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Misery

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「Misery」というタイトルだが、X Japanのギターリストで今は亡きhideのソロ作品にあやかっている。タイトルに反して陽気でアップテンポな曲調であり、私が落ち込んだ時に聞く定番である。私も辛気臭いタイトルだが、実は胸が踊るような楽しい文章を書こうと思っていた。しかし、どうにも文才が及ばなかったようで、ここ最近で好きになった物を紹介できるような文章にしていったら、こうなってしまったので、お暇であれば最後までお付き合いください。

 私はスキー部であるので、おおかたの同級生にとっては珍しいものではあるが交通の乱れを引き起こす迷惑な「雪」の世話になっている。ジョニー・デップが主演の「シザーハンズ」という映画によれば、雪はエドワードがキムのために氷を削り続けているために降るそうだ。「シザーハンズ」の有名なシーンというと「キムがエドワードに「抱いて」と言い、エドワードが応えようとするが、自分の手がハサミのために抱きしめられない。」というシーンだろうか?なんとも、悲しい愛情である。ピエロの笑顔に浮かぶ涙は殺すことでしか愛情を表現できないペドロリーノの笑うしかない悲しみを表しているというが、なるほど化粧をしたジョニーデップの顔に涙がみえる気がする。
 しかし、なぜエドワードは悲しまねばならなかったのだろうか?エドワードはたまたま出会ってしまったキムを愛したために悲しむはめになってしまった。つまり、愛することがなければエドワードは悲しまなかったわけである。そして、この世に雪もふらないのだろう。こう考えてみると、別れが辛いから恋愛はしないというのが、正しいような気がしてきてしまう。別の言い方をすれば、失うのが怖いから求めない。つまり、仙人のように山に引きこもって暮らせばみんな幸せという事か?あるいわドエトフスキーみたいに地下室にこもるか?・・・・引きこもりは少なからず問題視されますよね?

 矢沢永吉は己の生き方について「欲望を肯定する」と言っている。彼のこの言葉がセンセーショナルで在るのは、我々日本人が多少なりとも無欲であることに美徳を感じるからではなかろうかと思うに至った。かの有名な「般若心経」にも「色即是空」・・・乱暴に言えば、欲望も辛いことも全部どうでも良くなってしまえば楽に生きていける、との考え方がある。しかし、私はこの教えには助けられることはあっても、常日頃から心がけようとは決して思わない。
 新聞もテレビも仕事も無い部屋で日がな一日なにもせず過ごしている自分を想像して欲しい。それが何日も続くとしたら、どうであろうか?最初の数日は日頃の多忙から離れ心地よい暇を味わうことができるだろう。一週間たったらどうだろうか?そろそろ、飽きてくるころだろう。一ヶ月たてばどうか、嫌になっているにちがいない。一年たったらどうか・・・・・というか、普通ここまで来るまでに暇つぶしを探しているはずである。そう、初めのうちは「ただ無為に時間を使いたい」という欲望が満たされていき充実した人間的な時間を感じるが、そのうちそんな風には感じなくなってしまう。なにやら忙しくしていて文句垂れてる方が意外とと幸せでいられるだろう。欲求不満なぐらいでいいのかな?

 エリク・クラプトンのLaylaという曲が在る。この曲にはジョン・ハリスンの妻だったパティ・ボイドに「お願いだから、僕に君を愛させておくれ」というエリク・クラプトンの気持ちがあったそうだ。こんな、個人的な恋愛の曲がどうしてあんなに売れたのか?
 私が高校生だったころ文学というものが須らく嫌いであったので、現代文の先生に文学をやる意味を聞いたことがある。その答えというのがなかなか面白くて「たしかに文学は非生産的な活動だ。しかし、ある一人の作家をとことん突き詰めていくと、もっと大きな普遍性になるはずなんだ。」だそうである。まあ、「だからどうした?」と言えばそれまでであるが、欲望もかなり普遍であると思う。だから、愛情というある種の欲望を素直に歌ったLaylaは感動する。
 ショーシャンクの空にという映画で「主人公は壁を掘ることをたよりに刑務所の中でまともでいられた」と言っている。なるほど「外の世界にでる」この一点の欲望に置いて彼はぶれずに唯のヒトではなく人間で要られたという事か。あるいは、東京工業大学でロボットの研究をしている広瀬茂男教授はこんなことを言っている。「ロボットに知性をもたせることは近い将来可能であろう。しかし、ロボットはそのハードもソフトもデータとして保管でき、再現可能である。したがって生存欲求を持ち得ない。このため既存の知的生命体とは根本から異なる存在になるはずだ。」というものだ。これを裏返せばロボットと人間の違いは生存欲求を持つか否かという事になる。つまり彼の論拠によれば生存欲求、おそらくは最も起源的な欲望こそがヒトを人間にしている。

 実はもうひとつ、Laylaが良い理由が在るのだと最近気付かされた。それは、欲望の大きさにある。すこし説明しづらいので「海の上のピアニスト」という本を紹介したい。主人公1900(誤植に非ず)は移民が船のなかで産み、捨てた子で、一度も船を降りたことがない。彼は人生で2度船を降りる機会を得た。しかし、彼は船をおりず爆破解体される船と共に海に消える。彼は最後に船を降りるように説得しにきた親友に対して、「俺には陸は大きすぎる。」と答えている。彼にとっては船の上が全てで、それ以上巨大なものは得体のしれない恐怖の対象でしかないということだろう。これを読んだ時に、なにも大きすぎるというのは彼だけに言えることでは無いという気がした。個人的な経験なのだが本当に幸せな充足感を感じる瞬間というのは、多くの仲間と手をとり合って文化祭を成功させた時ではなく、自分が育てたカブトムシが羽化した瞬間にあるように思う。だから、世界平和を歌うより恋愛を歌ったほうがお金になるのである。もちろん、私が矮小な人間で有るがゆえで、Think globaly, act localy.なんと言われる現代においては反逆分子でしか無いことは承知である。青年よ大志を抱け?・・・・・スイマセン
 ”It's all up to you!!”人それぞれであるから、なんとも言えないが、渋谷駅のホームの変化なんかよりも、庭の落ち葉の方が美しい。これぐらいは皆さん同意いただけるだろう。極論、矮小な自分には自分の部屋と庭ぐらいしか愛でることはできないらしい。Linkin ParkのNumbという曲がお気に入りなのだが、イケテル音でNumbなんて言われたら思わず「あっ僕もです。渋谷怖いです。」とか思ってしまう。最近授業をしてくださる人々の話を聞いていると、世界で活躍することで充足感を得られているみたいで、羨ましくてしょうがない。うむ、日本で生きよう。・・・・・・そろそろナニを書いてるんだか訳が解からない。
 
 さっきから、僕のアニマが「あなた、いい加減にチラシの裏に書くような訳の解からないことをツラツラ書き連ねるのはやめなさい!!女々しいは!!」とお怒りなので、この辺で終わらせるように努力しようと思います。
作品名:Misery 作家名:Hein