦のいる家だったという。しかし貧乏な家庭で育ったオレは遊びを知らなかった。中学、高校時代は部活もせずに帰宅していた。兄弟は歳の離れた弟一人、だから零細企業を営む両親の代わりに弟の相手と母の手助けに炊事の手助けしていたのだ。大学時代もバイトに明け暮れ、海や山に行くことも、飲み屋やカラオケで騒ぐことも無かった。
「だって、パチンコは最初だけ面白がっていたけど、二回目にはすぐに出ようと言ったじゃない」
オレは、自分でも情けないセリフだという自覚はあった。麗子は自分からあそこに行こうとか、あれがしたいとは言わないので何をしたいのか分からない。多分ゴルフや社交ダンスならテンションがあがるのだろうとは思うが、オレは興味が無かった。
「あーあ、ワーッと声をあげたくなるようなこと無いかねぇ」
オレは隣で心持ち顔を上にあげながら、腕を後ろで組んで胸をそらしながら言ったその姿を美しいと思った。麗子が喜ぶことをしてあげられない自分が情けないと感じる。オレは一年前に見た幻想的で美しい風景が頭に浮かんだ。そうだ、あの風景なら麗子も声を出して歓声をあげるかもしれない。
「少し長く歩くことになるけど、綺麗な景色の所があるんだ、行ってみる?」
「うん、いいよ」
あまり期待はしてないけどね、という感じで麗子が返事をする。
「もう梅雨入りしたようだね」
「昔は雨が好きだったのよ、わたし。でも今はなんか鬱陶しく感じるわ」
「なんか凄く歳取ったみたいな言い方だ」
「歳とったわよ、確実にね。女の盛りはあっという間よ」
「オレは全然変わっていない気がする」
麗子がチラッとオレを見て、また前を向きながらふっとため息のような息を吐いた。
以前は意識しなくても途切れることなく次々と続いていた会話も、無理に続けているような気もする。オレの麗子に対する気持ちは変わっていない筈なのに、次第にそれさえも自信が無くなってくる。