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時の流れの向こうには【随筆&詩&写真のコラボレーション】

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『時の流れの向こうにはⅠ【随筆】』



 今の時期、我が家の庭には花梨が愛らしい花を咲かせている。花梨の木がピンク色の小さな花をたくさんつけ立っているのである。ウチには花梨は二本あるが、その中の一つはかつて私が中学・高校時代と通じて使っていた勉強部屋の窓際に植わっている。
 部屋のガラス窓を開けると、そこはもうすぐ眼の前に花梨があるのだ。かつては両親と私、親子三人は、母屋から離れた一軒屋で暮らしていた。母屋には祖父母が暮らし、食事はもちろん、そちらで一緒にとるが、生活の基盤は別だった。
 私の勉強部屋はそこにあった。丁度、高校生の頃、私は通信教育で小論文の勉強をしていた。
 毎回、何かお題が出て、それに即して論文を書くのだが、結構ユニークな出題が出ていた。例えば、東海道五十三次の浮世絵の写真が出て、これを見て感じることを書きなさい、とか。写真や絵などを見て書かせる問題もかなりあったように思う。もちろん、はるか昔なので、あまりアテにはならない記憶である。私が今も印象深く記憶してる問題は、時間について、自分がどのように受け止めているか書きなさいと、確か、そんな問題だった。
 その時、私が答えたのは、〝私は時々、自分の横を時間が川のようにごうごうと音を立てて流れているような気がするる〟と、そんな内容だ。何も格好付けたわけでなく、当時、本当にそんな風に感じるときがあった。自分は何かをなそうとしても、なかなか思うに任せず、ただ時だけが自分の側を奔流のように流れ去ってゆく。そんな想いによく駆られたものだ。
 若かった私が何故、そんな風に考えたのか? 一見、焦りのようにも思えるが、どうも当時の心境を思い出しても、そんなものはなかった。ただ、その頃から、私は自分の中には二人の自分がいて、あるときはそのもう一人の自分が遠くからじいって私を見ているような気がすることがあったた。恐らく、時の流れを川の流れのように意識するという発想はそれと似たものではと思われる。
  今は逆に、そんなことは感じないのが不思議だ。感受性が鈍ったのか? もちろん、それもあるかもしれないが、今は毎日が忙しくて、色々やることがありすぎて、到底、とりとめもないことを考えているゆとりがない! たぶん、これからもっともっと先、子ども達がそれぞれ大人になり独立したら、また感じるようになるのだろう。色々と考える時間が増えたら、時が自分の側をごうごうと音を立てて流れていることにまた気づくのかもしれない。
 でも、そのときは、その流れが行き着く先ももうかなり見えていることだろう。つまり、老いや人生の終わりを見つめる時期が近付いているということでもある。
 考えてみれば、私の場合は、時の流れを意識しない時期の方が良いのかもしれない。まだ自分の側を流れる時の流れがどこに向かうのか、全然予測もつかなかった十六歳の私はよく、この季節になると、勉強部屋の窓を開けて花梨の花を眺めていた。その二年後、父が不慮の事故で若くして亡くなり、私の運命は大きく変わることになる。そのときはまだ、二年先のことなんて想像もつかなった。
 時の流れは誰の上にも流れている。嫌なことを忘れさせてくれるという意味では時は優しく、どんなに美しい人でも、時がその上を通過すれば、老いのしるしがくっきりと刻まれる。そういう意味では、とても残酷だ。自分の側を流れている時の流れの向こうに何が待ち受けているのか、むしろ判らない方が良いのだろう。父がもし自分の二年後の悲劇を知っていたら、もう生きる気力もなくなってしまったかもしれない。先が判らないからこそ、人は不安でもあるけれど、また希望をいだいて生きてゆける。そう考えてゆけば、今という一瞬を精一杯輝かせて生きていくことが何より大切なのだだ。
 今、我が家では花梨だけでなく、シャガの花も真っ盛りだ。今の私はむしろ、自然界―例えば花の開花だとか、我が子の成長に時の流れを感じる。抽象的ではなく具体的に時の流れを意識するようになったのか。どちらが良いとも言い切れないが、季節のうつろいで時を感じるのも良いものなのだと思うようになった。



時の流れの向こうにはⅡ【詩】


かつて私が中学・高校と過ごした勉強部屋の傍ら
一本の花梨が佇んでいる
この時期にはピンク色の可憐な花をたくさんつけ
眼を楽しませてくれる
高校生の頃
私は時間が自分の側を轟々と音を立てて
大河のように流れていくのを感じた
何故 あんな風に感じたのかは判らないが
その頃から 
自分の中には常に二人の私がいて
ひとりの私がもう一方の自分を冷めた瞳で見つめている
そんな気がすることがよくあった
時間の流れを肌で感じたのも恐らくは
似たようなものだったのかもしれない


十六歳の私は勉強部屋の窓を開けて
よく花梨の花を眺めていた
あの頃 今の自分の姿なんて想像もつかず
また 二年後に見舞うであろう父の哀しい死さえ
予測できるはずもなかった

人がもし自分の未来を知ることができたとしても
良いことばかりではないだろう
父だって 自分が二年後に事故で亡くなってしまうと知れば
翌日からは生きる気力を失っていたかもしれない
判らないからこそ 未来に儚い希望を抱いて
人は生きてるいけるのだ


思えば十六歳だった私は
果てしなく流れていく時の流れの向こうには
何が待ち受けているのか知りもせず
未来にひたすら明るい夢を描いていた

今では時間の流れを感じるきっかけは
我が子の成長であったり 
こんな風に花梨の花が咲いたりする自然のうつろいだったりする
十六歳のときのように時間を抽象的に感じることはない

お父さん
あなたがいなくなってから三十年近くがたっても
花梨はまた愛らしい花を今年も咲かせています
あの頃 高校生だった私は
いつしか あなたが亡くなった年の方が近くなりました