青のルージュ
「愛って何色をしているとおもう?」
「サア。連想するのはハートなんかだけど、赤色とか?」
「いいや、違う。赤は命と情熱を。愛を表す色は青なのさ。」
彼はひと呼吸おいて、続けて言った。
「君には、青がよく似合う。」
***
誰もいない世界に行かないか。
男が誘い、女はそれについて来た。
そうしてはじまった二人の暮らしはつつましく静かなものであったが、満ち足りた日々だった。
二人で完成させた世界がそこにはあった。
***
その日は女の誕生日だった。
男は女に何か贈り物をしようと考えた。
彼は町へおりてゆくことにした。
***
彼女には青がよく似合う。何か青いものがいい。
そう思いついた男は、化粧屋の中へ這入っていった。
「おたずねしますが、青色のルージュはありますか?」
「ええ、数は少ないですがないこともありませんよ。ほうら、こんなのはいかがか?」
化粧師は男に数本のルージュを差し出した。
「ムウ、これではちょっぴり淡すぎますな。」
「しかしあまりに深い青色のルージュなんてありません。だれがすき好んで血色を悪くしようと言うのですか。そんなのまるで死人じゃないか。」
男は店をあとにした。
***
男は狙い通りの贈り物をなかなか見つけ出すことができず、町をあちこちまわった。
すると往来からはあまり目立たない煤けた雑貨屋が目に入った。
雑多に積まれた商品とおぼしきガラクタ類にはのっぺりと埃が積もり、そのどれもが褪せた色味の中にかつての面影を仄かに残しているばかりであった。
今にも瓦解しそうな、否、ひょっとするとすでに瓦解した後なのでは、と思わせる程猥雑とした佇まいに男は訝しんだが、意を決して雑貨屋の硝子戸を引いた。
***
カウンターの奥にしなびた白葱のような老爺がぽつねんと佇んでいた。
どうやら店主らしい。
男は店主にたずねた。
「青いルージュなんぞは置いとりませんか?」
「はて。そのようなものはありませんが、かわりにこちらなんぞは如何でしょう。」
そう言って店主は売り台の陰から台形型の小瓶を取り出した。
「トルコ石と黒檀を砕いて、イルカの涙で溶いた青色インクです。」
それはぬらぬらを輝き、天鵞絨のように滑らかだった。
まるで宇宙から沁み出したかのように、やさしくて優雅な青だった。
「美しい色合いだ。これを頂きます。」
満足した様子で店を出て行く男に、店主は恭しく頭を下げた。
***
家へ帰ると女が待っていた。
「君にプレゼントを買いに行ってたんだ。喜んでくれるといいが。」
微笑みながら男は己の心臓にナイフを突き立てた。
その瞬間、彼の胸から噴き出したのは体をめぐる赤い鮮血ではなく、美しい青インクだった。
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「君を青く飾ろうといろいろ探し回ったんだがね、結局この青インクが一番美しかったんだ。でも瓶に容れたままじゃ君を染めることができないから、僕の心臓に注ぎ込んだんだ。そうすれば目一杯に君を染められる。鼓動の度に勢いよく飛び散るから。」
男が語る間もとめどなくインクは溢れ、そこここが青く染まった。
女の髪も瞳も衣服も青く染まった。
「ああ、美しい!世界で最も美しい色に染まった君をこの胸に抱きしめる歓びよ。」
男のやわらかな抱擁に女も応え、びゅくびゅくとインクの噴き出る胸にその顔をうずめた。
いつまでもそうしていたいと、お互いに強くおもったがやがて男の息が途切れがちになった。
痙攣がひどくなり、男は立っていることができずに膝から崩れ落ちた。
女は男を支えようとしたが、男はぐったりとして動かない。
彼はその青い血を流しすぎた。
***
女は膝の上に男を寝かせ、その頭を優しく撫ぜた。
「いつかあなたは教えてくれた。赤は生命の色。滾る情熱の色だと。あなたはその命をかけた情熱のままに、私を愛してくれたのね。だからホラ、全身真っ青よ。こんなに素敵なことってほかにはないわ。ありがとう。」
ふふっ、と彼女は笑った。
「おかえしに私もひとつあなたに教えてあげる。赤と青が混ざった紫色は何を意味するか」
女は傍らに転がったナイフを拾い上げその胸を付き破いた。
鮮やかな緋色の血液があたりに降り注いだ。彼岸花が咲いたようであった。
青いインクと赤い血が混じり合い、みるみる紫色に変わってゆく。
「紫色は死の色なのよ。だから紫って『シ』とも読むでしょう」
知らなかったでしょ、とすこし得意気な表情のまま女も倒れこみ、男に覆い被さるように突っ伏した。
***
誰にも知られぬまま、二人は沈んでいった。