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裁判

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「裁判長、異議あり!」
 白熱した空気と検察官が提示したビデオが裁判所には流れている。そこに被告人の弁護士が身を乗り出して叫んだ。
「被告人、発言を許可する」暑さなど感じぬと言った調子を裁判官達は崩そうとしない。
「このビデオでは被告人が何をしているかを断定するには不十分です」
 確かに流れているビデオは一人の男性――被告人が現金転送機の前でしゃがんでいるだけだ。 何かをしてるように見えるが、何をしているかを断定するには不十分だろう。
「被告人の異議を認める。検察のこの映像では断定出来ない」
 勝ち誇った笑みを浮かべ相手の顔を見る。が、異議を唱えら得られた検察官は余裕の態度でニヤリと笑った。
「裁判長、証人の召喚を許可願います」
 まだ何かあるのか。被告人の弁護士に冷や汗が走る。阻止するしかない。
「異議あり! これ以上の証人の召喚に必要性が感じられません」
 裁判長がチラッと被告人に目をやる。被告人は真っ青な表情で震えている。
「検察の主張を認める」
「し、しかし……」被告人の弁護士はなおも食い下がろうとする。
「被告人は静かに」非情にも裁判官は続ける。
「では本日はこれにて閉廷する。ではまた後日」
 その一言を皮切りにぞろぞろと傍聴人達が出て行く。その人数の多さだけでもこの裁判がどれほど人々の耳目を集めているかが分かる。検察官は鷹揚に立ち上がると被告人を一瞥さえすることなく扉の外に消えた。
 被告側の二人だけが冷えた法廷に残っていた。

 どうしてこうなった。そのことが被告人の弁護士には分からなかった。どう考えても圧勝のはずだった。負ける要素などどこにもない。
 なにせ硬貨――それも最小額の拾い着服してというだけの事だ。
 だが、完全に法の網が巡らされた今、どうにもすり抜けられそうにない。
 第三次世界大戦の影響で世界的に犯罪が凶悪化してきている。それに対処する形で全ての犯罪に対する処罰が厳しくなっているとはいえ。
 それに、マスコミはこれでもかという程に騒ぎ立てている。敗北は信用の失墜につながる。あの第三次世界大戦を引き起こしたマスコミのことだ一人の法律家を社会的に殺すことなど赤子の手をひねるようなものだろう。
 何か勝つすべはないのか。焦りつつ、古代の裁判記録を漁るようにして探す。全てが情報化されていても最後は人間のしごとだ。
 と、ある一枚の記録に目が留まった。
「こ、これは……」
 見つけた。これならいける。

 この事件を担当して初めての裁判以来失われていた自信がみなぎっている。
「では開廷します」裁判長の声すら心地よく聞こえる。
「ではまず、証人を召喚します。どうぞ証人はこちらに」
 私が異議をとなえないのが不思議なのだろう検察官が怪訝そうな顔をしている。証人が入ってきた。
「本当の事を話すことを誓いますか?」
「はい、誓います」
「では、お話ください」
「私は事件の際、現金転送機の列に並んでいました。そして見たんです、こちらの方が一厘硬貨を拾って懐に入れるところを」
 私が一切の異議を唱えないおかげで尋問はスムーズに進む。
「……以上です」
 証人はひとしきり述べると退室した。
 まさかこんな切り札を残していたなんて。この事件の重要なポイントは状況証拠しか無かった事だ。だが、これで原告の勝利は確定した。
 ……そう相手は考えていることだろう。私は心のなかでほくそ笑みながら裁判官に向かった。
「裁判長、私からも一つ公開したい物があります」
 検察官から「異議あり」と発言が上がる。勝利を確信していてもなお法曹界の生き物は異議を唱え続けるものだ。
「原告の異議を棄却する。被告はすみやかに公開するよう」
「これです」
 そう言って私はボロボロな一厘事件の裁判記録を公開した。

「判決を言い渡す」
 立場は完全に逆転した。検察官は絶望に打ちひしがれ、我々は勝利の声を上げる時を待っていた
「判決、被告を無罪とする。過去の判例に基づき、零細なる悪事は罪に問わないものとする」裁判官は相変わらず朗々と続ける。
「被告は原告の一厘硬貨を拾得したにもかかわらず、無許可で使用した。この一点はもはや疑いようのないものであるが、実害なき微細なる行為であるから罪には問えないという前例に基づき……」
 勝った。勝ったんだ。
 結局、人間なんて進化することなんてないんだ。前例主義から人が抜けでることはない。
「勝ったぞー……」
 銃声。
 脇腹に痛みを感じる。薄れゆく意識の中で傍聴人の一人が銃を持っているのが見えた。
 人口が天文学的数字になった今、人ひとりの命など大したことないだろう。
 傍聴人となった原告はこう言うのだろう。
「一厘事件を思い出してください。たかだか人ひとりの命、一厘の価値もありません。よって私は無罪を主張します」
 この主張が通り世界中で合法的な殺人が繰り広げられることなど容易に想像できる。
作品名:裁判 作家名:なお