おらんうーたんかもしれない
いつも行く銭湯で、再々一緒になる常連客の一人、がである。
決まって夜の8時頃、彼はこの銭湯にやって来る。いつも一人でやって来る。いでたちは決まってTシャツに短パン姿だ――冬でも。そして彼、独特な前傾姿勢で、左右に大きく揺れながら、のそのそと暖簾を潜って入ってくる。
私は、そのたんびに「ウワッ」と心の中で、小さな悲鳴を上げてしまう。それほど彼は、どこからどうみても徹頭徹尾オランウータンそのものなのである。
彼がしゃべってるのを聞いたことはない――話しかけてみようかな――といつも思ってはみるのだが――勇気がない。
He is オランウータンに似ている人,――では決してない!……と思う……彼は、オランウータンなのだ!然るにである。人とオランウータンを決定的に見分けるポイントというものは、一体あるものであろうか?私には分からない。私に出来るのは、彼の一挙手一投足を観察する事だけである。そうすることで、いつか分かるかも知れない――彼の正体が何者なのか……
彼、番台のおじいさんと、ごくごく普通にお金のやり取りをしているぅ?そして持参したボディーソープを使い、念入りに体を洗ってから、浴槽に浸かるぅ?
湯船に浸かる類人猿ん?――気持ちよさそうにしている顔の表情ときたら、ますますオランウータンだぁ?
そして頃合いを見て彼は、風呂から上がり、体を拭き帰って行く……一体何処へ???
とにかく彼のすべては、謎だらけなのだが、一番根本的な謎はやはり、そもそも彼の正体が、人間なのかオランウータンなのかということに尽きる。
先日、思いきってある実験を試みた。風呂上りの彼に、よく熟れたバナナを差し出してみたのだ。眉間にしわを寄せ、怪訝そうにバナナを見つめる彼。
「どうぞ」
私は、できうる限りの「敵意はありませんよ面」で、彼の目の前へ、グイとバナナを突き出した。すると……彼は、軽く会釈をし、バナナを受け取ると、スルスルと皮をむいて食べてしまった。
私は、実験の結果を目の当たりにして愕然とした。
(この実験――そもそも何の意味があるんだ?)
人間でもバナナ食べるし……
ただ一点、彼は会釈を返した。オランウータンが会釈をするだろうか?……うーん……訓練されたオランウータンならするかも知れない……彼は、人間と同じくらい自然な流れで、銭湯に入る事のできるよう訓練されたエリートオランウータンなのではないだろうか?……いや……そんな馬鹿げたことあるはず………というか私はそもそも……一体何の為に、こんな事をやっているのだろう???
私は、もう悩まぬことに決めた!
普通にお金を払い、静かに入浴し、誰にも迷惑をかけずに、彼は帰っていくのである。別に問題はないではないか!銭湯の張り紙には、「刺青お断り」とは書いてあるが、類人猿については記述がないのだし……
*****
ある日、変化が訪れた。
オランウータンな彼が、子供を連れてやって来たのである!
その子は……どう見ても……人間の子供だった――人間の子供は、彼にとても懐いている様子で、楽しそうに話しかけたり、抱きついたりしている――その様子から推察するに、彼はその子の親なのだろう。ということはつまり、彼はやっぱり人間だったのだな?!
(ああー危ねー!もう少しで「あなたオランウータンなんですか?」なんて失礼な質問してしまうところだったよぉ)
彼が人間だとしたら、絶対にオランウータン似の自分の外見を気にしてる事だろうし――もう少しで私は、彼を傷つけてしまう所だった。
彼がどうやら人間らしいと分かって、幾分かほっとした私、フランクに彼に話しかける。
「お子さんおいつくですか?」
同じ湯船に浸かりながら、初めてのコンタクト。全身明るいオレンジ色の体毛で覆われた彼、灰褐色のシワだらけの顔を更にクシャクシャの皺に埋没させて、私の質問に答えた。
「今年で4才になります」
「へー、そうですかー」
私は、ごく自然を装いつつ、彼から顔を背け、そこで破顔した。
(上から下まで、見た目は120%完全にオランウータンなのにしゃべってるよおおぉおおおー!スゲェェエー、逆にスゲーーーー!!! これで人間なんだー!スゲエェッェエエ!)
神が創りたもうた人間という種の、その秘めたる可能性について、湯船の水面を密か波立たせながらも、感動を禁じ得ない私に向かって、彼は続けて言った。
「いやー、しかし手がかかりますねー、人間の子供って」
私は戦慄の粟粒が、尻から首まで駆け上がってくるのを感じゾワワと身じろぎしつつ、彼に尋ねた。
「えーと、そのお子さんは……」
彼は、ウキッとこう答えた。
「ペットです」
もうなにが何だか分からない私は、彼という謎に逆上せてしまい、そうそうに湯船から上がって退散した――それ以来、あの銭湯には一度も行っていない。
今でもいるのだろうか?
人語を自在に操り、人間の子供をペットとして飼育しているオランウータン……いや、オランウータンかも知れない謎の生物……今でもあの銭湯の湯船の中に、午後八時には、いるのだろうか……
作品名:おらんうーたんかもしれない 作家名:或虎