名前
ふたりとも所属する学部の説明会で、たまたま同じテーブルに着いたことが始まりだった。
200人近く新入生が集まった説明会は、とある中華料理店のホールを借り切って行われた。
一つのテーブルに10人ほどが着席し、次々と運ばれてくる美味しそうな料理をつつきながら近くの人との交流を深め、その間講師が学部の説明や学校でのあり方を説明していく。
隣人とちょっとした自己紹介タイムが終わった後、それぞれ出身地やら興味のあるサークルやらの話に花を咲かせていた。
しばらくして講師の説明が終わった頃、まだぎこちない空気の中それぞれのテーブルで自己紹介をすることになった。
我先にと手を上げた猛者が、名前と趣味、そして簡単な挨拶を述べる。
ありきたりのことでいいかな、と思いながらも多少緊張した面持ちのまま、彼の番がやってきた。
「治良真人(はるながまさと)です、趣味は昼寝と歌うこと。カラオケとか好きなんで、暇な人ぜひ一緒にいきましょー!」
ぺこりとお辞儀をして次の人に目をやる。
極力目立たないように、印象に残らないように、でも悪い印象は与えないように笑みは絶やさず。
これが治良真人の自己紹介時のモットーだ。
次の人の自己紹介を聞きながら、ちらっとテーブルを見回す。
ふむ、自分のほうを見ている人はいないみたいだし、今回の自己紹介も「普通」に終わったようだ。
ほっと一息つく。
そのまま次々と行われる同級生達のありきたりな自己紹介に耳を傾けた。
最後の一人になり、治良真人は自分の向かい側の人物に目を向ける。
目の前の人物はメガネの位置を調節すると、無愛想でなんとなく近寄りがたい外見にそぐわない、よく通る声で自己紹介を始めた。
「前崎楓(まいさきかえで)です。趣味は音楽を聴くこと。あ、下の名前で呼ばれるのが嫌い
なので、どうぞ苗字で呼んでください、よろしく」
そのまま僅かにぺこりと頭を下げる。
ゆっくりと顔をあげた無愛想な眼差しの彼と一瞬だけ目が合った。
自己紹介を聞いた隣の席の人たちが、「なんで下の名前で呼ばれるの嫌いなの?」と笑いながら声をかけている。
前崎楓は苦笑しながら、なにやら説明をし始めた。
その様子を治郎真人はただじっと見ていた。
変なヤツだ、それが第一印象だった。
誰もがテンプレ通りの自己紹介をする中、こんな絶妙な自己紹介をするなんて。
おかげでというか当たり前のようにというか、他の人の名前は大して覚えてはいなかったが、治郎真人の心に前崎楓という人物と妙に無愛想な態度はしっかりと刻まれた。
「じろー」
「ぜんちゃん」
ふたりがこんな名前で呼び合うようになる、ほんの数週間前のお話。