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リッケンと彼女

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彼はバンドマンだ。

この日はスタジオ練習の後に彼女と海を見に行く約束をしていた。
午後四時半にJR藤沢駅の改札で待ち合わせをしたのに、遅刻すると言って彼女を怒らせた。
耳から蒸気でも発するように怒りながら改札の前で待つ彼女の前に、彼は、虎の子のリッケンバッカー620を背負って、ニヤニヤしながら現れたのだった。

海を見て夕飯を一緒に食べて、二人は海岸沿いのホテルに入った。明日の昼まで一緒にいる予定にしている。
ソファーに、どう関節を曲げたらそんな姿勢になれるのだというような珍奇な体勢で彼女がうずくまっている。

彼は、ベッドに腰掛けてリッケンを弾いている。部屋に入ってから、ずっと。

「人は、自分にとって都合のいい偶然を運命と呼び、そうでない偶然を蓋然と呼ぶのだよ」

珍奇な体勢のまま、彼女は改まって言った。これから、深くてイイ話を一席打とうと思っている。

「蓋然て、なに」
彼は間延びした口調で問い返した。無心にギターを弾いているから、答えを求めているというよりは、殆ど脊髄反射で発したようだ。

「蓋然ていうのは…なるようにしかならないとか、そういう事だよ」
「ねえ、聞いてないでしょ」

「えぁ?聞いてるよ」
鼻歌とも鳴き声ともつかない音声を、リッケンの音に乗せている。


聞いてない。こいつ全然聞いてない。
ギターの音をおかずに何杯でもご飯が食べられそうだとぼんやり思う。

誰かが、ギターの形は女の子に似ていると言っていた。まるいボディ、きゅっとしたくびれ、色んな形や色もある。
世の中の男の子がギターに夢中になるのは、きっとギターが女の子だからだ。
彼女の好きなアーティストが、馬みたいな車と、車みたいなギターと、ギターみたいな女の子が欲しい、と歌っていたなと思う。
みんな、ギターは女の子だと思っているのだ。


彼女は珍奇な体勢を解いてソファいっぱいに体を伸ばし、弛緩した。肘掛けに顎を乗せた。いつになったら構ってくれるのか。

「部屋に入ってからずっと弾いてるね。私は19万のリッケンに一生勝てないのかと思うと悲しくて死にそうです」

「そんなことないよ。勝ってるよ。ただ、リッケンのほうが一緒にいる時間が長いだけだよ」

「だからさ、」彼女は少しイラついて腰を浮かした。




「知ってる?このリッケンは女の子なんだよ」





あぁ、やっぱり女の子だ。

彼女は諦めた。思いっきりむくれた顔をして、彼が腰掛けるベッドに移って、布団に突っ伏した。
私はリッケンに似てるかな、と、一瞬考えて、

「この馬鹿垂れ」

と呟いて、背中を小突いて目を閉じた。

彼が慌ててリッケンを仕舞いに行く気配がしたが、私はきっとリッケンの次にしかなれないのだろうなと思って、少し愉快になった。
作品名:リッケンと彼女 作家名:新種