Butterfly Effect
Butterfly Effect ♯02
「山本君……良かったらうちの部(ブラスバンド部)に入部しない?……丁度E♭管(エスクラ)の子が辞めちゃって、代わりの人を探していたの」
「ブラスバンド……」
放課後、窓際で黄昏れていた山本君は、私の元気な提案を蔑ろに、「ブラスバンド……」とだけ呟いたきり、押し黙ってしまった。
この時点で気付くべきだったのだ――彼の心境、その苦悩に。しかし、私は、気付けなかった。「恋はエゴイズムを加速させる」……と言った哲学者がいたかいなかったかは知らないが、ともかく、私は山本君をブラスバンドに引き込む事で、何とかそのぉ……二人の距離を縮めたいと思う一心のみで次の発言をしてしまったのです。
「ブラスバンド。楽しいよ。初心者大歓迎だよ。私が色々教えてあげるから。楽器演奏なら膝が悪くたって出来るし……それに……もう卓球は出来ないんでしょう?その膝では……だったら、膝を酷使しない部活に移るのが普通だよ。まだまだ高校生活は長いんだから……ね?」
山本君は、顔を窓の外に向けたまま、私にこう言った。
「普通……普通ってなんだよ?……物心ついた時からラケットを握ってきた……頭ン中24時間卓球の事で一杯だった……膝の故障で卓球が出来なくなったからって……スッパリと踏ん切りを付けて、他の部に移る事が、普通なのかな?……確かに医者は俺に言ったよ『その膝では、もう二度と卓球は出来ないだろう』ってな。でも、だからと言ってすぐに諦めきれるもんじゃないだろ……出来もしない卓球に粘着している俺は普通じゃないのか?なぁ?」
静なトーンで淡々と語っていたが、きっと彼の心の中は、激しい怒りで満ち満ちていたのではないかと思う。私の余計な一言が、彼をザックリと傷つけてしまったのだ。窓の外を見ている山本君……ひょっとしたらその時、涙ぐんでいたのかも知れない。
悪気はなかった。本当に……それだけは信じて欲しい。勿論彼を傷つける気なんてまったくなかった。ただ私は……私は、山本君と一緒にクラリネットを吹きたかっただけ……それだけ……仲良く部活がたかっただけ……それは、結局私のエゴだったのだけれど……でも幾ばくかは彼の事を気遣う気持ちもあったの。このままじゃあ山本君、駄目になっちゃうと思ったから……とにかく何か新しいことに挑戦しないと……山本君、駄目になっちゃうと思ったから……だから、ブラスバンドじゃなくてもいい。膝が弱くてもOKなクラブに移籍して、新しい自分を見つけて欲しかったの。それが私の願いだった。
「ゴメンナサイ」
私は泣きながらダッシュして、その場を離脱した。肺に充満していた居た堪れない空気を、すっかり吐き出してしまいたく思い、過剰に呼吸を繰り返しながら、私は廊下を全力失踪した。
失踪……と言っても行き着く先は、限定されていて……結局最後には、自分の部屋に戻っていた。私は落ち込んできた。地の底、マントル深くまで。
「励ますつもりだったのに……」
それなのに、山本君を不覚傷つけてしまった。
「はうふう」
ため息。
「嗚呼ー、もうなんでよ!」
逆切れ。
「はうん」
ため息。
逆切れをため息でサンドイッチしてから、私はベッドに身を投げた。
「チクショー」
イミフな絶叫。
*****
そうそう、忘れていました。私の不思議な力の事、説明しないといけないですよね。この時なんです。私の目の前で、不思議な現象が起こったのは……
ベッドに寝転がって、天井の蛍光灯を見つめていた。どれくらいそうしていただろう……たぶん一時間ぐらいだったと思う。
すると。
ひらひらと、蝶が部屋の中を飛びまわっている事に気付いた。
何処からから舞い込んできたのだろう?窓は閉めてある。
(不思議だなぁ)
と思って眺めていた。
この際ハッキリ言っておくが私は昆虫に関しては詳しい女子だ。小さい頃、お父さんの書斎にあった昆虫図鑑を失敬して来ては、何度も何度も読み返していたから。
その蝶は……図鑑では見かけない蝶だった。強いて近縁種を挙げるならば、モルフォ蝶に似ていると言えなくもない。ただモルフォ蝶がほとんどコバルトブルー一色なのに対して、今、私の部屋を飛び回っている謎の蝶は、格段に豊富な色彩をその羽に宿していて……それは、まるで……喩えるならば、オーロラを圧縮して、蝶の形にしたような……そんな彩りだった。
ひらひら
聞こえないはずの擬音が、ハッキリと鼓膜を振動させている。
「おいで……」
私はゾンビのように気怠げに、上体を起こして、手の平を上に、水平に翳す。
すると。
蝶はまるで、もともと私の手の平が、最適の生息地であるかのように、当然至極といった趣で、ゆっくりと手の平の上に収まった。
「綺麗……」
蝶々綺麗……綺麗な蝶々……
私はそれしか言えない精神患者のように、心の中で何度もリフレインした。それほど美しい蝶だった。
蝶は私の手の平の上にいるが、決してじっとしている訳ではなくて、羽をゆっくりと開閉させて、複雑に光を反射させて、その色彩の豊かさを私の網膜や虹彩に焼き付けている。
――こんな美しい蝶ならば、きっと願い事の1つも適えてくれるのではないだろうか……
なんて、真剣に思ってしまった私を、変人だと決めつけないで欲しい。寧ろ逆に考えて欲しいのです。常識人の私に、そんな空想をさせるほど、その蝶は美しかったのです。
「お願い……蝶々さん……」
何処かの国の詩人が、「二つ折りの手紙」と喩えた事を想起しつつ、私は願い事を口にする。
「山本くんの弱点を……あのとんでもなく弱々しい華奢な膝を……限りなく強靭にしてあげてください。」
――以前のように元気に卓球が出来るように。
はらり
蝶は大きく羽を瞬かせた。光を色彩に変換して見せているだけのはずのその羽が、その瞬間には、紛れもなく自発光しているのを私の眼ははっきりと見届けた。
「お願い」
強く念押しして、手の平から逃した。蝶は、フワフワと部屋を旋回しながら、上昇して行き。
そして……
蛍光灯に吸い込まれていった。
…………
――あれは……光の一種だったのかな?
そう思うしかなかった。
「何なんだろう……今の」
そう呟いた途端、何だか私は眠たくなって、そのまま寝てしまった。
*****
次の日。
詳細は述べないが、ともかく……山本君の膝は、完治していた。午前中病院に寄ってから登校してきた山本君、かつて見た事ない笑顔ではしゃいでいた。
(きっと、あの蝶が……山本君の膝を……強靭にしてくれたのね)
私にはそう思うしかなかった。
*****
ここで話を終われたら、ハッピーエンドなのだろうが、そうはいかないのが現実。
山本君の膝が復活したその日。
C組の遠藤君の膝が故障した。
因果関係?
作品名:Butterfly Effect 作家名:或虎