描写番「T&J」
上は「マロニーの法則」とでも名付けられるべき定番の真理であると私は思う。更に言えば、世の中の大概の事はマロニーの法則で説明がつくと、私は確信している。
例) そこにおっぱいがあるから……そこにおしりがあるから……そこに唇があるから……そこに君がいるから……etc
少し目先を変えて、猫と鼠の関係に、マロニーの法則を当てはめて見よう。まず猫に対して「何故鼠を追うのか?」と問いかけけてみたならば、きっと「そこに鼠がいるからだ」と答えるに違いない。
そして次に、同様の質問を鼠に投げかけてみよう「何故猫から逃げるのか?」その場合に、想定される鼠式の解答はこうである――「食べられたくはないからね」
猫は常に追うものであり、鼠は常に追われるものである。それは自然の摂理、ひいては宇宙の法則であろる。
然るに、追う猫の方が鼠より強いとは限らない。いや、むしろ逆であると言ってしまっても良いかもしれない。猫VS鼠の追いかけっこの結果を、統計的に分析してみれば、それがよく分かる――鼠が猫から逃げ切るケースの方が、慣例的には多いのである。
つまり、猫>鼠 は必ずしも真ならずで、猫<鼠、もしくは 猫≦鼠 の方がより真実に近い方程式であると言えるであろう。
以上を踏まえて、或る午後のレースを、その最もありふれた一幕の一例として、出来るだけ忠実に描写実況してみたいと思う。読者諸兄の皆様方、飽くことなく最後までお読みいただければ、筆者幸いの極みである。
*****
猫が鼠を追いかけている。
鼠が猫に追われている。
猫の鼠追う様、真っ直ぐに走るよりもそうした方が速度がでるのであろうか?猛烈左右に体を揺らして走っている。
獰猛な爪――神が与えたもうた硬質な殺戮許可証――を床にカシャカシャと当てつつ、背を弓なりに大きく湾曲させて、疾走している。その走りから類推するに、猫の肉体というものは、残虐性をテーマにして設計されているに違いない。
「今日こそ……私はあの鼠を殺してやるのだ」
残忍な狩猟本能が決意表明をしている。猫の魂は、肉体の輪郭に沿うて閉じ込められている内に、残虐な型に成型されていったのだろう。残酷な肉体にはやはり残酷な魂が宿るものだ。
「捕まるわけにはいかない」
鼠、焦げ茶色の短毛を風に撫で付けながら、加速していく――あの猫は、今日こそ私を殺す気だろう。猫の殺意は、正確に鼠に伝わっていた。追うて迫り来る猫の、その切迫した肉体躍動が、言葉を介すことなく、不穏なる物音のみをして、猫の真意を伝達したのだ。
「今日こそ、捕まえてやる!」
猫の筋肉が、雄弁にそう語っている。
猫と鼠の逃走劇は、いつの間にか舞台を庭へと移動させていた。
鼠の目線の先に、鼠一匹が通れるかどうかといった直径の闇を囲っている雨樋のパイプが見える。
「あの雨樋に逃げ込めば、きっとやり過ごせる」
直径10cmほどの闇が、鼠の目指す活路であった――その闇は希望であり、光であった。
雨樋パイプ内に湛えられた円形闇は、かつて鼠の命を助けてきた数々の闇の中でも、定番の闇の1つであった――そう、過去に何度も、鼠はこの闇に飛び込む事で九死に一生を得ている。
「神よ!感謝いたします」
鼠は、闇に身を潜り込ませた。パイプの闇は、何の抵抗もなく鼠を受け入れた。逃走劇の舞台から、忽然と姿を消してしまった鼠。
「逃がさない!」
鼠が神に祈ったように、猫は悪魔に意思を委ねて、ただただ一途に、雨樋パイプに突進していく。
「絶対に逃さない!」
古より、神が数々の奇跡起こすを見て、悪魔はきっと嫉妬していたのだろう。その嫉妬は蓄積されて鬱憤となって、いつの日か、何らかの現象を引き起こそうと待ち構えていたのだ――それが今、猫の身体に変化を及ぼした。
雨樋パイプに猫の頭がねじ込まれていく、直径10cm円形闇は、猫の侵入を拒むつもりであった。が、今日の闇は既にして、悪魔によって懐柔されていたようである。本来は物理的に受け入れがたいサイズであるはずの猫頭の突進を、すんなりと受け入れた雨樋パイプの闇――神よ見よ!この奇跡の真似事を!
異様な光景であった。まず初めに、鼠追う突進の勢いをもって猫の頭部がパイプに入っていった。そしてそれに続くようにして、猫の肩、前足、胴体、腰、後ろ足が、吸い込まれるようにパイプに侵入していく。悪魔と契約したパイプは、猫の大きさ分だけ内部の闇を膨張させている。それに沿ってパイプも当然膨らむ、猫がパイプ内を前進して行くと、パイプの異様なる膨らみは、徐々よ徐々よと猫の移動をなぞるようにしてシームレスにスライドしていった。
背後からの熱気、あり得ないプレッシャーを感じて、鼠は驚愕した。
「奴が追って来ているのか?!」
もはや、雨樋パイプの暗闇路は、鼠専用の一本道ではなくなっていた。
「殺られる」
鼠は焦った。藻掻いた。闇を必死に蹴っ飛ばして、一分一秒一刹那でも速く雨樋から脱出しようとして、脱兎のお株奪い脱鼠の如く加速していった。
「待ーてー」
暗中にくぐもった猫の声、背後から聞こゆ。声は既に、鼠の後ろ足に絡みついている。鼠の肌は、鳥肌もの。
「光だ!」
かつてこの闇に侵入する時に、この好ましい鼠大の闇を、希望の光りと感じたものだが、今、鼠の目の先で、小さな小さな太陽光線の蟠り、脱出口の丸い光は、まさしく光そのものであった。
「我、今日も生きれり」
鼠は弾丸のようにパイプから排出され、その勢いのままに、庭の裏手へと姿を消した。
猫は?
パイプの中で、失意に打ちひしがれていた。
「逃したか……」
敗北感……鼠に負けてしまった猫にしか分からない脱力感。失意のうちに失速しつつ、猫の身体、雨樋パイプを飛び出した。
光。
眩しい……絶望の光。
白日の元に晒された猫の身体――悪魔と契約した代償を負っている。
パイプを通り抜ける前までは、野生をデフォルメしたような、見事な肢体をしていた猫のしなやかさ――今では見る影もない。
円筒。
猫の体はすっかり円筒形になってしまっていた。雨樋パイプを通り抜けるといった、物理法則に逆らう所業の代償、それが、この体――きっちり直径10cmの筒となってしまった猫の体。
猫は首を真横にねじると、その向こうで一部始終を見ていたであろう誰かに向かって、2、3度目を瞬いた。その瞬きの度に、チコチコというベルの音が聞こえていくるようであった。
「きっと……八つ裂きにしてやるぞ……ジェリー……」
再び鼠の後追って、走りだそうとする猫の行く手、脚深き芝生の上、横倒しになった鍬と鋤が、向かい合わせに待ち構えていて……